信仰

信仰は信用なり(光13号 昭和24年6月18日)

今一歩進んで神様に信用されるという事、之が最も尊いのである、神様から信用されれば何事もうまくゆき歓喜に浸る生活となり得るからである。
御垂示録6号

*事故/鎮魂/伊都能売/霊界の構成(御垂示録6号 昭和26年5月1日①)

今の世界の文明は、緯の文明の失敗を現わしている。伊都能売の文明が、完全な文明なんです。それを私がやっている。

所謂、迷信の解剖  信仰は飽く迄冷静に(光9号昭和24年5月14日) 

本教を解剖してみる時、本教が行っている救の業は、言う処と行う結果とにいささかの矛盾がないばかりか、むしろ言う以上の良果を挙げている以上、迷信の言葉は当らない
御垂示録5

*農業特集号/信仰の妙味(御垂示録5号 昭和26年12月1日①) 

だから、逆理ですね。逆になるね。逆理を知る事が一番肝腎だね。人間の理屈と非常に違う事があるのでね。だから、人間の考えでやった事は、必ず失敗する
御教え集5号 

*〔罪〕歯が折れる、銃猟(御教え集5号 昭和26年12月11日②)

歯が折れた 《お伺い》満四才の女児、昨年七月疫痢の際、上乳歯が三本根本から折れました。それより上唇が腫れ、本年九月頃より、折れた歯の上方より外側に向かって尖った歯が見え、かなり肉を破っております。毎朝上唇より膿が出ており、現在もう一本出かか...
御教え集5号 

*家畜/時節を待つ/無駄骨(御教え集5号 昭和26年12月8日➂)

奥さんが一生懸命お願いして時節を待つんです。そうすると神様が、主人が入る様な段取りにしてくれます。それより仕方がないですね。
第五篇『自観随談』

狂信(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。
日々雑感

[日々雑感]「むしろ信仰に対して反対する人の方が本当だ….」のお伺いを読んで.

戦後の混乱期からはもう70年以上たち。戦後や高度成長時代とは世の中の考え方も随分変わってきたように思います。  今、混迷するこの時代にこそ、世界のために岡田茂吉師の教えを拡げていけるのか
御垂示録4号

*安心立命(御垂示録4号 昭和26年11月5日⑪)

多くの人を助けて、神様のお役に立っと言うと、自分が持っている罪穢れが消えていく。なくなってしまって、自分が浄化されなくなる、色んな災難――苦しみと言うのはなくなっていく。そうなって。はじめて安心立命になる。神様にお任せすると言う事になる
御垂示録4号

*信仰は自動車の運転のように(御垂示録4号 昭和26年11月5日⑨)

つまり真理は一つです。だから決める事ができないし、決めない事はいけない。決めて、また決めない。それから、はっきり言ってもいけないし、はっきり言わなくてもいけない。つまり、訳が分らない。そこに、一つの骨こつを見出すので、それが最高の信仰です。
御垂示録4号

*後醍醐天皇(御垂示録4号 昭和26年11月1日④)

信仰しながら天皇になろうと思っただろうが、そこ迄悟り切れなかったでしょうが、霊的にそうなっているからしょうがない。だから、そこはまた、ちょっと難しい処ですね。信仰するそのものによって救われて、そうして自分が、また別の欲望を抱いてやると言うのが矛盾するんですね。
栄光

この事実を見よ /お陰話「長い苦しみから救われた数々」(栄光107号昭和26年6月6日) 

折角入信しても、一度信仰を離れるや、神様の御守護がなくなり、災い交々来るという実にいい実例である。又現代医学が如何に無効果である処か、反って悪化させるという事実である。之なども世の中の人は、全然気が付かないのである
御垂示録3号

*御守護御礼/家/赤ん坊/仏壇 (御垂示録3号 昭和26年10月8日⑬)

家が三角なのはいけないのでしょうか。
御垂示録3号

*人間が上に住んでいたりしては光が出ない(御垂示録3号 昭和26年10月8日④)

