【体験談Mr.Right】№8 お許しが無いと、毎十日祭にも参加が許されない霊

 私が新潟から異動になり、箱根事務所に勤務していた数年間は、私の身辺に不思議な出来事が頻繁に起こった時期でした。

 前回も書きましたが、箱根では毎月さまざまな奉仕研修が開催されていました。北陸のA君(20代後半)も、毎月のように奉仕研修に参加していました。私は、若いのに毎月のように研修に参加されて熱心だなあと感心していましたが、一方では何の仕事をしているのだろうと不思議に思っていました。ある時に、同僚に彼のことを聞いてみると、ガンでご守護をいただきたい一心で研修に参加しているんだということでした。

 研修では、同じ班になったこともないので、話をしたことも、ご浄霊を取り次いだこともありませんでした。残念なのは、当時の箱根事務所の共通認識の無さです。朝拝の時に、他の信者さんのいる前で呼び掛ける必要は無いかも知れませんが、少なくとも職員には事情を説明して、一緒に御祈願をしてほしいと言っておくべきではなかったかと思っています。こちらから聞いていかないと、誰も話してくれないというタテもヨコも連携が取れていなかったように思います。

 風通しの良い聖地の組織であってこそ、全国各地から救いを求めて、あるいは願いをもって研修に参加される信者さんを受け入れる霊界が出来上がると思いますが、非常に冷たい組織だなあと感じていました。私も50歳半ばを過ぎていましたが、はじめはデスクもない状態で、コピー用紙を置いてあるテーブルが仕事場という環境で、新職員のような雰囲気の中で御用させていただいていました。こんな温かみの無いところでは、光も遮断されて奇蹟も起きないだろうと思っていました。

 そして、数か月が過ぎたころ、A君が亡くなったと聞きました。この時も、事務所の上役からではなく、同僚からの又聞きでした。本当に残念な組織だと思いました。上司の人間性なのか、組織風土なのかは分かりませんが、本当に冷たい組織だと思いました。

 その頃の私は、やるべき業務がない時や、業務の合間に時間の取れる時に、ご浄霊をいただきたい方に、優先してご浄霊を取り次ぐように上司から言われていました。従って、事務所に併設している信者休憩所の一角に、カーテンで仕切られた“浄霊室”で、対象者にご浄霊を取り次ぐようにしていました。

 初めのうちは、事務所のデスク(人事異動でデスクが空いたので、デスクが与えられました)に居て、ご浄霊を頼まれれば浄霊室に行くというようにしていましたが、前段のように事務所の雰囲気が嫌いだったので、朝礼のあと信者休憩所にパソコンを持って行って、誰かに頼まれたすぐにご浄霊を取り次げる態勢で待機していました。(勿論、上司の許可のもとで)

 そんなある日の夕方、奉仕研修に参加していたというB子さんからご浄霊を頼まれました。彼女は、A君と同じネットワークの人で、彼の毎十日祭(20日祭か30日祭)が明日あるので、その為に今回の奉仕研修に参加したということでした。その時が初対面でもあり、時間的にも夕拝時間が迫っていたので、30分位のお取り次ぎで終わったと思います。特段変わった様子もなく、普通に会話をして別れました。

 翌日の朝拝終了後、私が休憩所に行って間もなく、B子さんが来られて「ご浄霊をお願いします。」ということでした。昨日は普通の人だと思っていたのですが、今日は少し様子が変だと感じました。私が「どうかしましたか?」とたずねると、「私は少し霊感が強いところがあって、A君が憑っているっているようです。」ということでした。B子さんは、意識まで占領されてしまう霊憑りではなく、憑った霊からのメッセージを感じるタイプのようでした。従って、霊が憑っていても、普通に会話ができました。

 B子さんは「今日は毎十日祭のみ祭りがあるのに、お浄めをいただかないと紫微宮に入れないようです。」といいました。私は「十日前のみ祭りの時も、そうだったのですか?」と聞くと、「そのようでした。」という返事でした。私は「それでは、少し時間がかかると思いますが、いいですか。」と聞くと、「大丈夫です。よろしくお願いします。」とのことで、その後は、会話をすることなく一時間以上かけてご浄霊をさせていただきました。

