神秘

御教え集10号

御教え *頭が良い/『私物語』(御教え集10号 昭和27年5月26日①)

これは私の自慢話になりますが、私は迷うという事がないですね。何かの問題があっても、どうしようかこうしようかという事は――全然ない事はないが殆どない。聞いたり見たりして直ぐ決まっちゃうんですがね。ですから私は買物するのが早い。デパートに行って、直ぐこれとこれというんです
未発表

私は神か人か(未発表『私物語』昭和27年執筆)

何しろ驚くべき奇蹟が次から次へと出て来るので、ここに心機一転百八十度の転換となったのは勿論、日の経つに従い益々奇蹟続出、ついには私の過去、現在、未来にわたる運命についての霊的啓示をも受けると共に、自分は超人的力を与えられ、人類救済の大使命を荷になう事が判然としたのである。そうしてその頃洵まことに不思議な現象と思ったのは、偉大なる何者かが私を自由自在に操あやつり、一歩一歩神の世界の実在を、奇蹟をもって会得えとくさせた事で、その際込上げて来る歓喜をどうする事も出来なかった程である。この気持たるや幽幻至妙言葉では現わせない心境であった。しかも相変らず奇蹟続出で、興味津々しんしんたるものがあった。一日の内に何度心が躍おどったかは分らない。その中での最も大きな奇蹟は、大正天皇崩御ほうぎょの年、すなわち大正十五年十二月の事であった
未発表

私の神秘(未発表『私物語』昭和27年執筆)

私はいつも思っている事は、私程不思議な人間は世界肇はじまって以来一人もない事を信じている。実に何から何まで不思議だ。自分でさえそう思っているのだから、他の人としたら私という者の実体を想像してみても、結局群盲的であろう。というのは神秘性が余りに多いからである。ところが面白い事には人間の意欲の中で、最も興味を惹ひくものとしては、何といっても神秘性であろう
御垂示録6号

邪神/仏壇/神霊(御垂示録6号 昭和26年6月2日①)

観音様が出世されて光明如来様になり、また出世されて日月地大御神様になる。出世と言うのは世に出ると書くでしょう。これが本当の出世になる。これより、神様が表面に出ると言うのですね。
御垂示録5号

*神秘(御垂示録5号 昭和26年12月6日④)

一時病気を止めている、そのあとが脅こわい、とね。今度出るがB・C・Gで一時浄化が止まるから、それで良いと思っているが、今度は、それで止まらなかった悪質な病気がうんと増えると書いてます。何しろ、私が書いた通りに、段々出て来るから――大本教のお筆先に「神の申した事は一分一厘も違いわないぞよ。髪の毛筋の横幅程も違いないから――」と言う事がありました。
第十二篇「自観説話集」

神秘の扉は開かれたり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである
大経綸

「世界救世教奇蹟集」 序文 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日)

この著は科学に対する原子爆弾であり、現代人に対する啓蒙書であり、天国の福音でもある。今その理論を説くと共に、裏附けとして我救世教に於ける数多くの奇蹟中から、百二十例を選んで載せてあり、これを読むとしたら余りの超現実的なものばかりで、直ちに信ずる事は出来ないであろう。何となれば古往今来これ程素晴しい奇蹟が多数ある例はなかったからである。
メシヤ様の生涯

はしがき (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。