*前世/人間 御光話録 昭和23年9月28日 奥付不明①

前世

《お伺い》霊は個性を持っているのに、再生した場合前世の事を記憶していないのはなぜでしょうか。

《御垂示》判らない方がいいんですね。判ってはいけない。以前俺は何々だったと判ると障りになる。ちょうど寿命が判ってはいけないのと同じです。つまり何時までも生きてると思うから働けるのであり、あと何年何月で終わりと判ったら働けない。前世の事は魂そのものにも判らないのです。もし判れば「あいつは前世で俺の家来だった」という事になってしまう。ただある霊覚を持って来ると判る事があります。私も歴史上これは自分だと思われる人々が相当あります。私は天皇にもなった事がある。それは応神天皇で、最初麹町で治療所を作った時「応神堂」と称した。また尾形光琳、義経もそうです。度々生れてますよ。光琳なんか好きで好きで仕方なく、美術をやっていた時は何の気なしに光琳堂と称してました。尾形は岡田と通じてます。

人間は失敗したり苦しんだりして行く間に段々曇りがとれる

《お伺い》人間の個性と霊の個性の関係について

《御垂示》これは連(つら)なりがある。人間の個性は霊の個性が表われるんだから。ただ見た目には違うように感じる。それは両親やその人の動物霊によって違うのです。二重人格はそれです。

《お伺い》向き合って話をしている間にも違った半面の表われる人がありますが。

《御垂示》正守護神と副守護神が出たり引っ込んだりするのです。迷いとはそれです。今の人はほとんど皆魂が曇っているので副守護神の方が表へ出てしまう。そこで間違いをするのです。そして失敗したり後悔したりするのです。だから私は「人生は後悔の連続だ」というのですが、曇りがとれるに従って魂が輝き判断が正確になるのです。人間はよくできていて失敗したり苦しんだりして行く間に段々曇りがとれるのです。

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