栄光

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大いに注意すべき事(栄光156号 昭和27年5月14日) 

之は御守に限らず、凡ての文字がそうである。というのは其上へ他の品物を載せると、霊的に大変な御無礼になるから必ず御気付けがある。何となれば一字々々に神霊が宿られているからである。その位の偉力がなければ、万民を救う事が出来る筈はないからで、つまり私の文字は生きているので、其つもりで扱うべきである
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大乗愛(栄光166号 昭和27年7月23日)

単に愛といっても、小乗愛と大乗愛の区別のある事を、充分知らねばならない。そうして小乗愛の最も極端なのが、言う迄もなく自己愛で、次が血族愛、友人愛、団体愛、階級愛、国家愛、民族愛という順序になるが、ここ迄の愛は悉く小乗愛で、之は何程熱烈な愛で...
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世界的丁髷時代(栄光155号 昭和27年5月7日) 

この文化的蒙昧を目醒めさせようとしては私は絶えず筆に口に、現在努力しつつあるのであるが何しろ長い間の根強い世界的迷信となっていることとて、容易な業ではない。恰度明治維新当時の丁髷連中を済度するのと同様で、今日はそれが世界的に押し拡がったのであるから、猶更始末が悪いのである。
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神人合一(栄光155号 昭和27年5月7日) 

いつも言う通り私の腹には光の玉がある。之は或最高の神様の魂であるから、私の言動凡ては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がない訳で、之が真の神人合一なのである。
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科学と芸術(栄光154号 昭和27年4月30日)

同じ芸術でも低いのになると、反って人間を下劣にし、堕落に導く危険さえあるので、之は警戒の要がある。そこでどうしても楽しみつつ、情操を高めるという高度の芸術でなくてはならない。処が口ではいうものの果して其様な機関があるかというと、外国はいざ知らず、日本に於ては其点洵まことに貧弱であるのは衆知の通りで、この意味に於て本教が地上天国と、それに附随する美術館を建設し、右の欠陥を補うべく現在実行しつつあるのである
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原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)

私がいつも唱える処の霊体の真理である。言う迄もなく万有一切は霊と体との二原素から形成されているのが実相であるが、それについて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか判らない事実である。しかるに之が何故今日迄分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。
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浄化の言葉(栄光157号 昭和27年5月21日)

 本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく 本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい
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人を裁く勿れ(栄光157号 昭和27年5月21日)

其人こそ神様よりも人間の力の方を信ずるのだから、之程の慢心取違いはあるまい。というように我メシヤ教は最高の神様が、一切統轄なされているので、間違った人に対しては、神様は最初其人を覚らせるべく御気づけをされるが、それで覚らない時は命迄召上げられる事がよくある。
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肥毒について(栄光151号 昭和27年4月9日) 

最初の中の見てくれの悪いのは、無論肥毒の残っている為であるから、そこを辛抱すれば、遂には最初から黄ばみなど少しもなく、青々とした有肥田に勝るとも劣らない姿になるが、之こそ全く肥毒が解消した為で、そうなって初めて五割以上の増産は間違いないのである。
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力(栄光151号 昭和27年4月9日)

今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。之を要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いっておきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、之も私は時が来れば、一挙に無くす事が出来るだけの力も有もっているから、安心して貰いたいのである。
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御蔭話を読んで(栄光151号 昭和27年4月9日)

一切は時期である。之も神は世界の経綸上時期が来なければどうにもならないのも、私は知らされている。幸いなる哉、愈々其時期が来たので私という者を選ばれ、其大任を委せ給うたのである。従って私は病理の本源を啓示されたと共に、治病の力も与えられたのである
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幸福を生む文化(栄光149号 昭和27年3月26日)

何故真実が発見されなかったかというと、全く時が来なかったからで、時こそ絶対の支配者である。そこで神は私という者を選んで、一切の誤謬を啓示され、而も叡智否神智をも与えられたのであるから、叡智でも分らない事が私には分るのである。
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科学封建(栄光149号 昭和27年3月26日)

現在の如く科学時代が生れない以前は、随分迷信が横行し社会に害毒を与えたからで、之も歴史の示す通りであって、この弊害を無くす上に科学は少なからず役立ったので、いつかしら科学崇拝が行き過ぎ、人間の魂までも占領して了ったのである。
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浄化の言葉(栄光157号 昭和27年5月21日) 

本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい
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最後の審判とは(栄光110号 昭和26年6月27日) 