心からでないと、光が強く出ない。お祀りして、人間が本当に敬まって崇(あが)めると、光が強くなる。だから、一家揃って、一番浄い処にお祀りすると、光が違う。
御垂示録3号

*三千世界の大芝居 御垂示録3号昭和26年10月5日⑨

神様は深いんだから、人間の目で良いとか悪いとか分かる様では――そんな神様ではね。何んな悪い奴でも、何んな馬鹿な奴でもその時は必要があって使われるんです。たいてい、時が経つと分かります。
御教え集3号 

*信仰にある者は抜身で! 御教え集3号 昭和26年10月15日⑦

邪神のやり口をみると、一番分かるのは、残虐性がある。愛がない。自分の出世の為なら人が苦しんでも、命を取っても平気なんです。邪神でないのは、そこに慈悲とか愛がありますから、そこで直ぐ分かる。
御教え集3号 

*御守護が切れる 御教え集3号 昭和二十六年十月五日③

指導者を失い――と言うのが大変な間違いですね。指導者を信仰しているんじゃないんだからね。これが抑々の間違いで、こう言う事をすると、どうもいけない。あとが中々取れない。
御垂示録2号 

*座敷牢、恩義を忘れた罪 御垂示録2号 昭和二十六年九月八日⑬

お蔭頂いて良くなって、一生懸命感激して信仰しようと言いながら、しないが、今度はハッとして一生懸命やるが、その為に死ぬ様な人があります
御垂示録2号 

*結果が大事、お許しを願う 御垂示録2号 昭和二十六年九月八日⑥

知恵と言う事も必要になる。一生懸命にやると言っても――結果ですよ。一生懸命も結構ですが、ただ、結果が現われなければね。何彼に言うより、結果ですよ。そう言う事は、怠けている様でも、あんまり感心しなくても、確かに信者ができるなら、それが救いですからね。それが一番です
御教え集

御教え集2号 昭和二十六年九月八日*絶対の信仰

邪神に憑かれるとか、霊に何うかされるとかと言うのは、信仰が弱いからです。絶対の信仰なら先が諦らめて了う。霊と言うのは隙を狙うんですからね。絶対の信仰なら隙がないから、先が諦らめる。だから、この人はできるだけ御神書を読むんです。そうすると段々分って来て、信仰が厚くなる。
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月二十五日 *信仰 (昭和二十六年九月二十日)

大体、キリスト教信者と言うのがすでに小乗なんです。何教彼教と言うのがすでに小乗なんです。だから何教だとか——非難したり——つまりメシヤ教ならメシヤ教に捉われてはいけない。強いて言えば、世界教ですね。
栄光

信仰の自由  (栄光121号  昭和26年9月12日) 

本当に立派な宗教ならば、他の如何なる宗教へ触れても、迷いの生ずる懸念などあり得ないから、安心な訳である。だから私はどんな宗教でも触れていいばかりか、寧ろ大いに研究される事を希望するのである
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「低級宗教」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

現当利益その物は、必ずしも、低級宗教ではないのである。しかしながら実際、低級宗教はあるにはある、しかも、その害毒たるや、恐るべきものであって、寧ろ、その筋の取締りを
教えの光

病気が早く治るには、先生を浄霊すること、 御浄霊の際の親切 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

良くしてくださるのは「ない命をやるから世の人を救え」という意味であるから、ただ治っただけではいけない。多くの人を救えば、ますます早く治してくださる。神様は人間が役に立てばできるだけ良くなるようにしてくださるし、また悪くならないようにしてくださる。
教えの光

親の反対、夫婦不和の問題、夫が信仰に理解ない『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

神様にお任せし、時を待っていれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、夫婦のうち一方が磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、どうしても生き別れ、死に別れする事になる
教えの光

入信後既斎の神々の処分法、入信の奨め、物事が順調に行かぬ『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

