観音信仰

地上天国

観音信仰(地上天国3号 昭和24年4月20日)

小乗信仰の人は表面が善で、内面は悪になるのである。それに引換へ大乗信仰は人間の自由を尊重するからいつも気持が楽で、明朗で裏表などの必要がない。したがって、虚偽も生れないという訳で、これが本当の観音信仰であり、有難い処である。
御講話など

御講話 昭和11(1936)年1月21日 ※観音会出現のわけ

大審判については、いまのところこれ以上はお話ができないのであります。これは信仰を熱心にやって霊身が浄まると、その人の智慧証覚によって悟れるんですから、その人自身悟るよりしかたない。
御講話など

御講話 昭和10(1935)年12月11日 ※観音様を拝めば魂の位が高くなる

音様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位ですから、観音様を拝めば、その人の魂の位が高くなる
信仰

御講話 昭和10(1935)年11月21日※観音行

男でもなく女でもなく、また男であり女でもある。両方へみな観音様はかかっている。これが観音様のお働きを表わしたもので、どこまでも、これを本位で進まなければならぬのであります。
御講話など

御講話 昭和10(1935)年11月1日

玉川郷は西と東の間になっている。いままで東京本部は東の経綸をしていた、ところが、玉川郷は西と東のほうですから、今度は西の経綸が始まる。それで、今度三十三体のお観音様がお帰りになると、大いにあちらでお働きになる
信仰雑話

常識 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

先づ自己が幸福者たらんとするには他人を幸福にする事で、それによって与えらるる神の賜が真の幸福である。然るに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にするというが如きは全く逆効果以外の何物でもない事を知るべきである。
信仰

御講話 昭和10(1935)年8月1日

伊都能売に至って本当に人間としての行いができる。今日文化とか文明とかいうけれど、実はまだまだ四ツ足から離れていない。いまの人間は警察や軍隊などなかったら、どうなるでしょう。泥棒、強盗、殺人などで、とうてい生きて行かれぬ。そこを考えると、まだ人間でない。サーベルだの捕縄のようなもので取り巻かれていなかったら、悪いことをする。それが怖さに悪いことをしない状態で、みんな本当でない。