御論文

第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る 感冒と肺炎 (自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日)

元来薬というものは世の中に決してない。全部毒物である以上、体内に入れば衰弱を増すのは当然である。勿論其他の凡ゆる方法も悉く浄化停止手段で、衰弱促進であるから、病気即ち浄化苦は軽減する。それを治癒と思う事が誤謬の根本であって、実は病気が真に治癒されたのではない。浄化発生以前の状態に還元せしめたまでである
第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る  感冒 (自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日発行)

しからば肺結核なるものは如何なる原因によって発病するものであるかを深くメスを入れて説いてみるが、それについて予あらかじめ断わっておきたい事は、之までの医学の説とは余りに違うから、読者はそのつもりで全然白紙になって熟読されん事である。
第一篇『結核と神霊療法』

序文 自観叢書第1篇『結核と神霊療法』(昭和24年6月25日発行)

私は神示による実験によって、結核の病原も絶対的療法も知り得たのであるから人類に対し、実に空前の一大福音でなくて何であらう
未発表

御講話(未発表)昭和26年9月21日 速記録〔再掲〕

これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っている
地上天国

時の神様(地上天国5号  昭和24年6月25日) 

一切万有人事百般、時の神様によって支配されないものは恐らく一つもあるまい。興亡常なき歴史の推移も、善悪正邪の決定も、時の神様から離れて存在するものはない。そういう意味で今日善であったものが、何年かの後には悪となり、今日真理としたものも何年後...
地上天国

半文明時代  (地上天国5号  昭和24年6月25日) 

文明を、物心一如の全的文明にまで飛躍させなくてはならない。今後の宗教人の使命や実に大なりと言うべきである。
地上天国

巻頭言 (地上天国5号 昭和24年6月25日)

この意味に於て、吾等は粉骨砕身ふんこつさいしん人類救済の一路を邁進し、神意に添い奉るべき覚悟である。

寸言   (光14号昭和24年6月25日) 

平和を齎もたらさんとして戦争をする、天国を生もうとして、地獄をつくる。健康者たろうとして薬毒を服む、農業を発展させようとして肥料で土を殺す、幸福を得ようとして嘘をつき信用をなくす。人類の福祉を増進する目的で発明発見をしたら、その為に恐怖時代が来そうだ

熱海の天国化  (光14号昭和24年6月25日)

由来、外客は日本人の如く、温泉には余り関心を持たない以上、温泉以外の自然の風致を大いに生かさなくてはならない、それには喧噪卑俗の市街地に遠ざかり、熱海郊外の静かにして眺望絶佳な地点に理想的大ホテルを設置するのが急務である事は勿論である

悪銭身に着かず (光14号昭和24年6月25日)

この際霊眼によって見れば取引所にある紙幣の面には怨みの人間の顔が何千何万となく印画されており、その一つ一つの顔と、その本人とは霊線で繋っているから、取返そうとする想念がそれを常に引張っているという訳で、その紙幣は所有主の金庫には決して永く安定してはいない

時期を待て  (光14号昭和24年6月25日) 

肝腎な事は時期来るまでの期間の辛抱である、物には必ず丁度好い時があるものだ、昔から「待てば海路の日和あり」とか「果報は寝て待て」とか「狙い打ち」とかいう諺があるが、全くその通りである。

天国化と健康問題 (光14号昭和24年6月25日)

地上天国とは言う迄もなく、全人類の三大苦悩である処の病貧争の三厄除去であって、勿論この三災の主要条件としては病気の悩みである、この意味に於て今神が人類を救わんとすれば、先ず第一健康の解決から出発しなくてはなるまい、健康なくして何の幸福ぞやというべきである、もし健康を解決すべき力を有たないとすれば、如何なる宗教も科学も無用の長物でしかないといえよう、何となれば貧も争も健康の解決がなければ成立つ訳がないからである。

日本文化の特異性(光43号 昭和25年1月1日)

闘争という地獄世界を芸術という天国世界に転換させるのである、要するに恒久平和の実現は、武器の脅威で作るのは一時的でしかない、どうしても根本としては思想の革命である、思想の革命とは宗教と芸術以外決してない事を断言するのである。

信仰は信用なり(光13号 昭和24年6月18日)