その他罪穢があるとそれに相当した邪霊が憑ろうとするが、これとても一種の浄化の現れである。しかし誠の心を持てば速く浄化がすみ、善い心掛けと良い行いをすれば、運勢が開けるようにこの世はできている。
教えの光

参葬の後の用足し、 浄霊の閑なとき、 布教・開拓上の心得『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

なにごとも始めからパッとするのはいけない。実が実るように始めは小さく、徐々に大きくなるのが本当である。また発展しない理由は、なにか神様のお気に入らぬことがあるわけもあるから、よくその心と行を考えてみるべきである。
教えの光

入信後の災害、 信仰と厄払い、祝詞と願い事 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

火事などで焼けるのは汚れを非常に早くとられるわけである。普通相場に手を出したり、息子が道楽したりしてなくすこともあるが、その浄化がすむときっとあといいことになる。よく道楽息子が、金を湯水のごとく使うのは祖霊がするので、それをしないと一家断絶するのでそれを救うためで、これは割合長くかかる。
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欲張ったヨクのない人 (救世 四十九号 昭和二十五年二月十一日)

今茲(ここ)にかく、ヨクナイ人間というのは善くない人間の事ではない、欲ない人間の事であるというと一寸変に思うであろうが、以下の説明によって誰しも成程と思うであろう。
メシヤ講座

[メシヤ講座]御守護願いの在り方 2016年9月⑨(私たちの学び目からウロコの内容)

“この問題が起きるためには、何年前にどういうことが起きているのか”というようにしてって・・・、その問題を解決するため、そこに力をいただくのが、メシヤ様から頂く御力なのだ、
教えの光

特別御面会 昭和二六年七月八日 午後一時三十分より約二時間 (於)神山荘 上の間 ※その3

毒血が排除されるのであるから結構で、霊が物質化したのが浄血であるから、御浄霊を受けると、汚い血が出され、きれいな血が増えてゆくのである。
教えの光

『妙智之光』地上天国十六号 (2) 昭和二十五年八月十五日

【答】無論時期を待つのがよい。決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。信仰は或程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。   浄霊は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。
メシヤ講座

[メシヤ講座]信仰をする意味 2014年9月②(私達の学び目からウロコの内容より

「人間とは一体何か?」そういうものが分かってくると、こういうふうに、善悪を最終的に決定づけるまでしてはいけないということが分かってきます。
信仰

新人たれ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

本教は知らるる如く、世界の転換期に際し、全人類救ひの為に、誤れる文化に目醒めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽く迄新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいふ二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言ふのは、その意味である。
世界救世教早わかり

道理に従う (世界救世教早わかり 昭和二十五年十一月二十日)

故に道理は神であると言ってもいい。道理に従うと言う事は神に従う事である。人たるもの如何なる事があっても、道理を重んじ道理に従い道理に外れてはならないのである。
日々雑感

[日々雑感]『信仰雑話』の掲載が終了して、気付かされた事。

熱海瑞雲郷 梅園  こんにちは、『信仰雑話』の掲載は昨日の「結論」で完了しました。 こうして、御教えを一つづつアップさせて頂いてみると、素晴らしい内容に感心させられました。  『信仰雑話』を書き下ろされたメシヤ様が、 ”人間として生きていく...
日々雑感

[日々雑感] 基本の大事な学びができる『信仰雑話』、『アメリカを救う』

最近掲載した「結核」についての御論文も、結核の病気に留まらず、病気の原因、霊主体従、浄霊の原理ナドナド、簡潔に大変わかりやすく解説してくださっている
信仰雑話

信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。
世界救世教奇跡集

神様も御手数が掛る (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)

現代人は残らずといいたい程、宗教特に新宗教を蔑視し、信じなければならない程の事実を見せられても、疑いが先に立って中々信じようとしないのは困ったものである。この原因こそ医学迷信のコチコチになり切っている為であるのは言う迄もない。
第十二篇「自観説話集」

信仰の種類 (自観叢書十二 昭和二十五年一月三十日)

右の中、どれにも該当しない信仰でありとすればそれは正しい信仰である。