十干十二支(ジッカンジュウニシ)に就て私はよく質(キ)かれるから、茲に大略説明する。
十干とは木火土金水の五行に対し、一干を陽と陰、即ち兄と弟に分ける。兄をエといゝ、弟をトという。例えば木の兄は甲(キノエ)であり、木の弟は乙(キノト)である。昔から世間で兎や角いう丙午(ヒノエウマ)とは、ヒが陽で、エが陽で、午が陽というように陽が三つ重なる。陽は男性であるから、女としては強過ぎる為、如何なる男も負けるという意味である。然し乍ら封建時代は男性に権力を持たせ、女性は屈従的であったから、女性が強くなると困る訳だが、今日の如き男女同権の世の中となれば、丙午の妻君と雖も敢て差支えはない訳である。
次に十二支であるが、大体人間は最後に造物主から造られた動物であるから、人間には凡ゆる生物の性格、習性、動作等が含まれてをり、その代表的なもの十二種を選択したものであろう。又十二支を何の年、何の月、何の日というように決められてあるが、之等も相当意義があるようである。何となれば以前私は天源術を研究した事がある。天源術に於ては人間が受胎した年、即ち生れ年の九月までは前年の受胎であり、十月以後は其年の受胎であるから、受胎した年を大輪といい、生れた月を中輪といい、生れた日を小輪といい、之を総称して三輪という。何れも十二支が当嵌るのである。例えば大輪が午(ウマ)で、中輪が卯(ウサギ)で、小輪は未(ヒツジ)という具合であるが、それがなかなかよく的(アタ)るのである。又畑といって右の三輪以外のものを当嵌めるが、その場合多く人相によるので、右の三輪、畑等、人相を見れば大体表われてゐるのは、面白くもあり不思議でもある。そうして同術に於ては十二支を磁(ジ)、結(ケツ)、演(エン)、豊(ホウ)、奮(フン)、止(シ)、合(ゴウ)、老(ロウ)、緩(カン)、惰(ダ)、練(レン)、実(ジツ)という名称になってゐる。之等も深く研究し、長く経験すれば、相当世を裨益する処もあると思ったのである。
又昔から淘宮術(トウキュウジュツ)といって、右の三輪法を応用し、人間が持って生れた性格の悪い点や悪癖を矯正するのが目的(此事を淘(ヨナ)げるという言葉を用いる)の一種の修養法があるが、今日は余程衰微したようである。之等も修業の結果、人格円満となり、親和的となり、処世上益する処もあるが、少くとも自由主義的ではない。
序(ツイ)でに易に就ていうが、易経は周易ともいい支那の周の時代に創成されたというから、今から四、五千年以前である。それを彼の孔子が大成したもので、相当根拠があると私は惟(オモ)ってゐる。八卦といって乾(ケン)、兌(ダ)、離(リ)、震(シン)、巽(ソン)、款(カン)、艮(ゴン)、坤(コン)の八種の運命的活動を筮竹(ゼイチク)によって表わし、その変化を算木(サンギ)の組合せによって判断するのである。右の八卦は神道に於る八力ー動(ドウ)、静(セイ)、解(カイ)、凝(ギョウ)、引(イン)、弛(チ)、合(ゴウ)、分(ブン)(大戸地(オオトノジ)、大戸辺(オオトノベ)、宇比地根(ウイジネ)、須比地根(スイジネ)、生材(イクグイ)、角材(ツヌグイ)、面足(オモタル)、惶根(カシコネ))と共通するものらしい。即ち天地万有構成の力であって、此力は凡有(アラユ)る活動の源泉である。