ある日の対話(光7号 昭和24年4月30日)

「貴教会の急激な発展の為、世間ではあんまり騒ぐので、当局も大分調査しているような話を聞くが、別に御心配はないですか。」

「お説の通り、本教発展の為恐怖を感ずるもの、嫉視する者、ためにする者などが入り混じり種々の不正手段を用い、当局を動かそうとしている事はよく判っている、これは新宗教には必ずつきもので、キリスト、マホメット等の大聖者を初め日本においても法然、親鸞、日蓮などの例をみても明らかである、ただ釈尊だけそれがなかったのは皇太子という地位の為であった、しかし文化の進んだ今日は寧ろ迫害という程の峻烈しゅんれつな圧迫がない事は有難い時世と思う位である。

 本教が大いに問題の焦点となっている事はそれだけ本教が大宗教である事を如実に物語っているというべきだ。」

「最近○○連合会大会の席上、本教が話題に上り、本教の急激な発展は現当利益が著しいからだという事に帰し、何故に利益が顕著であるかを調査する事に一決したが、貴下はどう思う。」

「それは結構でもあり、結構でないかも知れない、何とならば右の結果として自分の宗教を捨てるという危険があるからである、これについて本教にいささかでも疑念がある人士は徹底的に調査されん事を希望してやまない、それによって本教の正しさと日本再建に当たって如何に有要な存在であるかを認識され得るからである。」

「よく判りました。」と言って帰った。

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