死後浄霊十分にして蘇生させたこの大奇蹟《お陰話》甦生の記録 心臓止まって十分間御浄霊にて動きはじむ(栄光171号 昭和27年8月27日) 

 本教信者が顕わす奇蹟の素晴しい事は、今更言う迄もないが、左の御蔭話は心臓が停止していたのを、十分間の浄霊で蘇生させたという奇蹟である。斯んな素晴しい起死回生的事実は、未だかつて世界に例がないであろう。し之が医学上での成果とすれば、世界医学界の大問題となり、其報道を受けた日本の新聞などは、一号活字でデカデカに発表するであろうが、日本で日本人が行った事、特に宗教界から出たとなると、テンデ見向きもしないという不可解な事実である。そうして之程の奇蹟は、キリストの奇蹟以上といっても、あえて誇張ではあるまい。とすれば之を公平に見て、一体何と評したらいいであろうか、恐らくこの事実を公平に見たら世界的大問題であるのは固より、全く神業というの外あるまい。

 処が之程の奇蹟を、仮令たとえこの『栄光』紙上で見たとしても、大抵な偉い人は面喰めんくらって、只首を捻るばかりで結局分らずじまいで、見逃して了うだろうが、この態度こそ吾々にとっては、常に憤慨の的である。併し近頃は慣れっこになって了い、憤慨不感症になっているから左程でもないが、しかし言う事だけは云っておく方が、後々の為になると思うからかいたのである。其訳は何れ時が来れば、今更のように本教の偉大性に目を覚まし、頭を下げて来るのは分りきっているからである。但し賢明な人も中にはあるであろうから、そういう人は機会を見て、本教に入信するのは勿論である。

甦生の記録 心臓止まって十分間御浄霊にて動きはじむ

   大分県    J.S(47)

 近頃大変肥えて来るので浄化しなければよいがと言いながら、一、二カ月過ぎ二月二十五、六日頃より何だか腹の工合が悪いと言うのでその都度浄霊をして楽にさせて戴いていました。二月二十九日とうとう寝込んで仕舞い、全身浄化で頭は割れるよう、胸はちょっとさわっても飛び上るようで、背も痛み、腹は硬く腹膜を起しているよう、手足は抜けるようで、昼も夜も痛み通して食物は受付けず、全く手の施しようも無い始末でした。

 親子四人の生活ながら一日数回の浄霊に炊事から掃除、学校行の世話から四歳の子供の世話とで夜もろくろく寝る事も成らず、つくづく妻の有難さが身にしみて一日も早く浄化の納まるよう明主様に御願いしていました。

