自観叢書 第九篇 「光への道」天理教 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日) 此事柄は、他宗を非難する事になるのでかきたくはないが、何かの参考になると思うからかくのである。之は大本教時代の事であったが、私が小間物問屋をしてゐる時に使った蒔絵師で、熊井某という男があった。之は熱心な天理教信徒であって、支部長となる事にな... 2020.07.28 2020.10.29自観叢書 第九篇 「光への道」
大経綸御講話 未発表、昭和26(1951)年9月21日(速記録) これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っているが、ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。 2020.06.29 2020.11.10大経綸未定稿仏教
自観叢書 第九篇 「光への道」大本教脱退の理由 (自叢九 昭和二十四年十二月三十日) 之はよく聞かれるから、簡単ながら弁明する事にする。確か昭和二、三年頃だったと思うが、 2020.02.17 2020.10.29自観叢書 第九篇 「光への道」
その他私の歩んだ信仰生活 『宇宙』17号、昭和5(1930)年11月1日発行 私の生れたのは東京市浅草区橋場町六十三番地さゝやかな古道具屋です。父は岡田喜三郎と云い、私はその次男であったのです。父は赤貧洗うような中に私を育てゝくれました。だのに、どうしたことでしょう私は性来虚弱でありました。 2019.09.06 2020.10.21その他ホーム