第十二篇「自観説話集」

智慧の光 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

一時的でなく、永遠の栄を望むとすれば、深い智慧が働かなくてはならない。そうして深い智慧程誠の強さから湧くのである
第十二篇「自観説話集」

自然無視の文化  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

て毒素排泄作用の最も簡単なるものが、感冒である。感冒に罹る事によって肺炎も肺結核も免れ得るのであるから、感冒を奨励するとしたら、結核や肺炎は何分の一に減ずるかは火を見るよりも瞭(あきら)かである。しかるに之に気のつかない医学は逆理によって、感冒の場合毒素排泄の停止手段を行う結果、結核や肺炎は更に減少する処か、反って増加の傾向さえ見られるのは何よりの証拠である
第十二篇「自観説話集」

日と月 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする-というように凡(すべ)て月と反対であり、この理によって昼の世界は凡てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。之では争いの起りよう筈がない
第十二篇「自観説話集」

学問のズレ(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

新発見なるものはそれまでの既成学理の型には当嵌らないのが当然で、当嵌らないだけ其価値がある訳である。一言にして言えば型破りでありそれが大きければ大きい程、価値が大きいのである。故に真理と思ったものもいつか葬り去られるという事は、それ以上の真理が生れたからで、斯くして止りなき文化の進展がある
第十二篇「自観説話集」

神秘の扉は開かれたり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである
第十二篇「自観説話集」

大乗宗教(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

道に叶えば創造となり、道に外るれば破壊となるというのが、この世界の実相である。恰度(ちょうど)汽車電車が軌道に外れなければ進行し、外るれば駄目と同様
第十二篇「自観説話集」

本教と大道主義 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

本教の如きも、右にも、左にも偏らず、中道にもこだわらず、凡(あら)ゆる主義主張総てを包含し、一切をコントロールした世界思想ともいうべき高い大理想を掲げて進まんとするものである。吾等はこれを名づけて大道主義というのである。
第十二篇「自観説話集」

超宗教(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

どうしても之等無明暗黒を解消すべき、一大光明が表われなくてはならない時期と、心ある者は期待せずにはおられない。即ち超宗教的救いの力である。
第十二篇「自観説話集」

五六七世界の建設(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

要するにミロク世界実現前、当然経なければならない其過程に対処する心構えを述べたまでである。
第十二篇「自観説話集」

主の字(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

「主」の字は、天地人、日月地、五六七、神幽現を表し、経済・政治・教育宗教など万事の正しい順序の象徴である。東西思想の融合を象徴しており、人間界の調和と天地の結び付きを示す。神や仏の概念も結びの概念を内包しており、すべては三段階構造で成り立つ。主の字の首脳者が座る形は破綻なき運営の象徴である。
第十二篇「自観説話集」

観音力とは何ぞや(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

男は陽、女は陰である事も、昔から誰も知っている処で、火水に分ければ、男は火で、女は水であり、火は経に燃え、水は緯に流れる。この経緯がいよいよ結ばるという時が来たのである。
第十二篇「自観説話集」

真理の具現(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

宗教の本来の目的は真理の具現であり、真理とは自然の姿そのものを指す。しかし、人間は日常の生活の困難によって真理を見失っている。真理に則ったら、社会は歓喜と幸福に満ち、病気や悪政、犯罪は存在しない。人間は神のように昇華するか、そうでなければ堕落する自由を持っていて、それは真理である。この真理の発現と具現化が宗教の使命であり、私はその教示と実践に尽力している。
第十二篇「自観説話集」

理屈の迷信(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

今日、迷信という事を非難し軽蔑するが、これは考えものである。それが特にインテリ人に多いのも困った事実である。然らば迷信はいかなる原因によって発生するかを、明かにする必要があろう。先ず現在の人間生活を見る時、この世の中はあまりにも理屈に合わな...
第十二篇「自観説話集」

直観の哲学(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

フランスの哲学者、故アンリ・ベルグソン氏の学説に共鳴した事がある。その説たるや、今もなお想出す事がよくあると共に、信仰上からいっても裨益する処大なるものがある
第十二篇「自観説話集」

五智を説く(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

智慧は五段階に分類され、それぞれは神智、妙智、叡智、才智、奸智である。「五智」と名付けられたこれらは神から重大な使命を受ける者に与えられる最高の智慧から、世間智慧や邪悪に用いられる智慧に至るまで幅広い。現代人は叡智が不足しており、問題解決に必要以上の時間を費やし、すばやい結論を出す能力が欠如している。宗教の力により神の実在を信じ、悪智慧を抹殺し真の明朗な社会を築くことが重要である。
第十二篇「自観説話集」

真理と非真理(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

偽理と真理は、宗教にも哲学にも、科学にも芸術教育にもある。何事についても偽理は数年、数十年、数百年にして崩壊するが、真理は永久不変である。
第十二篇「自観説話集」

序文(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

本教刊行の『光』新聞、及び雑誌『地上天国』に掲載した論文中から、取捨選択したもので、成可(なるべく)興味に富み、魂の糧として有意義なるもののみを抜いた
第五篇「自観随談」

音曲(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

音曲(おんぎょく)についても少し書いてみよう
第五篇「自観随談」

尾形光琳 (自観叢書第五篇 昭和24年8月30日)

何といっても光琳は断然傑出している。彼の絵ほど簡略にしてしかもその物の実態を把握し得ているものは類がない。彼は全然物体の形を無視していて、しかも物体の形を忠実に表現している。
第五篇「自観随談」