浄霊とは独り病気を治すのみではない。来るべき審判を無事に切り抜け得る資格者を作るのであるから、この仕事を知ったなら本教が如何に大きな救世的ノアの筥舟はこぶねであるかを認識されるであろう、本教の名が救世教と言うのも、右の理由に外ならないのである
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自分の悪に勝て(栄光109号 昭和26年6月20日)

悪をさせるのは副守護神であり、善をさせるのは正守護神であるが、それ以上絶対善の命令者が本守護神であるから、結局本守護神の威力を増すようにする事で、之が根本的悪を征服する力である、
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神の経綸(栄光109号 昭和26年6月20日)

即ち造物主が地球を創造された時、永遠な計画の下に設計をされた事である。恐らくそれは何百万、何千万年前の事であろうが、地球を御造りになる時、将来日本という世界的公園としての、パラダイス的土地を定められ、其条件として気候、風土、自然美等を、夫々申分なく具備され、時を待たれ給うたのである。勿論それが我熱海であり、次の箱根もその意味であり、富士山もそうであろう
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医学断片集(二)、(三)、(四)、(五)(栄光147号,148号,149号,150号昭和27年3月)

赤痢の真の原因を教えて上げようと思うのである。それは薬剤を体内に入れると薬毒で血が濁る。処が現代人は頭脳を酷使するから、其毒血は頭脳へ集溜し固結する。すると浄化作用が起って、発熱と共に液体化した毒血は、下降して腸に集中し、肛門から出るのであるから、放っておけば自然に治り、予後は頭脳は明晰となり健康は増すのであるから実に結構なものであり、生命には何等危険はない
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神霊医学断片集(一)浄霊の急所(栄光145号 昭和27年2月27日) 

病気というものの苦痛は、其元があり急所があるのだから、そこを発見しなければならないが、それを知らない医学は、只苦痛の個所だけを治そうとするので仲々治らず、治っても一時的で本当に治らないのであるから、右の意味を教えてやりたいと思うのである
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舌に代えて*山陽地方(栄光148号 昭和27年3月19日)

愈々幸福に満ちた世界を御造りになる時期が来たのであります。そうして其構想たるや今迄の物質文化の面だけであった世界を、今度は精神文化の面をも急速に向上させ、両々相俟って愈々地上天国が出来るのであります。之について今一つの知らねばならない事は、今迄無神思想が蔓延はびこっていたので、之は物質文化を発達させんが為の或期間であったのが、之が打ち切りになって有神思想になるのであります。つまり無神有神の入れ換えになるのであります
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神様が発展の調節(栄光147号 昭和27年3月12日)

本教は地上天国を造るのであるから、何よりも先ず自分一家が天国にならなければならない。それには先ず自分自身の心が天国になる事で、心の天国とは心に苦悩のない状態である。という訳で焦るのも苦悩なら、思うようにならないと煩悶する悩みも地獄であるから、少なくとも苦悩から脱却する事である。それには感謝によって苦悩を打ち消すのが一番いい方法で、つまり心の中に地獄を作らない事である
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体内の入浴(栄光147号 昭和27年3月12日)

薬毒は体内へ入ると大部分は残って了い、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まって了うのである。それに清潔作用が起る。それが風邪であるから、其儘放ってをけば必ず治るものを、態々わざわざ薬で拗こじらし余病を作ったり、悪化さしたりして、命迄もフイにする
お蔭話

種子について(栄光146号昭和27年3月5日)*お陰話

自然栽培の場合、種子の無肥毒が重要であるのは、信者はよく知っているであろうが、中には初めて試作する場合、それにあまり重きを置かない人もあるようだから、大いに注意して貰いたいのである。そこで出来るだけ肥毒のない種子を選ぶ事
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奇蹟と宗教(栄光146号昭和27年3月5日)

本教に於ては宗教理論としての前人未発の哲学、科学、神学等の新解釈は固より現代文化の欠陥を指摘し、新しい文化のあり方を教え新文明世界創造の指針を示しているので、寧ろ宗教以上の宗教といってもよかろう。
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社会事業と宗教事業(栄光146号昭和27年3月5日)

本教に限って如何に膨大となっても、病院などは決して作らない事を明言する。この言葉は現代人が聞いたら、大いに吃驚するであろうが、言う迄もなく本教の治病力は医学よりも断然上であるからで、私が医学革命などと常に口にするのも、そういう理由がある
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運命は自由に作れる (栄光145号 昭和27年2月27日)

私は運命は誰でも、自由自在に変えられるという事を教えようと思う。というのは元来運命は人間が作るように出来ているもので、この真相が分ったなら、このの世の中は悲観処か大いに楽観していいのである。
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依頼心を去れ (栄光145号 昭和27年2月27日)

