神憑り

御教え集9号

御教え *私は許し主(御教え集9号 昭和27年4月6日③)

贖罪主とは別に、社長――すなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そう言う点は非常に――主人と家来程違うんですね。こう言う事も、今までも言いたかったんですが、余りかけ離れているから、誤解されますので言わなかった
御垂示録8号

*神懸り(御垂示録8号 昭和27年4月1日①) 

その人の信仰がしっかりしていれば、悪い霊は憑らない。また側にいる人に、悪い霊が憑って、瞞だまそうとしても駄目だから………それは霊が良く知ってますからね。憑りませんよ。そこで、悪い霊が憑っていい加減に瞞されるということは、その人の信仰が浅いとか、心の持ち方が違っているからやられたんだから、やられていろいろするのは、一つの浄化作用だからね。それでその人が、結局良くなるんです
第四篇「奇跡物語」

入信後の神懸り (自観叢書第四篇『奇跡物語』昭和二十四年十月五日)再掲

忘れもしない大正十五年即ち昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起った。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。
御教え集4号

御教え *霊憑り/神憑り(御教え集4号昭和26年11月21日①)

そこの見別けですね。これができれば結構なんです。従って、それについて、どう言うのが本当で、どう言うのが嘘だ。と言う事を、できるだけ解り易く書いたんです。それを読ませます。
天国の福音

神憑り (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

神憑りなるものは決して迷蒙的のものではなく、正邪の差別はあるが、それを正確に判別し得る眼さえあれば有用なる存在である。そうして神憑りは三種に区別する事ができる