[みあとしのびて]最後の御巡教地となった吉野。吉野神宮に参拝

 メシヤ様の最後の関西御巡教となった吉野。少し紅葉し始めた吉野神宮に行ってきました。近鉄吉野線の吉野神宮前で下り、坂道を20分ほど登ると吉野神宮に着きます。吉野神宮の前の道路を登っていくと蔵王堂があるようです。多分下の写真のすぐ前ぐらいでメシヤ様のお車は動かなくなったのだと思います。
神宮は閑散としていましたが、隅々まで掃除も行き届いている感じがしました。お守りなど置いてあるのに誰もいない・・・?。
拝殿で御参拝したい方はベルを押してください(玉串一口、千円)とあったので、住所など申し込み用紙に記入してインターホンを押すと返事があり、宮司さんに拝殿に入れてもらい、お祓いとご参拝、後醍醐天皇にまつわるお話や、参拝に来られたかたのことなど、心のこもったお話をして下さり、お土産までいただきました。帰るときには売り場に女性の方もいらっしゃいました。笑
(この日は皇居で大嘗祭が執り行われ、こちらの神宮も併せて執り行ったと思われるので、お忙しかったのだと思います)
現当利益的な神社が多い中、吉野神宮は派手さはありませんが、心静かに落ち着ける神聖な空間でした。紅葉はこれからが見頃です。

この門のすぐ前の道が、金峯山寺の蔵王堂へ続く道です。お車はこの辺りで止まったと思われます。

昭和二十九年4月13日、御宿舎奈良ホテルを立たれた明主様は、南へ下って吉野山に向かわれた。今にして思えばこれが明主様関西地方ご巡教の最後の一日となったわけであったが、この日のひとつの不思議な出来事は、今も忘れ得ぬ思い出となっている。

 (中略)

お車が停まり、運転手の山口さんがボンネットを開けて点検している。どうしたかと駆け寄ると、何処にも故障がないのに、車が動かない。不思議だ不思議だと首を振るばかりである。


「この社は何というか、そして御祭伸は」

明主様のお言葉にふと気がつくと、お車は丁度吉野神宮の前で止まっているのであった。

「ハイ、吉野神宮でございます。たしかご祭神は後醍醐天皇であったと思います。

「ここに参拝しないということがあるか」

おことばするどく、すぐ明主様は下り立たれた。慌てた私たちは、さっそく社務所に走り込んだ。丁度宮司の方は旅から帰られたばかりとのことで、明主様にしばらくお待ち願い、祭服に召し換えられ、明主様をご案内して御神前に進まれた。明主様の御祈念は永かった。

私たちには、霊的な御因縁というような事はわからないが、お車がお社の前で、故障もしないのに動かない。その不思議さ。御神霊が明主様の参拝をどんなに待たれたことか。天皇の悲劇的なご生涯と思い合わせて、明主様が吉野を旅の一日に加えるように仰せになったことも、こうした御参拝のお気持ちが感応していたのではないかと思わされ

(中略)

ご参拝が終わるとお車は何の手入れもせずに動き出した。

「みあとしのびて」森山町実太郎著より抜粋


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