【体験談Mr.Right】№11 お盆の最終16日の真夜中の墓参り

 今回は、お盆にはまだ少し間がありますが、お盆の最終日である16日の深夜に体験したことを書かせていただきます。

 私の最初の赴任地が函館だったことは、すでにお伝えしていますが、渡島檜山支庁本部(函館布教所)に寝泊まりしていた私は、朝6時には起床し、御神前をはじめ廊下や階段等の掃除機をかけ、トイレ掃除もして、出勤前にご参拝される信者さんが、気持ちよく参拝できるように準備をしていました。先輩もいましたが、一人でやっていました。母娘で教師をしていた二人は、布教所の閉まっている玄関前で参拝されていたようで、「最近は、丁度いい音量で音楽も流れていて、掃除をして信者さんを受け入れようという姿勢がみられて素晴らしい。何より玄関が開いていて御神前でご参拝して、学校へ向かえるのがとても嬉しい。」と支庁本部長に話していたようです。

 それから丁度一年くらい経過したころだと思います。私が22歳になる少し前のことです。ある時、支庁本部長から、施設から徒歩で4~5分のところに住んでいる信者さんのご浄霊を頼まれました。入信して間もないのですが、ご主人は非常に真面目な方で、男子会の事務局の一員にもなっていました。ご浄霊対象者は、その方の奥様で、霊的浄化が厳しいということでした。

 訪問初日は、60歳前後のご主人のIさんと奥様が対応してくれました。座布団に座ってご浄霊を取り次がせていただきましたが、ごく普通に感じました。終わった後に、お茶をいただきながら、浄化の様子を聞かせていただきましたが、ご主人は、「何かに取り憑かれたかのように、唸り声のような声を発したり、変なことをいう時もある。」とのことでした。奥様も、「自分ではどうすることもできず、意識がある場合もあり、全く覚えていない時もある。」とのことでした。帰り際にご主人から、浄化した際には布教所に電話をしますので、ご浄霊に来てほしいということでした。

 そして、早速その日の夜10時過ぎくらいに電話がかかってきました。私は急いでIさん宅を訪問しました。奥様は、お茶の間の隣の部屋で、布団の中でウーウーと正気を失った感じで唸り声を上げていました。私は、枕元に坐って眉間と脳天を重点的にご浄霊させていただきました。その間もずっとウーウーと唸り声を上げていましたが、奇矯な言動はありませんでした。

 一時間ほど経ったときに、ご主人が「○○さん(私の名前)、お茶が入りましたので、いったん休憩してください。」と声をかけてくれましたので、ご浄霊を中断して、お茶の間へ行きました。お茶を入れてくれたのは、娘さんでした。初めてお会いするので、簡単な挨拶を交わしてお茶をいただきました。彼女は、「明日早いので、これで失礼します。母のことをよろしくお願いします。」といって二階へ上がっていかれました。私は、「上品で、透き通るような肌の美しさで、まるでお姫様のようだ。」と思った記憶があります。

 休憩中に、「いつもこんな感じですか?」とたずねると、ご主人は「今日はまだウーウーと唸っているだけなのでいい方です。ひどい時は、何を言っているのか分からないような独り言をいったり、私を罵倒するようなことをいったりもします。」ということでした。その後またご浄霊をさせていただき、トイレ休憩を挟んで、3時くらいまでさせていただいたと思います。奥様も疲れたのか、寝息をかき始めました。それを見ていたご主人が小声で、「ようやく落ち着いたみたいです。今日のところは、これで終わりにしましょう。」といって、ようやく解放されました。

 布教所に帰って、2時間少しの睡眠をとって、また朝の清掃です。本部長も単身赴任のため支庁本部に寝泊まりしていました。朝食の時に、昨夜の様子を聞かれたので、ありのままを報告させていただきました。すると「何の霊が憑いていると思うか。」との質問でした。私は「初めてのことなので、分かりません。」と答えました。本部長は「たぶん狐霊だと思う。狐霊はあちらこちらと動くので、眉間や脳天だけでなく、奥さんの動きを観察しながら、狐霊が隠れていそうなところ、例えばヘソのあたりとか、腕の付根や鼠径部とかを狙って、ご浄霊をしなさい。」というご指導でした。

 そしてその日の夜も、また次の日の夜も、10時過ぎか11時頃になると電話がかかってきました。そんな日が毎日続き、夕飯の時には本部長と一緒にお酒を飲むことがありましたが、しばらくの間は禁酒して、臨戦態勢でIさんのご浄霊に取り組んでいました。そのような日々が数か月続きました。

 ある日の夜に、いつものように電話があって、ご浄霊に行きましたが、その時も、いつものようにウーウーと唸っていました。その頃は、本部長のご指導に従って、眉間や脳天は枕元に坐ってご浄霊させていただきますが、その後は寝ている奥様の横に移動して、腹部や腕の付根、足の付根などをご浄霊するようにしていました。ただ、その日に限っては、唸り声はいつもより静かに感じられました。いつもように、眉間のご浄霊をしたあと、脳天をしているときです。突然「今日は満月よね。私は、ドビッシーの月光が好きなよね。川の土手道でこの曲を聴いていると最高なよね。」と言いました。

