観世音菩薩

対談

世界救世教誕生の意義と使命(救世48号昭和25年2月4日)対談

こんどの場合は開教であり、改教でもある、そのどちらにも通ずるが、しかし使命の本質からみれば開教の方が正しいかもしれない
東方の光

全人類待望の炬光  大聖観音力の顕現  (『東方の光』3号昭和10年2月23日)

併而あわせて仏説の開扉     古来仏誕の国、印度に於いて面白い伝説がある。 それは、三千年経つと憂曇華うどんげの花が咲き、其の時東方に転輪菩薩が現われ、此の土をして極楽安養浄土に救わるると謂う事である。然るに、其の転輪菩薩とは如何なる御方...
第四篇「奇跡物語」

私の告白(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)

昭和元年から観音様は始終私の肉体に懸られ、私に種々な事を教えられ、命じられ、自由自在に私の肉体を使われるのである。全く私を機関として一切衆生を救わせ給うのである
第四篇「奇跡物語」

観世音菩薩と私(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)

観世音菩薩と私との因縁について皆知りたがっているから、ここに開陳する事にする

本教は神道か仏教か(光11号 昭和24年5月31日)

恰度諸々の仏霊は本来の神格に復元されつつある大転換の過渡時代であるから、本教に於ては神仏両様の御扱いを実行している所以ゆえんである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 東方の光(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

故に、此意味は、一天四海、日月神(じつげつしん)たる、観音の教に帰すると言う事である。即ち、之に由って万教は帰一するという予言である。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 観世音菩薩の御本体(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 今日迄、観世音菩薩のみは、全く御秘仏とされて、御本体は誰も識らなかったという事は、寔(まこと)に不思議な訳である。随而、多くの仏者は、菩薩の名に迷って、阿弥陀如来や、釈迦如来よりも、下位と思ひ、中には又、阿弥陀が本体であって、観音は阿弥陀の化身などと、途方もない解釈をなし、又、釈迦の脇立であるとさえ説くに到っては、沙汰の限りである。然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(アラセ) らるるのである。
信仰雑話

神と仏 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

或日釈尊は憂欝に堪えぬ御様子なので、弟子の一人が心配のあまり御質ねした。処が釈尊は『実は儂(ワシ)が之程苦心して説いた此仏法も、何れは滅する時が来る事が判 ったので失望したのである』と申された。
救世

開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生に就て (救世四十八号 昭和二十五年二月四日)

霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、
文明の創造

『文明の創造』宗教篇「仏教の起源」(昭和二十七年)  

観世音菩薩の御本尊は、伊都能売神である事は、以前から私は度々知らしてある処であるが、これに就て分らなければならない事は、元来仏身なるものの根本である。単に仏といっても実は二通りあって、本来の仏身と神の化身との両方ある。そうして本来仏とは約二千六百年以前、釈尊の時から生れた
文明の創造

『文明の創造』宗教篇「観世音菩薩」(昭和二十七年)  

南支那(しな)地方民に教を垂れ給うた処、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕うが如く追々寄り集う有様で、此時から観音信仰は遂に支那全土にまで行き渡ったのである。処が御年も重ね給い、之迄で経綸も略々(ほぼ)成し遂げられた事とて、遂に此土地で終焉(しゅうえん)され給うた
日々雑感

[日々雑感]ジャック アタリ氏が絶賛するアジアの文明が人類の未来を築く鍵?!

自分をコントロールすることで他者との争いを避ける。これがアジアの文明の素晴らしさだ。現代を生きる私たちはこの文明の歴史から多くのことを学ぶべきだ」(アタリ氏)
文明の創造

『文明の創造』宗教篇「伊都能売神(いづのめしん)」(昭和二十七年) 

日本古来の神々は印度へ渡航し、化身仏となられたので、其化身仏の総領が伊都能売神であって、当時日本に於ける最高の地位であられたのである。処が其頃素盞鳴(すさのお)尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯そうとしたが、