御教え集18号 昭和二十八年一月一日 (昭和二十八年二月十五日)

    昭和二十八年一月御教え

    一月一日

      元日は何時でも“今年は大いに意義のある年だ”とか、“発展する年だ”という様な事をよく言いますが、今私が言う“今年はよい年だ”という事は、御座成(オザナ)り的な事でなくて本当に今年は大きな意味があるのです。それは昭和二十年に終戦になりましたが、数字で解釈しますと「二十」という字は、文字でも数字でもそうですが非常に意味があるのです。これは「天地の結び」或いは「霊体の結び」という様な訳で、われわれの方で言う伊都能売です。ですから終戦になったという事は、霊体が結ぶという事になるのです。ですから大いに意味があります。今までにも昔から二十年という数字はたくさんありましたが、昭和というこの年号の文字につながる二十という事に、大いに意味があるのです。昭和の「昭」という文字は日偏に召すという字ですが、「召す」というのは神道の方で言う「しろしめす」という事です。「統一」とか「治める」という意味です。よく“天照大御神がこの土をしろしめし給う”という事があります。それから「和」というのは、大和(ヤマト)という意味ですが、「和」というのはやはり「世界」という大きな事の形です。ですから「日がしろしめす世界」という事です。そうするとその日というのは太陽です。日という字は、丸にチョンですが、この象形文字です。ですから日がしろしめす順序、段階として霊体が結ばれるというのが昭和二十年です。それでそういう意味から終戦になったのです。と同時に信教の自由という事になって、最初は観音教団ですが、とに角救世教として宗教的に活動ができるという事になったのです。神様の方の意味から言うとなかなか深いのです。それがだんだん進んで行って、昭和二十五、六、七というと、これはミロクですが、丁度二十五年の五月に私が引張られて今まで裁判が続いて、ようやく暮の二十四日、私の誕生日の翌日にああして済んだわけです。それに執行猶予という事になれば、もうおしまいになったのと同じ事なのだそうです。それに対してなにも拘束される様な事はないので、無罪と同じ結果になるわけです。そこで二十五、六、七のミロクがああして済んで、それは勿論経綸ですが、そうして今年が八ですから今年から開ける、ミロクの神業が開け始めるという事になるのですから、その意味において今年からは大変に結構な事になるのです。その初めですから、われわれにとっては今年は大変にいい年なのです。今日の歌でも分ったでしょうが、久しぶりで今日の元日は朗らかな気持で祝う事ができたのです。一昨年の元日は大してありませんが、その前から随分もやもやしていたのです。これは霊的にも大いに関係ありますが、ああいう大きな事件が起る前は非常に気持が悪いものです。やっぱり先方の霊が、霊と言っても普通の霊でなく黒雲みたいなものですが、それがとりまいているから気持が悪いのです。それで今日の元日はそういう点は少しもないので、晴れ晴れとした気持です。それで裁判の決まらないうちは非常に気持が悪いのです。普通の人と違う気持です。それは公判ですが、あの時は実に気持が悪いのです。これは地獄よりずっと悪いです。地獄の方がよほどよいのです。地獄はとても酷い所ですが、公平なのです。悪い事をしたそれに相当した罪ですが、現界の方はそうでなく不公平が第一番です。ですから地獄どころではありません。ああいう所を娑婆の地獄だと言いますが、とんでもない話です。霊界の地獄というのは、それは気持がよいものです。閻魔の庁と言って、罪は罪で閻魔の帳に書き止めてあって、いささかも不公平はありません。それで公判などで、自分はどうという事はなくて傍聴しているだけでも、実に気持が悪いのです。また何日に行ってその苦しみをしなければならないかと思うと、実に憂鬱になってしまいます。それが年中もやもやとひっかかっていたのです。しかしどうも仕方がないので我慢してましたが、それが無くなったという事は、私としては丁度雲が晴れたと同じ気持なのです。ですから今日の歌にも最初にそう書いてありますが、そういう様なわけで今年から非常に気持よくやれると共に、又仕事の工合も丁度そういった様な形になって来ます。

      概略を話してみますと、箱根の美術館は五月に浮世絵の展覧会を大々的にやろうと思ってます。というのは去年の夏の美術館が終る頃から、浮世絵のいい物がしきりにはいって来るのです。それから又そういう方面と非常に連絡がとれたりして、どうしても神様は浮世絵展覧会をやれという事がよく分るのです。ですから大体手にはいった品物と、外から借りる品物が集まってますから、それで去年の京都の浮世絵の展覧会よりもずっと上の展覧会ができます。二、三日前にもこういう事がありました。昔の或る成金で、一時は大成功者として今でもよく知られている人で、今では亡くなっていますが、その人が生きている時に、浮世絵のコレクションをつくろうと思って掛物を八十点集めたのです。それを二、三日前に五、六点見ましたが、すばらしいものです。それで外の所ではいやだが箱根美術館になら売ってもよいと言うのです。そして、べつに金には困らないので、お金は払いたい時に払いたいだけ払ってもらってもよい。それもいやなら美術館に陳列するならお貸しすると言うので、ばかにうまい話です。これだけでもちょっと人間業ではありません。間にはいった道具屋は信者ですが、不思議に思ってました。それから去年の京都の浮世絵展覧会の時に岩佐又兵衛(イワサマタベエ)の絵巻物が出てました。一つは「小栗判官」の伝記を画いた絵で、一つは「職人づくし」と言って昔からよくありますが、職人の生活を画いた巻物です。どっちも又兵衛の物としてはよい物ではありません。ところが去年の秋頃私の手にはいったのは「山中常盤」という十二巻の巻物です。それは又兵衛のうちでは最高の物です。もう一つは「堀江物語」という十二巻の物です。又兵衛としては「山中常盤」と「堀江物語」が最高の物としてあるのです。それが手にはいったのです。ですからそのうちの一つでも大変な物が、二つもはいるという事は実に不思議だと、その方の専門家は感心してました。この間藤懸という文学博士で、浮世絵では日本で一番で非常に研究している人ですが、その人も本当に驚いていたくらいです。そのために今新館を造ってます。萩の家の裏手の女の人の泊る所がありましたが、それを移動してその跡に別館として造ってます。それと本館の方の屏風のあった部屋と両方で丁度よいかと思います。それから場合によっては二回にわけてやろうかと思ってます。というのは巻物の十二巻というと随分長いので、場席をとるのです。それで昭和五年に「山中常盤」の巻物の展覧会を三越でやった事がありますが、何故三越でやったかというと、外ではその巻物を全部並べる場所がなくて三越でやったそうです。それで非常に評判になって、毎日列をつくってやっと見られたというくらいですから、よほど価値はある物です。ですからことによると、二回にわけるかも知れません。それで一回は一カ月くらいにします。ああいうものはあんまり長く陳列しておくと色が褪色する憂いがありますから、一カ月くらいが丁度いいのだそうです。ですから京都の浮世絵展覧会も約一カ月くらいでした。そういう様で、これは相当評判になるだろうと思ってます。美術館の方はそうです。

      それから熱海の方はみんな知っているでしょうが、今基礎工事をやりつつありますから、来月か再来月あたりからいよいよ建築の方に取りかかるという段取りになるかも知れません。それでいくら急いでも今年一ぱいはかかるだろうと思ってます。模型を造りましたが、最初の模型は気に入らないのでやり直したものが二、三日前からあそこに出てます。ただ塗りが間に合わないが、今日行ってみれば出来てます。とに角大体の外郭はもう変更はしないつもりです。模型どおりに造るつもりです。最初の模型は柱が太かったので、それをもっと細くして数を多くしたのでずっと荘厳味が出ました。これは何時も言うとおりル・コルビュジエという人がやり始めたコルビュジエ式です。それを研究して造つた図案です。ところが今までコルビュジエ式というのは、官庁とかデパート、アパート、会社、ホテルといった様な実用的なものにほとんど限られていた様なものです。最近のものではニューヨークの国際会館です。長方形のマッチ箱の様なものですが、それが代表的なものです。しかしこれは実用建築としては理想的と言ってもいいくらいに出来たものです。しかし宗教的建築は全然ありません。これは外国でも日本でもそうですが、どうも宗教的建築と言うと、古い物を模型にするという一つの型にはまっている様です。ですから東京でも築地の本願寺は鉄筋建築で随分金をかけてよく出来てますが、しかしあれもインドの寺院を模型としてます。それからあとは小さいものは方々に出来てますが、ほとんど昔からある神社形式と仏教の伽藍形式の様なもので、近代的感覚を表わしたものは全然ありません。それで私はごく近代も近代で、これ以上新しいものはないという様な考えで設計したのです。つまりコルビュジエ式を基本とした宗教建築で、これは全然夢にも思わない様式で、すくなくとも世界の建築界に向って異彩を放つだろうと思ってます。それでこの春コルビュジエという人が日本に来るそうですから、この人に模型なども見せようと思ってます。又先方も見たがるでしょう。この人は大分長く日本に居る予定だそうです。しかも建築する場所が都会などと違って、ああいう風景をとりいれての新しい宗教建築を造ったというので、全体的に一つの芸術品です。これこそ天然の美と人工の美をタイアップさせた本当に新しい試みと言いますか、世界的の新しい試みという意味のものです。ですから大いに楽しみだと思ってます。それと共に展望台にガラスの家も造りますが、これは大体会館と一緒くらいになるだろうと思ってます。これも世界にないものです。それはアメリカあたりで相当の山の上の小高い所にガラスの家というのがあります。そういう展望台式のものを写真で見ましたが、私の方のとは全然違います。そういった意味においても、おそらく世界にないと思ってます。そうしてだんだんに周囲の庭園も完成していきますから、とに角人々の目を引き、注目をあびるという事になるでしょう。

      それからこれはまだ間(マ)がありますが、今年の五、六月頃の花が咲いた時に、天然色映画に写して巡回する計画があります。これは毎日新聞社の主催で、アメリカの映画会社とも契約してしまったのです。おしむらくはもう一年おそいといいのです。そうするとメシヤ会館も出来上って非常にいいと思いますが、箱根の方があれだけ出来てますから、箱根の方の庭園から美術館も写しますから、一ぺんに世界にわかるという事になるわけです。

      それから「⇒アメリカを救う」の本も、日本文の方は出来上って今月から売りだす事になってます。英文の方は来月か再来月には出来るでしょう。それと共に樋口さんが近くハワイとアメリカに行く予定ですが、最初は多分ハワイのホノルルでしょう。それからアメリカはロスアンゼルスに本拠をかまえていよいよ外国の活動にうつるわけです。しかし外国と言いましてもアメリカあたりは本願寺とか天理教、生長の家という宗教団体で支部を何カ所もつくって信者も相当います。ところが私の方はそういうのとは全然違います。外の宗教は日本人の移民が目的になっているのです。だから外人はごく少ないのです。この頃はアメリカあたりで仏教信者が大分できつつある様ですがこれはキリスト教に満足しないで、何かを信仰したい、何かの宗教を研究したい、という人が、キリスト教ではおもしろくないという人が求めて、求めるとすればやはり仏教ですから、それを研究するかたわら……信ずるという人はごく少ないのですが……相当あるにはある様です。ところが私の方はそういった様な意味とは全然違って、本当に救世主(メシヤ)的の大救済なのです。そういう様に外国の、アメリカならアメリカ人を救うのが目的です。ですから将来あっちで「英文栄光」を発行しようと思ってます。それから「英文地上天国」というものを作ってあっちの人に大いに読ませ様という計画です。これは二十八年という数字と関係があるのです。さっきも言ったとおり霊体を結ぶという事は、霊が日本で体がアメリカです。それを結び、そうして開くという二十八の意味が、そういう計画にもなってます。それでアメリカで評判になるとか相当注目される様になればしめたものです。そうすると日本人が非常に早く救われるのです。若しも日本人がアメリカに行って“君の国では救世教という大した宗教が出来たが、あれはどういうものか”という質問をされますから、日本人でアメリカに行くには、少なくとも大体救世教の事を知っておかなければならないという様な事になるだろうと思います。そうして、アメリカで相当問題になれば、日本人を救うのに大いに力になるのです。それはどうせ神様がうまくやられますから、とに角今年から非常に発展するばかりか、いろんな方面が面白くなります。神様の計画はまだいろいろありますが、やっぱり時期ですから時期に応じてそれが出て来ます。又時期に応じてその都度お話をし、発表します。今年からはそのつもりで大いに楽しみにしてもらいたいと思います。

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