出版別御教え

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神言祝詞(のりと) 昭和9(1934)年12月4日

メシヤ様のお作りになられた「神言祝詞」です。今はあまり「神言祝詞」をお唱えする機会は少なくなったと思いますが、メシヤ様が御昇天になられてからは、世界救世教では、大本教の神言を奏上していました。同じ「神言祝詞」でも、大本教の神言とメシヤ様がお作りなられた神言とでは随分意味合いが違うようです。
光明世界

大黒様のお話 −−会主の御講話の続き−− (光明世界一号 昭和十年一月一日)

私は、一昨年の暮から、恵比須大黒をお祭りし、人にも祭らしてゐますが、恵比須大黒に就いての、細いお話は、他日お話する事に致しますが、之を祭ると、確かにお金が入って来ます。病貧争が無くなるに就いて、貧をなくする、之は観音様が、大黒様をお使ひになるのであります。
略年譜

メシヤ様の現界御事蹟 昭和9年・10年

昭和9年、10年のメシヤ様の御事蹟 「大日本觀音会」発会について、 先達「井上茂登吉」、「岡庭真次郎」両先生の寄稿文を掲載。当時のご様子が鮮明に。
その他

はしがき 『天国の花』昭和6(1931)年7月10日発行

現代こそ黄金よりも、大政治家よりも、時速千哩(マイル)の飛行機よりもモツトモツトユウスフルなもの! それは笑ひだ! ほんとに笑ひだ。笑ひこそ万人健康の源泉! 若返りの秘訣だ。幸福は悧巧な面(つら)には見出だせない。何んとあまりにも悧巧な面の多すぎる時代相よ。窮屈な悧巧を粧ふ苦しみから逃れようではないか。で先づ吾等から愉快な馬鹿になつて明るく生きたいと思ふ。
その他

「南無諦め宗」(御発表)

当然のこと、当然のものが本当のものなんであります。  森羅万象一切に狂うものはない。草木の育つのも、太陽が出るのも、ちっとも狂わぬ。天地自然の運行は狂わぬ。悪魔は破壊しようとして、そのために人間を狂わそうとするのです。  神様はこれを救われるわけであります。
その他

私の歩んだ信仰生活 『宇宙』17号、昭和5(1930)年11月1日発行

私の生れたのは東京市浅草区橋場町六十三番地さゝやかな古道具屋です。父は岡田喜三郎と云い、私はその次男であったのです。父は赤貧洗うような中に私を育てゝくれました。だのに、どうしたことでしょう私は性来虚弱でありました。
政治

再び汚職の母体 (栄光二百五十一号 昭和二十九年三月十日)

この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈はかいているが、その実平平凡々、何等新味はなく

政治

汚職の母体 (栄光二百五十号 昭和二十九年三月三日)

汚職の急所とは何であるかというと有神思想であって、実は汚職問題と雖もその発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから始末が悪いのである。言うまでもなく無神思想とは、ズルイ事をしても人の眼にさえ触れなければ済むとする怪しからん考え方であって、然も人智の進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今日である。
神霊科学

浄霊は科学療法なり-1(栄光二百四十三号  昭和二十九年一月十三日)

抑々人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。処が科学はそのような深い点は全然未知なるが為、人間を以て単なる一個の動物と看做し、物質である肉体のみを対象として来たのでから、病気を以て肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質を以て修理しようとする甚だ単純な考え方であった。

大経綸

浄霊は科学療法なり-2 (栄光二百四十七号 昭和二十九年二月十日)

前(サキ)にかいた処の太陽の精なるものは、勿論太陽の霊であるのは言うまでもないが、では何故今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘 的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。
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感じの良い人 (栄光257号 昭和29年4月21日)

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく 考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である
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優しさと奥床しさ (栄光七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

凡そ現代の人間を観る時、最も欠除してゐるものは、優しさと奥床しさであらう。 先づ茲では本教を主としてかいてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み、身魂がどの位磨けたかを知るには一の標準があって、これは左程難しい事ではない、何よりも人と争う事を好まなくなり、優しさが湧き奥床しさが現はれる、斯ういう心と態度 になるこそ磨けたとみてよく、此点最も信仰の価値を見出すのである

薬剤は科学?(栄光二百五十四号 昭和二十九年三月三十一日)      

驚いてはいけない、薬が効くのと病気の治るのとは似て否なるもので、根本的に異っている事である。という訳は 薬が効くというのは苦痛が一時治まるだけの事であって、病気そのものが治るのではない。