お陰話「神は子供を慈しみ給う」

『栄光』139号、昭和27(1952)年1月16日発行
『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)年9月10日発行

    東京都 S教会  E.K(47)


 「やられちゃった。やられちゃった。早く浄霊してくれよ」上着の袖を捲くったまま、次男坊がおどけた調子で叫んでいる。

 この坊主が、浄霊してくれ。と言う時は、その言い方で腹痛か、怪我かが解るのだ。小さな声で、浄霊してくれよ。と言ったときは、転んで膝小僧を擦りむいたときだし、シクシク泣きながら、浄霊。と、帰ってきた時は、足に踏抜きをしたり、野球で突き指をしたときで、蛔虫のために腹が痛かったり、頭が痛むときは、きまって、アアイテエ、アアイテエと、頭か腹を押えている。

 こうした、子供の癖を知っている私は、今のように、元気な声で浄霊。と叫ぶような時は、大した事はない。と少しも驚ろかない。

 「学校で注射されちゃったんだよ」と言う子供の言葉にギクリとした。「ホーソーか」「ううん、ツベルクリンだ。逃げちまおう、と思ったんだけど、皆んなやらなければいけないって、先生が言うからやったんだよ」

 私や妻が、ふだん、薬毒の恐るべき事を、未信者の人たちに話をするのを、聞いている子供たちは、怪我をした時も、浄化の時も、「薬を」とは、決して言った事はない。学校で便の検査をして、虫がいる、と言われても、他の子供のように、虫下しの薬を貰らって来ないで「先生が、『虫がいる』と言ったよ。すぐ浄霊しておくれ」という位、薬と、注射の害は徹底して知っている。だからこそ、注射。と聞いて逃げよう、と考えたのだろう。

 子供のいいわけを聞きながら、赤く、少しはれている、その個所を浄霊した。「この次は、BCGか、あれだけは止めて貰い度いな。どうしてあれを強制するのか、これなんかも、憲法で保証されている、基本的人権を揉欄するようなもんだ」

 傍で、縫物をしている妻に言った。「洋服屋の金子さんは、上の男の子が、中学校で、BCGを接種されてから肺病になった、と言って、BCGだけは、あとの子供さん達にさせないそうですよ」「家の子供たちにも、注射とBCGはしてくれるな。と、学校へ頼んでみるか」「そうですねえ、弊害もある事を知っていながら、どうして強制するんでしょう。お役所のやり方には、何んだか頷けないものがありますね」

 珍らしく、妻も、子供ゆえに、いきまいていた。この頃の学校の子供たちは、予防医学の立場から、と言って、百日咳、ジフテリヤ、チフス、種痘等、無暗に注射攻めにされている。薬毒の恐ろしさを知る私たちは、それ等の注射があるたびに、顔を覆い度い思いである。だから、といって、薬毒を知らず、善意でしている、相手の立場に無理解ではないが、強制、となれば、問題はまた別である。

 自分たち一家が、救世教徒である為めに、学校へ、公然と注射反対の態度を表明し、それと戦う事になれば、事あれかし。と待ち受ける、商業新聞の、悪意に満ちた宣伝材料に使われる。それは、結局、救世教全体へ迷惑を掛けることになる、と、考えて、今までも予防注射は受けさせてきたのだった。

 馬齢を加えた、私たち夫婦は止むを得ないとしても、折角、無医薬で健康に育てた子供達の身体には、一滴の薬も入れたくない。これは、薬毒の恐ろしさを、身をもって体験している、救世教信者の血の叫びであろう。

 高等学校へ行っている長男は、注射のすぐあとで、その個所を口で吸い、そして自分で浄霊してくるが、小さい子供にはそれが出来ないので、家へ帰ってから、私か、妻かがそれをやってきたのであった。

 「一年の時は、ツ反応が、陽性と出たので、BCGはやらずに済んだが、今度はどうだろう」「多分、大丈夫でしよう」

 縫い物の手を休めず、そう答える妻に、その知識があろう筈もなく、もとより、希望的観測から一歩も出ていない事は解っていながら、「そうであってくれればいいが」と、今日の、ツ反応の結果を案じるのであった。

 それから、暫く経ったある日、今年、一年に上る三男に、ツベルクリン反応の検査があるから、連れて来い、と学務課の通知があった。「こんな、小さな子を、どうして痛い思いをさせるのか、学校へ行って話して来ます」そう、勢い込んで行った妻が帰って来たが、結果の悪かった事は、その顔色で察しられた。「学校で何んと言った」「あちらからの命令だから、私たちには、どうにもならないって、てんで取り合ってくれません。ツベルクリンだけは仕方がないからさせて、あとは、神様にお願いしましょう」

 妻のその言葉には、思い詰めた母親の必死の響きが籠もっていた。
 
 心配していた、ツベルクリン反応の結果が解った。学校医は、「お気の毒ですが、この子は小児結核です。今年の入学を延期して、充分療養して、来年、改めて入学させた方がいいですね」と冷めたく言った。

 「小児結核」。校医の診断を聞いた、私たち夫婦の驚きは大きかった。
 
 肺病――死。不吉な翳が、さっと脳裡をかすめた。肺病。もしそうであっても、薬の入っていない身体だから、浄霊で必ず治す事が出来る。治す力を、私たちは神から許されているのだ。この絶対の自信に考えが辿りつくまでには、長い時間がかかった。夢想だにもしない小児結核と、唐突に医師に診断された為に、私たちの気持は転倒し、冷静さを失ったのであった。

 「それにしてはおかしいね。今までに、幾人もの肺病の人を見、浄霊で救ってもきたが、この子に、肺病らしい症状が、何処にあるだろう。近所の同い年の子供に比べて体重は多いし、食欲は見事だし、咳も出なければ、寝汗もかかない。肺らしい形跡は、一つもないが」そう、いいながら、不安そうに両親の話を聞いている子供の、頭、頸、延髄に手をあてて見た。今までの経験で解っているように、この子に何等、そうした病気のない事を、再確認しただけの事であった。

 校医は、都の保健所を指定し、そこで、血沈と、レントゲンの検査をしてくるように、と教えた。

 保健所へ行くと、私たちと同じように、心配そうに、子供を連れた親たちが、幾人も順番を待っていた。血沈の検査は、同い年の子供に比べてやや多いが、レントゲンに写った両肺とも、何の異常も認められない。

 「大丈夫です。この分なら今年から、学校へ上げてもいいでしょう」
 若い、保健所の医師の言葉に、張り詰めた心が、ホッと、ゆるんだ。
 「アア、解った。これは神様の御慈悲」
 帰りの電車の中で、妻は、私の耳に口を寄せて言った。
 「毎日、BCGをうたずに済みますように、神様にお願いしていたので、こんな、とんでもない診断が出たのよ。今、小児結核ならB・C・Gを接種するまでもない事だし、本物の結核なら、今年は学校へ上れないし、神様のお力は実に、深謀遠慮ね」と感嘆した。

 「深謀遠慮は良かったね」揺れる電車の吊皮に掴まりながら、改めて神様の御慈悲に胸がつまり、「良かったなあ。学校へ上れるよ」と、子供の頭をなぜたのであった。
               (昭和二十七年一月八日)

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