御教え *法隆寺「救世観音」/新宗連/医学迷信(御教え集10号  昭和27年5月5日) 

昭和二十七年五月御教え五月五日

【御  教  え】  この間奈良の方に行って仏教美術を調べ、研究して大いに参考になったんですがね。それを一寸書いてみたんで、今読ませます。

 この間京都、奈良に行って見ましたが、法隆寺に夢殿ゆめどのという小さい――御堂という程のものじゃないですが、お厨子の大きい様なものがあるんです。それは一年に一遍きりしか開けない事になっているが、丁度私が行った時に何の理由か知らないが開くという事になったのです。それで私は、ははあと思ったんです。で、開けてあるのを見たんですが、そうすると中にやはり観音様が居られたんです。その観音様の御像から、とても何とも言えない霊気が、スーッと入って来て、実に良い気持ちだったんです。涙が出そうになった。非常に待って居たんですね。それは非常に深い意味があるんですがね。その時分かったことは、聖徳太子という方は、あれは千手観音の小さいんです。千手観音というよりか、千手観音がまだ充分の御働きが出来ない為に、小規模に色々な事をなされたんです。で、日本に仏教を弘めたのが奈良ですね。仏教の発祥地ですね。そこで急激に盛んになって、法隆寺を始め東大寺――奈良の大仏ですね。大仏みたいな、ああいう素晴しいものが出来たんです。その位仏教が、あの時一時盛んになったんです。で、聖徳太子は仏教を弘める内に、仏教芸術を弘めたんですね。ですから聖徳太子はああいった色々な芸術――仏教的芸術を生んだ事ですし、それが仏教を弘める一つの手段として、そうされたんですね。法隆寺を中心として、あそこに七堂伽藍しちどうがらんを作られた訳なんです。そうかといって、宗教ばかりでなく、何しろあの当時に十七ヵ条の御誓文を作られたんですから、日本における憲法の始めですね。そうすると、政治家と言っても良いですね。政治的能力のある方と、こう言っても良いんですから、単に仏教家、宗教人でもなかったんですね。もつと深い広い、思想的の人だったですね。とすると非常に面白いと思うんです。奈良の夢殿の観音様が、そこにお名前が救世観世音としてあるんですね。これは文献にあるにはあるんです。親鸞上人の書いたのに救世ぐせ観世音とあるんです。それを其時分に救世ぐせ観世音というそれを、私は「メシヤ」と仮名をふった訳ですね。これは私が初めてやった訳なんです。そこで私の方から言うと「救世メシヤ観音」です。救世メシヤ観音が千二百年前にその御厨子ずしの中に入られて、時を待って居られたんですね。聖徳太子様は色々仕事をされるのに、夢殿のある所の部屋で仕事をし――起居されていたんですね。それでその位置に夢殿を作られたんです。ですから夢殿というのは聖徳太子に最も因縁の深い所ですね。その救世メシヤ観音の像に宿られて時を待たれた。で、この間行って開扉して、私が行って、そこから出られたんです。出られて、今度は本当に御働きになる。で、私は今千手観音の働きをしている訳ですね。だから何にでも手を出す。何でも出来る訳ですね。聖徳太子の御働きを大きくした、つまり世界的にしたんですね。それが今私がやっている仕事です。ですから聖徳太子は、やはり観音様が日本に経綸をされる為に、聖徳太子に生まれられたと言っても良いし、聖徳太子を使われたと言っても良いですね。ですから結局観音様が聖徳太子になられて、で今度は聖徳太子が私に生まれて来て、そうしてあの時代の――それは日本だけですからね。日本に対する仏教を弘めた。その手段として芸術ですね。それを作られたという事を、今度大きく世界的にして、つまり仏教じゃない――あらゆる宗教ですね。あらゆる――世界的宗教、世界的救いですね。それをやる。と、そういう様に解釈すると大体解ると思うんです。ですから私が美術館を造ったり色々する事は、聖徳太子の世界的り方と、こう見れば良く解ると思いますね。

