御教え集30号  昭和二十九年一月二十七日  (神人合一という事 ) 

  ちょっと面白い事を書いてみました。前に幾らか書いた事がありますが、これも変った事も書き足してありますから、参考になると思います。

      御論文〔⇒神様と私との関係〕【註  地上天国五十七号】

  そういうようなわけで、非常に力も増したし、非常に良いのです。その代り時によると困る事や厄介(ヤツカイ)な事があります。自分のやる事が、いろいろな順序が違ったりすると、神様から気をつけさせられると言いますか、自分の神様が気をつけると言いますか、ちょっと工合の悪い事があります。一昨日お茶の先生が来て――私はお茶を習ってはいないが、お茶を点()てた時飲むだけなのですが――茶席で支度ができたからと案内に来たのです。そうすると、茶道具屋が来ていたのです。家の奥さんが道具屋も一緒にお茶を飲ませようと思って、その部屋に居たわけです。丁度私と並んで、私が先に飲み、その次に道具屋が飲みますが、そうすると私が急に気持が悪くなって、居ても立ってもおられなくなったのです。その時は気がつかなかったのですが、直ぐに立ってその部屋から出たのですが、そうだ、道具屋と並んで同じお茶を飲んだからだという事が分ったわけです。それは霊的にはこんなに違っているのですから……。その時には私の霊が下に下げられるわけです。それで苦しくなるわけです。そういう事が時々あるのです。ウッカリしていると思いもつかない苦しみやいろいろあるのです。家の人もだんだん慣れて来るが、今の事も、奥さんも初めて知って、これから気をつけようという事になったわけです。それから面白い事には、この静岡事件から後は、私は以前のように……以前は事によっては分らない事は神様に伺ってやるのですが、そうすると逆な事を教えられるわけです。それで後でそれが分って神様に伺うともう必要がない、そのやり方は間違っているつまり今までの間接が直接になったわけで、それが分ったので、それからは止めました。そういう事は今までなかったからして、よく神様からお知らせがあったとか、神様にお伺いするという事がいろいろありましたが、それはつまり神様が間接だからです。つまり神人合一という事は、そこに分けられていないわけです。同じになっているわけです。非常に良い点もあるし、慣れるまでは今言ったような事があるのですが、だんだん慣れてゆきます。ですからフッと浮かぶ事でもそれでよいことになるわけです。地上天国でもその他いろいろ造る場合でも、庭なら庭を、どういう形にするとよいという事も直ぐに浮かんで、その情景が見えるのです。見えると言っても、形に見えるのでなくて、霊的に見えるのです。だから非常に簡単なわけです。どっちかというと張合(ハリアイ)がないわけです。前のように考えた方が張合があります。そういうわけですから、今は熱海の地上天国、美術館などもチャンと出来ているのです。部屋の拵え方からみんな出来ているので、張合がないような気がして、次の事を考えているのですが、それでは早すぎるし、妙なわけです。こういう感じの人は、今までおそらく無かったでしょう。

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