御光話録 昭和二十三年七月十八日 (黄津比良坂、桃太郎、八岐の大蛇退治)

        “神話やお伽噺話にはいろいろな意味があるとの事ですが、

        イ、黄津比良坂坂本の桃子の神話、

        ロ、桃太郎の鬼征伐、

        ハ、須佐之男尊の八岐の大蛇退治、に就て――

    “(イ)之は現にあったんです。ヨモツとは世を持つで時の帝王の事であり、比良坂とは平な坂で明治神宮の参道が平坂になってます。あの横丁に九鬼隆二子爵がゐた。そこへ私は二、三度行きましたが、こゝで戦争があり、私の家へ子爵夫妻を呼んだ時宮中から下賜の菊の紋の盃を持って来ました。それで戦は終ったのです。又後に宝山荘時代五島某――之も邪神の働きをした人ですが、之と戦った時、九分九厘こっちが敗けた所で六万円の金が手に入りそれを叩きつけて勝ったのですが、黄泉比良坂の戦は伊弉諾尊から桃の実を貰って敵を討ったといふ伝説ですが、桃とは百(モモ)で、百円札の事だったのです。

      (ロ)之は私がやってゐる事です。昭和八年五月五日――この五月五日の日は大抵何かあるのですが、この日もよそから呼ばれて行ったが、一番先は代議士の小山完造、第二が新山といふ宮中顧問官、この小山と新山で「おに」となり、第三が東山某、之の「ヒ」は消えて之で「オニガシマ」となったのです。鬼が島征伐は今もやってます。今迄乙姫がもってゐた素晴らしい宝物がその中私の手に入るのですが、今は一寸発表出来ない。

      (ハ)之は事実と思ふのです。須佐之男尊には三人あり、之は初代――といふと一寸変ですが、それでせう。この尊が大蛇を殺し「いけにへ」にされさうだった櫛名田姫(クシナダヒメ)を妻にし家を建てた。その時立派に出来た家を見て「あな清々(スガスガ)し」と云った事から清宮と名づけ、又その時詠んだのが「八雲立つ出雲八重垣妻籠(ツマゴメ)に八重垣つくるその八重垣を」であり、和歌の初めと云はれてます。櫛名田姫は言霊から言ふと日本になる、大きく云へば土匪といふ大蛇を征伐して日本を領有した事でせう。

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