 浄化は日に日に強まるばかりで、三月三日頃から吐気を催し、頭脳は明確を欠き、体は衰弱するばかり、嗚呼こんな時に会長先生でもいて下されば心強いのにと思いましたが、先生は熱海御本部に御参拝中で、七日でなければ御帰りに成らず、七日の来るのを、一日千秋の思いで待っていました。六日頃からいよいよ危険と成り、この日から目の色が少し黄色と成り、爪の色も変って来ました。七日の午後三時頃会長先生が熱海から御帰りに成るのでちょっとの間を見て駅まで御出迎えして別院まで御供し、詳細御話しの上御浄霊を御願いして帰って見れば妻は全く自己意識は無く、ただ譫言うわごとのみ言っていました。午後七時頃、会長先生と奥様が御一緒に来て下され、直に浄霊をして下さいましたが中々意識も判然と致しませんでした。が、私は今まであらゆる苦難を押切って今日迄救世の大業に邁進さして戴いたのもその蔭には妻の内助の賜物なるに、これ位の浄化で死ぬるような事があってたまるか、神様は必ず御守護下さる、今こうして会長先生の御浄霊を受けられるのも神様の御加護だ、と力強く思いおりました。先生には三時間余もいて下さって帰られる時は妻もちょっと意識付き、ただ「ありがとう」とのみ申しましたのでああ良かったと思いました。しかしその夜も一睡もさせないで八日の朝を迎え長女を学校に行かせ、十時頃、気を付けながら掃除していますと「父ちゃん、父ちゃん」と呼ぶ声にあっと思い行って見ますと様子が変です。ただ目を大きく見開き、私の顔をしげしげと見ながら「近く寄って良く顔を見せて下さい。私はもう目がはっきり見えなく成りました。病気はすっかり治りましたが、もういけません。死なねばならないのです。自分でもそれがはっきり分ります。大変永らく御世話に成りました。今まで気ままばかり言ってあなたに楽もさせないでほんとにすみませんでした。子供を残して行く事は心残りですが御願い致します。御浄霊は、充分して戴いたし、今まで多少でも救いの道をやらせてもらったのだから普通の人よりか幾分良い所へ行けるでしょ、それを楽しみ参ります。さようなら」と言って目を閉じて仕舞いました。あっこれは大変と直に片手で浄霊、片手では脈を見ましたら離れ勝です。急いで善言讃詞を三回唱えながら「大光明如来様、明主様何卒この危難を御救い下さい」と御願しつつ浄霊に脈に心を配っていますと脈は次第に薄れて分らなく成りました。丁度その朝早く義母と務めを休んで姪が手伝に来てくれていましたが、この様子を見てただ泣くばかりでおろおろしております。善言讃詞を唱え終るや否や姪に大急ぎで近所の電話を借りて別院へ御守護願を本部へしてもらうよう頼みに走らせ、妹にもこの危急を知らせて直ぐ来るようにと言付け、私は、浄霊と脈の手を気を付けていました。五分位も過ぎた頃姪が帰って来ましたがその時は手は次第に冷たく成り、ただ安らかに目を閉じて呼吸も止まり、人形を寝せたようです。

 万事休す。死、死、今の内に医師に見せて置かねば死亡診断書が取れないと気付き、姪を隣の病院へ走らせ、なおも神様明主様と御願いしながら浄霊を続けていりました。私の脳裏を掠めるものは入信前の事、妻が私を入信させ様と色々苦労していたあの戦い激しき頃、遂にうるささの余り「B29の飛んで来るのを霊力で落したら入信する」とて無茶を言って困らせ、いよいよ、渋井先生に説き伏せられて入信し、戦い済んであの交通難の時初めて熱海箱根と二人で参拝した事など、次から次へと走馬灯のように思出され、地上天国の出来るのも見ずに死んで行く妻を思うと、何共名状し難い感にうたれ、涙さえ出ず、今一度奇蹟が起きて生命を賜えと祈るばかりでした。十分位も過ぎた頃(この時の十分は十時間も経たような気が致しました)かすかに脈拍の打ち出したのを感じました。

 奇蹟だ、神助だ神様は未だ見捨て賜わず、明主様有難う御座いますと、思えば俄に涙が溢れ出て嬉し泣に泣けて来ました。丁度その時妹も駈付けて来てくれました。脈は次第に強く感ぜられるように成りましたので側で悲嘆に暮れていた義母に「バーチャン助かったよ」と言えば母も悲しみの涙が嬉し涙と変り「助かったね助かったね、有難い有難い、神様の御助けだ、明主様に助けて戴いた」と老の顔も上げ得ず喜んでおります。顔色も次第に出て来てもう大丈夫と一息ついたところへ隣の御医者さんが来て早速丁寧に診察を済ませました。