 私は、ドビッシーも知りませんでしたし、月光という曲も知りませんでしたが、その時に、私の脳裏には、川の土手道にたたずんで満月を見上げている狐の姿が、ハッキリと映りました。そして、この奥様に憑いているのは、本部長がいうように狐霊なんだということを、確信することができました。

 その後は、ウーウーという唸り声もしなくなり、1時過ぎには終えることができ、奥様も一緒にお茶を飲みました。私は思い切って、「今日は、余りひどくなかったですね。ところで、ドビッシーの月光がお好きなんですか?」と聞きました。すると奥様は、「好きですけど、何故ご存知なの?」という返事でした。ご主人と私は、目を見合わせて、先ほど奥様が唸りながら言った内容を伝えましたが、「あら、そんなことを言ったの?全然覚えていないわ。」とのことでした。そのとき私は、霊憑りというのは、本人の意識が無くなることがあるということを、はじめて知りました。

 そしてその年の8月のお盆の時を迎えました。それまで、1週間に1日とか2日とか連絡のない日もありましたが、ほとんど毎日のようにご浄霊に呼び出されていました。私としては、あまり変化のない奥様にご浄霊を取り次ぐことよりも、なかなかお会いすることのできないお姫様に、今日は会えるだろうかという気持ちの方が少しだけ大きかったように思います。お盆の最中も、毎日呼び出されて、ご浄霊に行きました。そして16日の夜を迎えます。

 この日は、夜の9時過ぎに電話があったと思います。今日は少し早いなと思いながら、急いでIさん宅に向かいました。奥様はいつものように布団の中でウーウーと唸っています。いつものようにご浄霊をさせていただきましたが、その日は、いつもよりも唸り声が激しかったように思いました。一時間ないし一時間半くらい経過したころ、突然奥様が、「あなた、お墓参りしてきて。」と言いました。ご主人は「いま行ったって墓参りはできないよ。」というようなことをいいましたが、奥様は「いま行かないとだめなの。もう地獄の窯の蓋が閉じてしまうの。今ならまだ間に合うから。」というようなことをいったように思います。

 細身で優しそうな御主人は、困ったような感じでしたが、奥さまのいうことに従って、墓参りに行く準備を始めました。そして、私にも一緒に行ってほしいと頼まれました。私は、「こんな真夜中の墓参りなんて怖い」と思いましたが、一度布教所に戻ってきていいですかと断ってから、「淨章」を取りに行きました。まだ助師の資格でしたが、淨章を身に着けていることで、何かしら霊的なものから守られるような安心感があるように感じたためでした。そして再びIさん宅に行きました。淨章を身に着けるのは、この時がはじめてでした。

 Iさんの運転する車に同乗して、お墓のある函館山の麓にあるお寺に向かいました。そして大きな門構えの立派なお寺に到着しましたが、当然のことながら門は閉まっていました。私は無理だと思ったのと、こんな夜中に墓参りなんて嫌だという気持ちもあって「帰りますか?」と言いましたが、ご主人が「脇に通用門があるので、そこに行ってみましょう。」というので、仕方なく付いていきました。すると、ご主人が通用門に手をかける前に、その通用門がひとりでにスーッと開いたのです。ご主人もビックリして「手をかけていないのに、開きました。不思議ですね。」と言いました。私も当然ビックリしましたが、「呼ばれたのですね。きっと、ご先祖さまが待っていたのでしょう。」と対応しながら、お墓に向かいました。

 お墓では、ご主人がろうそくと線香に火を灯して、私が先達で「善言讃辞」を奏上しました。ご参拝が終了したのは、日付が変わる15分か20分くらい前だったと思います。ご主人は、大役を果たしたような面持ちでしたが、私も何事もなく終わって、これで帰れるという安心感がありました。

 帰りの車の中でも、通用門のことが話題になりました。日中は、正門があいているので、通用門は、閉まっていることが多いのに、こんな夜中に開いているなんてことは不思議でならないといっていました。私も、ご主人が手をかける前に、内側から誰かが開けたように、スーッと開いたのを実際にそばで目撃していますから、本当に不思議でした。そんな会話をしながら、片道30分くらいの帰り道を急いでいましたが、身震いするような寒気を感じたのを覚えています。もうすでに零時を過ぎて、日付が変わっていました。

 Iさん宅に到着すると、玄関に入る前から、奥様とお嬢様の明るい声が外にまで聞こえていました。奥様は、「墓参りは、11時45分くらいには終わったでしょう。」といいました。ご主人は、「確かに、その頃に終わったと思うけど、なんで分かるの?」と聞き返していました。奥様は、「そんなことくらいわかるわよ。」と言っていましたが、私は、そのやり取りを聞きながら、狐霊がいっているのかと思ったほどでした。娘さんが入れてくれたお茶をいただきながら、通用門の不思議な出来事などを話して聞かせました。奥様は、「墓参りはできると思っていたわよ。」と、さも通用門が開いていることを知っていたかのような話しぶりでした。私は、お茶をすすりながら、「やっぱり狐だ。もう同化しているのかも知れない。」と思いました。娘さんは、そんな会話を微笑んで聞いていました。一時間ほどして、私は帰ることにしました。