今一歩進んで神様に信用されるという事、之が最も尊いのである、神様から信用されれば何事もうまくゆき歓喜に浸る生活となり得るからである。

悲劇を滅する (光12号 昭和24年6月11日)

この世の中に於て人間が最も厭いとうのは悲劇であらろう、悲劇を全然無くする事は不可能であるが、或程度軽減する事は敢て難事ではない、それについては先ず悲劇なるものの正体を検討してみよう。

宗教は奇蹟なり(光12号 昭和24年6月11日)

蹟とは勿論人間業では不可能とされたものが可能となり理論では絶対解釈が出来得ない事実を眼の前で見せられるとすれば如何なる疑惑も一遍に煙散夢消するのは当然である。

産制問題の別の観方(光12号 昭和24年6月11日)

それにはまず日本人が平和愛好の民族である事を心の底から安心出来得るようにさせる以外に方法のない事は勿論で、断然この政策を実行すべきであろう

日本人の泣寝入癖(光11号 昭和24年5月31日) 

故に日本が民主的明朗なる社会を造らんとすれば正義の蹂躪じゅうりんに対し断乎として屈せざる事で、即ち善が悪に勝たなければならない事である、この風潮が社会に瀰漫びまんするに於て始めて民主日本となるのである。

瑞泉郷の梗概 (光11号 昭和24年5月31日)

熱海の西南、梅園の奥数町の地点に約四万坪の土地を選び、地上天国の模型を造りつつあることは、既に発表した通りであるが、この地を開発するに従い、実に何万年前より神が準備されたという深い仕組が犇々ひしひしと感ぜらるるのである

此事実を何とみる(光11号 昭和24年5月31日)再掲

私は医学者でもなく、医学を学んだ事もないに係わらず、病気に関する一切は神示によって根本的に知り得たのである、それによれば現代医学が如何に邪道に陥っているかが洵に明かである以上、その事の是正こそ人類救済の第一義でなくてはならない、この意味に於いて私というものは病無き世界を造るべき大使命の実行者として神から選ばれた者である以上、その力を十分発揮し、地上天国建設の大理想を実現せんとするのである。

本教は神道か仏教か(光11号 昭和24年5月31日)

恰度諸々の仏霊は本来の神格に復元されつつある大転換の過渡時代であるから、本教に於ては神仏両様の御扱いを実行している所以ゆえんである。

日本観音教団教義/五六七教教義/寸言(光号外 昭和24年5月30日⑨)

まず病気にかかるとする、最初は西洋医学、次は漢方医学、灸点、民間療法、既成宗教、最後に本教浄霊、解決。というのが実際である。

浄霊の原理  第四(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑧)

ここで、観世音菩薩の由来を書かなければならない、諸仏中ひとり観世音のみは昔から御秘仏とされていた、之は深い神秘があるので、その神秘の全部は未だ時期尚早く発表は出来ないが、何れ神の許しのあり次第発表するつもりである、ここでは浄霊に必要だけの神...

浄霊の原理  第三(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑦)

私の腹中に平常は直径二寸位の光の玉がある、之は見た人もある、この玉の光の塊から光波は無限に放射されるのである、しからばこの光の玉の其本源はどこにあるかというと、之が霊界に於ける観世音菩薩の如意の玉から、私に向って無限光を供給されるのである、之が即ち観音力であり、不可思議力妙智力とも言はれるものである、如意輪観音が持し給う玉も之である。

浄霊の原理  第二(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑥)

霊主体従の原理を説いたが之は独り人体ばかりではない、一切万有悉くはこの法則に漏れるものはないのである、したがって浄霊の目的はこの霊の曇を解消するのである、之によって霊の曇は虚脱状態となる、つまり霊の生を死に転換するのである、死んだ曇りは力が零となるから、神経を刺戟しない事になる、無痛苦となるのはそれが為である、

浄霊の原理  第一(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑤)

、前述の如き奇蹟は実は吾等からいえば奇蹟ではなく、絶対的根拠があり、顕わるべくして現わるという科学的説明の裏付がある

神懸り宗教(光号外 昭和24年5月30日③)

人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、かくのごとき人間こそ生甲斐ある真の幸福者というべきである、もちろん信仰の妙諦もこれにある
第十二篇「自観説話集」