 (以下医師と私と妻の問答)
 医師 黄疸に成りましたね。相当重体ですよ。
 私 そうですか、そんなにひどいのですか(今助けて戴いたばかりなのにと私はとぼける)。
 医師 御宅は宗教に入られるから薬や注射は不用と思われるでしょうが、やはり病気の時は医師に見せて注射やらなければ治りませんよ。このままですと胆汁が胃に行かないで十二指腸の方へ出るのでそれが腸から吸収され、体に廻って黄色く成るのです。従って消化不良で栄養失調を起して取返しの付かない事に成ります。今の内にペニシリンを一本打って置きましょ(と注射器を出して仕度に掛らる)。
 私 先生、済みませんが、本人はいつも自分は死ぬるような事が有っても注射だけは打たないと言っていたので、注射だけは打たないで下さいませんか。服み薬で良いのがあれば御願い致します。
 医師 いや、黄疸には服み薬の良いのはありませんよ。ペニシリンを一本打って置けば大丈夫直ぐ楽に成りますよ(この時私は今助ったばかりなのに一本打てば永久に楽に成ると思う)。その時すやすや眠ったごとき妻はじっと目を開き、
 妻 尾崎先生ですか(未だ意識も目も判然としない様です)。
 私 いや会長先生ではないよ、隣の先生だよ。
 妻 尾崎先生はまだ帰られないのですか。
 私 いや会長先生は昨日熱海から帰られて今朝早く津久見支部の御祭りに行かれて今晩でなければ帰って来られないよ。
 医師 奥さん、注射を一本打てば直ぐ楽に成りますよ、打って置きましょ。
 私 先生、本人のいつもからの願いですから打ちたくないのです。
 (この時突然のように)
 妻 先生、一本打ったら私は直ぐに死んで仕舞いますよ。御願いです、打たないで下さい。
 医師 奥さん、死にはしませんよ、直ぐ良く成りますよ。
 (又間をおいて)
 妻 先生、隣組の誼(よしみ)でどうか注射だけは打たないで下さい。御願いです。私が死んだらその時は打って下さい。
 医師 診察だけして手当をしないと医師の義務が完了しないので一本打って置いた方が良いと思うので、御すすめするのです。このままでは到底駄目ですからね。
 私 御親切は誠に有難いのですが、本人もあんなに言っておりますし、先生の御宅も近いのですから、あとで本人と良く相談して打つようなら御願いに参りますから、その時は何卒宜敷く御願い申し上げます。
 医師 そうですか。では致し方ありませんが、一本打って置いた方が良いのですよ。又あとで御相談の上でどうぞ。
 私 はい、有難う御座いました。では又御願い致します。

 そして医師の帰られるまで、一時間位経っていました。その後妻もやや元気付き、「先に大変綺麗な所をどんどん行っていたら誰か呼んでいるので振返ると尾崎先生がおられました。丁度その時目を開けて隣の御医者さんを尾崎先生ですか、と言ったのです」と、かくしてそれからはからだも楽に成って今までとは打って変った様子でした。
 間もなく会長先生の奥様が心配して来て下さいましたが、妻はその時の奥様の顔は実に何共言えない慈愛に溢れた観音様の御顔のように見えた、と後で述懐していました。奥様とは元気に話が出来るように成って色々と話し、「奥さん大変でしたね。まあ良かった。助かってね、昨日は余程苦しんでおられたが、今日は楽になって」と話されると「奥様は昨日も来て下さったのですか、私は何も知らない」と言っていました。
 その夕方会長先生には津久見支部の御祭の帰りにわざわざ御立寄り下さり、御浄霊賜わり九日には熱海より御帰り早々の大西先生から御浄霊を賜わり、その後も度々両先生に御足労を願って至極順調に快方に向い、一カ月日の四月八日には病床も払い、五十日後の今日ではほとんど全快して働かせて戴いております。この度の大浄化で実に一度は死せる妻の体をまた現界に賜わり、生命の継足しをして戴き明主様に何共御礼の申し上げようも有りません。
 入信して八年の間数々の御利益や体験を積ませて戴きましたが、この度のごとき最も身近な者の大浄化を御救い戴き浄霊の業の偉大なる力を改めて感ずると共に、どこ迄も確固たる信念をもって救世の大業に邁進させて戴かねば成らない事を痛感致しました。なお終りに南光会及び帰一会晴々会の諸先生信者皆様より心からなる御見舞や御心配を戴いて真に有難く、これも御道を通じての真心の表れと深く感謝致しております。
 明主様、有難う御座いました。




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