本療法の原理、自然力(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

本療法の原理

本療法の原理を説くに当って、まず私がこれに着眼した動機を言おう。そもそも人間なるものはいかにして造られたかという事である。宗教によれば造物主の創作といい、科学ではダーウィンの進化論が唱える、アミーバが蜥蜴(トカゲ)となり大蜥蜴(トカゲ)となり類人猿となり、終に人間になったという説である。しかしながら右のごとき説の真偽は別として、ここに何人といえども否定し得ざる事実として、人間は人間によって造られたという事である。即ち親が子を造り、その子が親になってまた子を造るという、これは絶対である。もちろん意識的に造るのではないからこれに気付く人は少なかろう。しかしながらこの事実は何を物語るであろうか。それは人間には人間を造り得べきいとも神秘な力を有している事である。この意味においてこの神秘力は自己が造った所の人間の故障ともいうべき病気を修繕否治癒し得られないはずはない。それは機械によって作られた物は機械によって治し得ると同様の理である。

しかしながら右の理論を是(ぜ)として考える時、人間に存在する神秘力をいかにして発現応用し病患を治癒せしむるかという事である。しかるに私は右の理論を基礎として研究の結果、この偉大なる目的を達成し得たので、それが即ち本医術である。もちろん機械も薬剤もその他何等の物質も要しないで、驚くべき治病力を発現なし得るのであるから、寔(まこと)に理想的医術である。これによってのみ病患は解決し得らるるとする事は決して自画自賛にあらずと信ずるのである。

ここで右のごとき人間個有の神秘力とは何ぞやという事と、その神秘力が病患へ対していかに作用し、その能力を発揮し得るかという説明であるが、唯物教育に忸(な)れたる現代人にはいささか難解の点があるかも知れない。しかしながら真理である以上、再三熟読玩味するにおいて、豁然(かつぜん)として必ず目覚めるであろう。

そうして本医術の原理を知るには、まず大自然の構成とその活動とを充分知悉(ちしつ)しなければならないのである。

自然力

大自然、即ち我々が呼吸し棲息している処のこの世界の構成について、私の研究によれば、まず大別して三つの原素、即ち曩(さき)に述べたごとく火水土である。そうして現在科学及び人間の五感によって知り得たものとしては、電磁気、空気、物質元素等である。しかるに私がいわんとする所は、科学的にも五感によっても未だ知り得ざる処の気体即ち霊気である。しかしながら霊または霊気という文字は今迄とても相当使用されて来たが、その多くは宗教または心霊科学の面に限られていた。それが為に霊という言葉は兎もすれば迷信視せられむしろ霊を否定する事をもって、識者の資格とさえ見らるるごとき傾向があった。しかるに何ぞ知らん。この霊なるものの本質こそ、驚くべき力の根原であって、森羅万象凡ゆる物の生成活動変化はこれによるのであって、これを私は不可視力とも言うのである。

右のごとくであるから私は有知の世界を現界といい、未知の世界を霊界として説き進めてみよう。

そもそも万有の原則として現界における凡(あら)ゆる事象はすでに霊界に発生し運動を起している。それはちょうど人間が手足を動かす場合すでに意志が先に動いていると同様の理である。しかるに現界の事象のみによって解決を与えようとしたのが現在迄の学問の理念であった。文化が進歩せりといいながら人類の福祉がそれに伴わないというのも右の理によるのである。故に現界における事象を解決せんとするには、まず霊界のそれを解決しなければならない。この意味において病患治療といえども霊界よりの解決即ち霊をもって霊の治療を為す事こそ、真の治療法でなければならないのである。

したがって人体といえども霊体は霊界に属し現体は現界に属しているのはもちろんである。そうして病気とは既記のごとく集結せる毒素の浄化即ち毒結の解体作用であるが、その過程を霊体に当はめる時、毒素溜結は霊体局部の曇りであり、毒結の溶解とは曇りの消滅である。

しかるに既存のいかなる療法といえども体の解決のみを企図したのであるから、それは逆法で病気の真の解決ではなかったのである。

霊体における曇りの解消は、病気治癒の原則であるとしたら、その曇りを解消すべき力は何か、それが即ち人体より放射する一種の神秘光線である。この理を真に把握せんとするには、実地治療を数年間継続する事によって徹底し得らるるのである。したがってここでは概念を得る以上には出で難いと思うから、読者はそのつもりで読まれたいのである。

そもそも人間の霊体とはいかなるものであらうか。この説明に当って知らなくてはならない事は死の問題である。即ち現体が老衰または病気、負傷、出血等によって使用不能に到った時、霊と体とは分離する、それが死である。故に死とは現体から霊体が離脱する事である。そうして霊体は霊界に帰属しある時期を経て再生し、現体は腐朽し土に還元する。これは人の知る処である。これによってみても霊体なるものは無限の生命体であり、現体なるものは有限、第二義的の存在である事を知るのである。したがって人間を取扱う上においては霊体こそは真実の対象である事である。

近代科学において凡ゆる生物否鉱物、植物等にも一種の放射能を有している事は漸く知られて来た。私の研究によれば人体からの放射能は最高級のものであって、昔人の言ったいわゆる「人は万物の霊長なり」のごとくである。そうして霊は高級である程、その原素は希薄の度を増し、希薄の度を増す程機械的には把握し得られないという唯物観とは反対の理になる。故に反って低級霊である鉱物におけるラジュウム、植物における燐等の把握の方が容易である。そうして霊は希薄であればある程、その偉力は増大するという。この原則の認識こそ重要である。しかしながら人体放射能は最も強力ではあるが、人によりその差別の甚しい事も想像以上であり、放射能の強力である程治病力も増大する。故に私はこの放射能を強力化する為身体の一局部に集注させて放射し、曇りの解消に成功したと共に、各人保有の放射能力を一層強化すべき、特殊の技能発揮にも成功したのである。この両者の方法を応用し、原理を知り、経験を積む事によって、驚くべき治病能力を発現し得らるるのである。

タイトルとURLをコピーしました