 祭典の時間も近づいてきましたし、B子さんの様子を見ても大分楽になった感じだったので、「いかかですか?」と声を掛けました。B子さんも「随分と楽になりました。これで大丈夫だと思います。」と言いましたので、ご浄霊を終了して、「それでは、行ってらっしゃい。」とB子さんは勿論、A君を意識して声を掛けて見送りました。

 その後は、休憩室でパソコンを打ちながら、「お浄めいただかないと、紫微宮の中に入ることができない。」というA君からのメッセージに思いを馳せながら、そういうこともあるのだろうなあと思いながら、どれだけ大勢の霊が、紫微宮の中に入って御供養を受けたくても受けられないでいるのだろうかと、思っていました。

 教団では、「祖霊舎」といっていた施設を「紫微宮」という名称に変更しました。明主様は、「極楽における最高は。神界における第二天国に相応し、仏説による都卒天それである。そこに紫微宮があり、・・・」とみ教え下さっています。普通の人は、だいたいは中有界に行くはずなのに、「紫微宮」と名称を変更したために、天国までは行かれないということなのだろうか。厳格な霊界では、そういうこともあるのだろうか、といろいろと考えていました。

 そうした時に、ザーッと雨が屋根を打つ音がしました。それも、ほんの一瞬でした。今日は、雨予報はなかったはずなのにと思いながら、窓を見ると遠くの空は晴れています。外に出て空を見上げましたが、確かに雲はありましたが雨を降らすような雲には見えませんでした。時間的に、祭典が終わった頃なので、私はA君の涙雨だなと思い、「知らせてくれてありがとう。」と想念を送りました。

 午後になって、B子さんが私のところに来て、「午前中はありがとうございました。さっき、一瞬雨が降りましたでしょう。丁度慰霊祭が終わった時でした。あれはきっとA君の涙雨ですよね。私はそう思いました。こんな現象を見せられて、私も来た甲斐がありました。これで、安心して帰れます。本当にありがとうございました。」といって帰って行かれました。

 今回の場合、A君とB子さんが同じネットワークということで、縁もそれなりに深い関係でしたし、B子さんが霊感の強い人だということもあって、普段は考えてもみないような霊界の事情を知ることができました。しかし、その後は、B子さんとも合っていないので、A君は40日祭や50日合祀祭と言う時には、紫微宮の中に入って慰霊を受けることができたのだろうかと疑問が残りました。

 慰霊祭等では、対象の祖霊様の名前を読み上げたあと、供養させていただきますが、全員が紫微宮の中で供養を受けている訳ではないということなのでしょうか。勿論、紫微宮の中で御供養を受けている霊もあれば、自力では入れずにご縁のある人に憑って入らせていただく霊もあり、中にはどうしても中に入ることが許されず、紫微宮の外に居る霊もいるということでしょうか。中に入れない霊が、どのくらいの割合でいるのかは分かりませんが、以前は入れたのに、「祖霊舎」から「紫微宮」に名称を変更したために、入ることができなくなったということであれば、考える必要があると思います。

 昔は、祖霊舎の中でも霊憑りがあったと聞いていますが、救われたい霊も自由に出入りできたような以前の祖霊舎が良いのか、紫微宮と名称を変えて自由に出入りできない霊が大勢いるような現状が良いのかは分かりません。ただ言えることは、祖霊様たちはどちらを望んでいるのかという問題ではないでしょうか。霊界の厳格さは、私たちには分かりません。だからこそ、霊的なことに関しては、もっともっと慎重になるべきではないかと思います。

 また、私もそうですが、ご縁のある霊に憑られていても、全く気づくことなく日常生活を送っています。そういう人の方が、結構多いのではないかと思います。従って、浄化されている方は勿論かもしれませんが、健康な人にご浄霊をお取り次ぎする場合でも、ご縁のある祖霊様がお浄めをいただきたいと一緒にいることもあるということを意識の中において、お取り次ぎさせていただくことが大切ではないかと気づかされた事例です。

by Mr.Right

 主人のお父さんの50日祭の御祀りの時だったと思いますが、箱根祖霊舎の50日祭に参拝させて頂いたのですが、普段、あまり霊感のない私ですが、祭典中、嬉し涙が出てきて止まらなかった記憶があります。お父さんが喜んでいらっしゃるのだろうなと思いました。

             八尾屋

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