之も神様は都合よくして下さるに違いないと安心しているような訳で、寧ろ一種の客観的興味さえ湧くのである。之では依頼心を去れなどと言えた義理ではないが、其点相手は人間と異い神様だから、大いに楽観しているのである
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医療と浄霊(栄光144号 昭和27年2月20日)《お陰話》

翌日より病院を止めてみました。ところが驚いた事には、何という有難さでございましょうか、毎日毎日続いていた頭痛もよくなり、ぼんやりとした気拝も夢から覚めた様な気持でございました。
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火事と浄霊(栄光144号 昭和27年2月20日)

御浄霊をするや忽ち風向が変り、助かったというお蔭話はよくあるが、之はどういう訳かというと、こうである。即ち火事というものは火の浄化作用であって、物質に穢れが溜っていると其霊も曇っているから、之に火が移り易くなる。そこで浄霊をすると其曇りが消えるから、焼くべき材料が無くなり、火は方向転換する
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悪人をひねる(栄光144号 昭和27年2月20日)

悪人は食えない奴と相場は決っているようだが、実は私は其食えない奴よりも一倍も二倍も食えない人間と思っている。それが真の善人であり、之でなくては悪い世の中を善くする事は出来ないのである。という訳で私は世の中の悪人という悪人は、片ッ端からひねる方針にしている。之が生きた宗教家の在り方と思うからである
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私の美術修業(栄光144号 昭和27年2月20日)

そうして面白い事には、今迄の経験によると、恰度ちょうど一種類一年位で卒業するようになっている。処が普通人では二十年、三十年も掛かるのを、私は一年位で同じ程度の修業が出来て了うので、最初私を教えた人達が、反対に私から教わるようになって了う。全く不思議である
お蔭話

龍神はある?(栄光143号 昭和27年2月13日)《お陰話》

本教は龍神というものは、この世の中に確かに存在しているという事を以前から唱えているが、今の人は仲々信じられない。まず昔蒙昧もうまい時代の産物位にしか思っていないが、之も無理はない。何しろ話だけで、目に見えないから致し方なかった。処が本教信者...
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手術は野蛮?(栄光143号 昭和27年2月13日)

本教の浄霊法たるや、溜結せる毒薬だけを排除し、元通りに治るのであるから、之こそ最も進歩した文化的医学といえよう
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本教に迷信はない (栄光143号 昭和27年2月13日)

何しろ生れながらにして、唯物教育を散々叩き込まれた結果、無神思想になり切っているからで、いつも言う通り野蛮人が空気は見えないから、無いというのと同様で、何と未開人的ではなかろうか。従ってどうしてもこの無神迷信を打破し、再教育をする事こそ、文化向上の最緊要事であって、それより外に真の文明世界実現の方法は、決してあり得ないのである。
お蔭話

生命の継ぎ足し (栄光142号 昭和27年2月6日)《お陰話》

この人も寿命が来たので、一旦死んで霊界へ往ったが、信仰の御蔭によって天国迄行かれ、天国の状態を見せて貰ったが、本人の信仰と周囲の人達の誠により、神様から一命を賜わったのである
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罪の因は薬 (栄光142号 昭和27年2月6日)

罪と薬と関係あるなどとは、テンデ夢にも思えないからである。処が事実大いにあるのだから、不思議も不思議、奇想天外きそうてんがいといってもいい
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医学と浄霊(栄光142号 昭和27年2月6日)

其治病効果たるや、最初にもかいた通り全然逆であるのは、医学で見離した病人がドシドシ治ってゆく、全く二十世紀の奇蹟と言うより外言葉はない。
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年頭の辞 (栄光137号 昭和27年1月1日)

経の中心は日本であり、緯の中心はアメリカであって、何れは経と緯が結ばり、それから真の文明が生れるという其説と一致しているではないか、とすればそろそろ米国の有識階級にも、そういう考え方が兆きざして来た事が窺われるのである。この様な訳で段々私の予言している事が、全世界の動きにも現われ、誰が眼にも映る事となるであろう
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ビルマ米について(栄光141号昭和27年1月30日)

何故なればビルマ地方は無肥料であるから、多収穫であるのが、日本では人為肥料を多量に施す以上、駄目に決っている。其理由で前記の如く本教農民であるから、無肥料の為多収穫となったのである。
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速度の芸術とピカソについて(栄光140昭27年1月23日)

絵画とは眼から摂取する人間の精神的食物であってみれば、不味まずい物よりも、美味おいしい物を食わすべきで、それが画家としての良心である