直観の哲学(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日、光号外 昭和24年5月30日⑤)再掲

フランスの哲学者、故アンリ・ベルグソン氏の学説に共鳴した事がある。その説たるや、今もなお想出す事がよくあると共に、信仰上からいっても裨益する処大なるものがある

健康による天国化(光号外 昭和24年5月30日②)

この様な大発見は現代文化の水準を抜く事あまりにも高い為反って誤解を受ける事さえある、故にただ言葉や文章だけでは受入れ難いのは致し方ないのである、ちょうど地上にある人間が屋根の上にいる人間の頭上が見えないのと同様であろう。

日本再建の指針(光号外 昭和24年5月30日①)

日本の使命を具体的にいえば日本全土を挙げて世界の公園たらしめ、凡ゆる美の源泉地たらしむる事である。
地上天国

奇蹟! 奇蹟!(地上天国4号 昭和24年5月25日)

吾々は常に奇跡には恵まれ通しで、知らず知らず麻痺状態になっている。処が今回我々といえども撞着せざるを得ないような奇跡が起った事を報告しよう。
地上天国

霊に税金がかかる(地上天国4号 昭和24年5月25日)

神霊が自分の手を通して文字に印せられるのである。その文字へ霊線によって不断にある高級神霊が霊界における観世音を通し、自分の霊体をまた通し、お守をまた々通しお守拝受者の霊体を通して病患を初め種々の物体に放射され、驚くべき効果を挙げるのである。つまり無機物が有機的存在となって活動するのである
地上天国

神に愛される(地上天国4号 昭和24年5月25日)

神様のお嫌いな事といえば道に外れる事で、即ち嘘を吐く事、他人を苦しめる事、社会に迷惑をかける事などである。処が今日の人は他人はどうなっても自分さえよければよいと思い、それを行動に表わすのがあまりにも多い事である。これが一番いけない。これでは神様のお気に入るはずがない。
地上天国

神霊放射能時代(地上天国4号 昭和24年5月25日)

人間の人体から無限に抽出され、ある方法によって偉力を発揮し得るのである。また今一つの特異性は、その目的が正であり善であり、人類愛的でなければ効果を発揮し得られない事である。これを科学的に説明すれば、鉱物放射能よりも一層の微粒子で、密度が濃厚であり、高度の原素である。

新聞記事と嘘(光10号 昭和24年5月25日) 

日本の新聞記事は嘘が多いという事は以前からよく謂われており、終戦後司令部においても嘘の記事に対し厳しい警告を与えた事実は未だ耳新しい処である。昨年十一月本教が税問題をキッカケとして宗教運動やその他の点にまで各新聞競って虚々実々取混ぜての記事...

社会悪は環境か否か(光10号 昭和24年5月25日) 

社会革命の理念とする他動的罪悪感は社会組織を破壊せんが為の目的から罪を自己に帰せずして社会組織に振向けるという理論によって民衆を踊らせるのであるから、人間はこの意味をよく認識し、従来の過誤を清算し新たなる出発をなすべきである。

宗教事業と社会事業(光10号 昭和24年5月25日) 

本教としては、社会事業のごとき消極的救済は他の機関に委せて積極的独自の救済をもって社会改善に役立つべき覚悟である、これを称して宗教事業というのである

社会悪の根源(光9号昭和24年5月14日) 

社会悪絶滅の方法は別に困難ではない、ただ唯物主義思想を打破する事――それだけである、しからばその方法は何か、言うまでもなく唯心主義教育である、即ち神を認める事である、霊を、霊界の存在を信ずる事である、それが宗教本来の貴重なる使命であ

所謂、迷信の解剖  信仰は飽く迄冷静に(光9号昭和24年5月14日) 

本教を解剖してみる時、本教が行っている救の業は、言う処と行う結果とにいささかの矛盾がないばかりか、むしろ言う以上の良果を挙げている以上、迷信の言葉は当らない

現当利益(光9号昭和24年5月14日)

考えてもみるがいい、そもそも宗教の使命は何であるか、言う迄もなく天下万民の苦悩を救い、この土をして安養楽土たらしむるという――それ以外に何があるであらうか。