浪花亭愛造 (自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

私は若い時から浪曲が非常に好きであったから茲に書いてみよう。私の浪曲好きは関東節に限る
第五篇「自観随談」

団十郎の芸 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

ある意味において名人が人類に対する功績はすこぶる大きなものがあり、全く我々は名人に感謝すべきであると思う。そうして名人とは天才が努力の結果なるのであって、凡才の努力の結果が上手となるのであろう
第五篇「自観随談」

強盗の訴え(自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

その時つくづく思った事は法律とは変なものだ、自分名義で借り、自分経営の工場へ自分の品物をとりに行って家宅侵入になるというのだから、実に訳が判らないものだと思った。
第五篇「自観随談」

逆手の法(自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

問題によってはいくら考慮しても解決策の発見できない事がある。そういう時にこの逆手の法を考えるべきである。その結果非常に好結果を奏する事がある。私はこの逆手の法をよく用いて効果を挙げるのである。
第五篇「自観随談」

柔道 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

それは私の仕事を妨害するものがある場合、それを止めようとしたり、反駁しようとはしない。妨害者のしたいだけの事をさせる、ある場合それを利用する。そうする事が反って妨害者の失敗を早めて解決するのである。
第五篇「自観随談」

順序(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

「神は順序なり」という事が昔から謂われているがこれは全くそうであると思う。何事においてもそれが滑らかに運ばないという原因は、全く順序が紊(みだ)れているからで、特に人事においてそうである。
第五篇「自観随談」

借金 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

故大倉喜八郎翁の「長寿の秘訳」という話の中に、人間長生きをしたければ借金をしない事だ、借金位寿命を縮めるものはないと書いてあった。この意味からすれば、私などは恐らく借金の為に縮めた寿命は少々ではあるまい。
第五篇「自観随談」

正直と嘘 (自観叢書第五篇  自観随談 昭和24年8月30日)

しかしながら世の中の事はそう単純ではないから正直でなければならない場合もあり、嘘をつかねばならない場合もある。この区別の判り得る人が偉いとか利巧とかいう訳になる
第五篇「自観随談」

はしがき/人が恐ろしい/馬鹿正直 (自観叢書第五篇  自観随談 昭和24年8月30日)

恐らく私ほど異色ある波瀾重畳の境遇を経たものはあまりあるまい。或時は高い山の上に乗せられたかと思うや、忽ちにして谷底へ突落され、そうかと思うと又高い山の上に乗せられるというように、実に千変万化極りなき、数奇の運命を究めた
第七篇 「基仏と観音教」

 八、密教の興起以後 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

 大乗仏教の発達が既にその絶頂に達してしまい、そして早くも全盛期を通り越してやや下り坂になった頃に、従来の全仏教を総括して、これに外界のバラモン教の信仰を考慮しながら新たに組織され、また提唱されるようになったものが即ちここに言う密教
第七篇 「基仏と観音教」

 七、大乗仏教の全盛時代 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

大乗仏教の爛熟期としてその黄金時代を現出しておりますのは、インドではハルシャ王時代、中国では高宗の時代、朝鮮では新羅統一時代の初期、日本では天平時代を含む西暦紀元後第七世紀をもってその絶頂とすることができる
第七篇 「基仏と観音教」

六、初期小乗仏教時代 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

アショーカ王が世に出てから仏教に帰依して大いにその宣教に努めた結果として、仏教はインドの内外に伝播してゆきました。
第七篇 「基仏と観音教」

五、釈迦の生誕と仏教の発展 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

釈迦の唱道した仏教はそうではありませんでした。それが持っていたところの普遍的な性質のために、いかなる国土にも伝播することが出来ましたし、またいかなる国民もこれを信仰することが可能だった
第七篇 「基仏と観音教」

四、キリスト教とパウロ 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

パウロ研究をぬきにしてはキリスト教の本質を論ぜられないとされておる程に、パウロの存在がキリスト教にとって密接不離の関係に立っているからなのであります。
第七篇 「基仏と観音教」

三、キリスト教の発達と神格の変貌 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

イエスは従来主として正義の神、厳粛な神として認められておりましたヘブライ宗教の唯一神を「恩愛」の神であると教えるようになりました
第七篇 「基仏と観音教」

二、キリスト教の起源とその根本観念 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

、ユダヤ人の残した旧約聖書は、キリスト教の伝播するに伴って、新約聖書と共にキリスト教の二大経典として、永くヨーロッパ人の精神の糧となったのであります。
第七篇 「基仏と観音教」

一、緒言  自観叢書第7篇『基仏と観音教』

世界の二大宗教であるところのキリスト教及び仏教の発生と発達とを一瞥し、教義を検討し、かつ人心に与えたる影響などをも考察し、あわせて教祖岡田自観大師の思想及び観音教団の教理をも説明
第七篇 「基仏と観音教」

自観叢書第7篇『基仏と観音教』「序文」昭和24(1949)年10月25日発行

 基仏の二大宗教を通じて本教を観る時、本教と時代との重要意味も判ると共に、真のその価値を見出し得るであろう。
第四篇「奇跡物語」

入信後の神懸り (自観叢書四「奇跡物語」 昭和二十四年十月五日)

忘れもしない大正十五年即ち昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起った。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。
自観叢書

信仰の種類 (自観叢書十二 昭和二十五年一月三十日)

右の中、どれにも該当しない信仰でありとすればそれは正しい信仰である。
第二篇『無肥料栽培法』

無肥料栽培 『自観叢書二 昭和24年7月1日)

私は斯う思うのである。それは日本人中真の野菜の味を知っている者は幾人あるであろうか、恐らく滅多にないといっても差支えあるまい。勿論農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。之等の肥料を吸収する野菜は、天与の味わいは逃げてしまうのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味である。