  そんな訳で私は以前から、自分は聖徳太子に或る点は非常に似た所があると思っていたんですがね。今度行ってその因縁がはっきり分かった訳ですね。私が、自分ではっきり言うと、非常に頭が良いんです。聖徳太子の話に、八人の人の話を聞き別けたという事が有名で、伝説にありますが、あれはおまけも大分あるでしょうが、とにかく頭の良かったという事は確かです。で、あの時分の色んな仏教芸術の、聖徳太子の独創的な物も随分ある様ですからね。私はラジオを聞きながら何か読むとか見るとかしながら、それから人の話を聞く。三人四人位な事は行りますがね。けれども、そうすると頭を余計使いますから骨が折れます。それで、俺は聖徳太子に似ているなと思う事がありました。そんな様な具合で、余程――今度行っても面白かったですね。ですから千手観音の働きをするんです。仮りに美術品なんかも、道具屋が驚いている。どんな人でも一色ひといろ二色ふたいろ、茶器の好きなものはお茶に関するもの、絵が好きな人は絵。絵でも浮世絵の好きな人もあるし、水墨的なものが好きな人もあるし、光琳こうりんの好きな人もあるし。大和絵やまとえ錦絵にしきえとか色々あります。私は全部好きでやってます。支那陶器でも仏像の方でも、だから恐らく私位間口の広い人はないそうです。ですから美術館なんかといっても、大抵全般的にわたってという美術館はないです。外国にもないでしょう。イギリス、アメリカあたりの美術館、博物館の図録を見ても――もっとも日本のものなんかは手に入れられないから仕方がないが――どうも局部的ですね。今度の美術館は全般的ですからね。ですからその点に於ては世界一と言っても良いですね。それも或る一部のものも、唯全般的につまみ食い的ではなくて、一種類一種類深く集めた訳ですから、仮りに日本の蒔絵なら蒔絵。蒔絵の極く最高のもの。一寸見られない様な、そういう様なものを集めるとか、或いは支那のものにしても、仏像の様なものにしても、その種類の内で一番高い――最高のもの、一級品を集めてありますから、とにかくそういう方面に目のある人は驚くだろうと思いますね。それを行(ヤ)り始めると、私は直きに分かっちゃうんですよ。だから殆ど買損いがない位ですね。それから贋物と本物が直き分りますからね。沢山――何百とありますが、贋物は一つもない。面白いのは、贋物は幾ら上手く出来ていても、私がこう見ると、霊気で分かる。良い物は――本当のものは、何とも言えない良い霊気が入って来る。贋物ですと、その贋物を作った人の魂がそこに入ってますから、上手くだまして本物に見せて、金を儲け様という邪念がフッと来てますから、実に良く分かる。で、買損いがない訳ですね。だからよく――うんと月謝を払わなければ、判る様にはならないという事をよく言われてますが、私は殆ど買損なったものはないんですね。だからロハで――月謝なしで習った訳ですね。そんな様な訳で美術館が出来るとかなり世の中の人は驚くだろうと思ってます。  

 最初、開館式は六月十五日のつもりです。六月十五日、六日――日光殿も広くなったし、信者さんもいよいよ増えてますし、美術館が出来た以上は一刻も早く見たいですから、どうしても多勢来られる事になりますから、十五日から五日間という様な事にしますがね。そうして信者さんを何より先に見せて、それから七月の月初めに、関係がある人に見せるべく――数十人――それを招待して見せ様と思う。私が最近「東洋美術協会」というのを作って――私が作ったのではないが、私が相談相手になって作ったんですが、これが丁度五十何人か会員が居る。これは著名な人ばかりです。会長は武者小路実篤むしゃのこうじさねあつですね。作家のね。あの人が会長です。この人を会長にしたが、他の人はやっぱり色んな事情で会長になれない。最初は小林一三いちぞうさんを会長にと思ったが、色んな事情で勘弁してくれという。それから細川護立もりたつさんね。それも駄目なので、それで武者小路さんに決まったんです。まあそういった方面の人から、色んな著名な人ばかりですね。で、そういう人達も七月の月初つきはじめに見せる。それから新聞社、放送局だとか、そういう色んな方面の人をんで、それから一般の人を見せる。そういう順序に決まった訳です。何しろ神様がやっているんですから、美術館に飾る様なものは不思議に入って来るんですよ。だから、どうしてこれを手に入れただろうという様なものが随分ありますから、その点でも、見る人は随分驚くだろうと思います。

美術館に関した事はその位で、それからこれは、今度新宗連ですね。新宗連で新聞を発行するというので、私に記事を書いてくれというので、それを書いてみたんですが、今読ませますが、これは今の――現在の宗教人そういう人に読ませる意味で書いたんです。そのつもりで。

(御論文「今後吾等は如何にすべきや」)

  結核問題に就いて、大体出来て、これから印刷に掛かろうと思ったんですが、随分念を入れて書きましたから、これを読んで解らない者はないだろうと思います。それに就いて、今度御蔭話の一つですが、現代医学の間違っている点が非常に良く現われているので、それを今一寸読ませます。

(「恐るべき医学迷信」)  【註  栄光一五七号】

  つまり、それで思う事は、こうして自分がやった病人がこれ程に治った事を知りながら、それっきりになっちゃうんです。唯不思議だとね。こんなに治るものなら、大いに研究しなければという心が起らなければならない。それを、ヒドラジドなんてやって大騒ぎをやる。それで、完全に――もっと治る、もっとはっきりしているのを医者が何とも言わないし、それにこういう記事を一年位前から厚生省に送っているんですが、こういう記事を読んでいるはずですが、それで知らん顔しているんですから、こういう人の頭脳ですね。何と言って良いか、到底表現しようがないんです。私はこの点に於ては野蛮人より低いと思う。これを野蛮人が見れば、これは大変だと大騒ぎをしますね。それを頑として頭を変えないですよ。これは非常に強い迷信ですね。この迷信は宗教に負けない。宗教以上と思う。医者が始終御蔭話を見れば解りますが、始終各地で医者は驚いているんです。それで何とも言って来る人はないし、それを厚生省の連中が見ていて、それで何とも言って来ないんですから、それは実に不思議ですよ。けれどもいずれは頭を下げます。唯遅れれば遅れるだけ犠牲になって命をなくす人が沢山ありますから、それが如何にも可哀相だと思ってね。

 

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