 真夜中にお墓に行くというのは、高校生の時に二度経験しています。一度目は、部活の合宿をお寺でした時に、肝試しでやったのと、もう一回は、同じく恐山での合宿の時に、賽の河原を通って地蔵堂までの肝試しで経験していますが、今回の墓参りは、その何倍もの勇気が必要でした。布教所に帰ってからも、しばらく眠れずに考えていました。

 Iさんの奥様に憑いているのは、確かに狐霊だと思いますが、一般的には動物霊で、邪霊だと思いがちです。では、なぜ狐霊が憑くようになったのかが問題です。お稲荷様を祀っている訳でもないし、昔の話を聞いても思い当たる節がなさそうでした。しかも、狐霊が「お墓参りしてきて!」というだろうかという疑問があります。私は、一つの推測をしました。恐らく、奥様に繋がるご先祖様の誰かが、何らかの理由で餓鬼道に落ちていて、いつの間にか狐と同化したのではないか。そして、きちんとした供養を受けたいとの一心から、ご縁のある奥様に憑いて、家からも近い救いの機関である救世教に入信させたのではないか。そうであるならば、ご先祖様の願いを理解して叶えてあげれば、この霊憑りはいずれはきっと解決するというものでした。

 このことを、何回も何回も自分が納得するまで考えて、しばらくして本部長に話してみました。すると、「そういうことがあるかも知れない。Iさんに君の思ったことを話して、徹底して取り組んでみなさい。」ということでした。

 それでも私はしばらく悩みました。その間も、ご浄霊の依頼はありました。ただ、お墓参りをしてからは、浄化の程度は、少し軽くなったように思いました。救う側の自分が迷ったり悩んだりしている場合ではない、この光明が射しかかった時期を逃していけないという思いで、ご主人と奥様と娘さんの三人が揃う日中の都合のいい日時を決めてもらうことにしました。何故かというと、奥様の浄化も日中はほとんどなく、深夜にかけてが、多かったからです。また狐は夜行性だと思ったからです。

 そして、会合の当日、私は誠意をもって私の推理を伝えました。普通であれば、突拍子もない内容でにわかには信じられないでしょう。しかしIさん親子三人は、真顔で私の推理を受け入れてくれて、「では、どうすれば狐霊が救われて、妻の浄化もよくなるのでしょうか?」ということでした。その時には、いろいろと話しましたが、かいつまんで言えば、明主様を救い主だと信じて、三人が気持ちを一つにして縋り切っていくということです。そのためにやるべきこととして三つのことを提案しました。

  • 御神体と御尊影をご奉斎させていただくこと。
  • ご主人と奥様両家の「先祖代々之霊位」の位牌を二体お祀りすることと、お仏壇に「お屏風観音様」をご奉斎させていただくこと。
  • 娘さんも入信して、家族三人でご浄霊を徹底すること。

 以上の三点を伝えました。ご主人と奥様はすでに入信していましたので、①と②については、「どのくらいお金がかかりますか?」という質問でした。私は奉納金や表装代など大体の金額をお伝えしました。これについては、ご主人がしばらく考えたあと、「分かりました。」という返事でした。

 私が一番難しいと思っていたのは、③の娘さんの入信でした。しかし、娘さんは、あっさりと「分かりました。」と返事をされました。これについては、「本当に大丈夫ですか?」と念を押させていただきました。娘さんは、「ニコッと微笑んで、○○さん(私の名前)が、毎晩のように家に来てくれて、お墓参りもしてくれて、他のお仕事もあるのに、それをもう半年以上も続けてくれているのに、娘の私が母を救うためなら当然だと思います。このことは、前から思っていました。」ということでした。

 話を先に進めますが、この三条件が実現してからは、もちろん一気に良くなった訳ではありませんが、一進一退を繰り返し、浄化の程度も非常に軽くなり、奥様の調子のよい時は、三人で布教所にも参拝に来ていました。そして、私が呼び出される回数が、格段に減ったことが何より有難いことでした。

 それからしばらくして私は、木古内布教所の立ち上げのため、担当地域での御用が多くなり、函館布教所でお会いする機会も少なくなりましたが、たまたまお会いした時には、顔色もよく、多少ふくよかにもなり、健康そうに見えましたし、何より三人とも非常に明るくなっていました。

 この体験事例は、私が初めて経験した霊憑りでしたが、一口に狐霊といっても、動物霊の場合もあれば、人獣同化霊の場合もあるという一例だったように思います。また、ご浄化を解決許されるためには、家の霊界を整えることと、ご先祖様のご供養をきちんとするということの大切さを、学ばせていただいた事例だったと思います。

 さらには、お盆の16日の0時をすぎると、地獄の釜の蓋が閉まるというのは、本当なんだということを実体験できた事例でもあります。ただ、今でも分からないことは、ドビッシーの月光(正しくは「月の光」?)が、どこから流れていたのかということと、この曲を聞けたということは、そんなに古い年代の狐霊の仕業ではないだろうと思えることです。

by Mr.Right

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