金詰りの原因/今日の世相/旭日昇天(光47号 昭和25年1月28日)

金詰りの原因

 今の世の中で誰も一番困っているのは金詰りであろう、至る所金詰りの声が充満している、とすれば一体金詰りの原因は何であるかを知る事と、何時まで続くかという事とどうしたら解決出来るかという事とこの点を誰も知りたいであろうからここに説明してみよう。

まず金詰りとは、いう迄もなく物の不足からで、不足するから値が上る、値が上るからその売買に金が多く要る事になる、ズンズン値が上るから騰(あが)らない中に買溜しておこうとするから、仮需要によっていよいよ物が不足する、騰る、金が要るという鼬(いたち)ゴッコでついに尨大な通貨発行となったので之がインフレの原因である、故に物が上るだけ通貨の発行高が増えるので通貨が物価を追い馳けている訳で、此趨勢で行くと金詰りは起らないが其代りインフレがどこまでも大きくなる、そこでロッジ案によって紙幣発行を制限したから堪らない、今迄膨れ放題の物価は上がる事が出来なくなった、それが為通貨という袋一パイに拡がっていた物価の膨れと隙間のない程キッチリになった、それが金詰りである、いわばそれまで貨幣の方が物価に引ずられて来たのが、今度は逆で貨幣が物価を引ずるようになった訳で、斯うなっては、貨幣の袋は延びないから物価の方が縮まるより外に仕様がない事になるので、物価が縮まればそれだけ隙が出来る、隙が出来ただけ金詰りは緩和されるのである、したがって、物価が縮まる事は下落であるから、今後は物価が下落するより外に道がないのである、処がその限度であるが、この限度たるや大変である、何しろ百倍も二百倍も騰ったのであるから、本当の限度といえば百分の一にも二百分の一にもなっていい事になる、しかし、一本調子に下落したんでは経済界の打撃が大きいから時々政府はカンフル注射を行う、それがこの間の証券市場へ百億を放出した事である、これで金詰りの原因と限度が判ったであろうが、次は時機と解決法である、時機はまず二、三年は掛るであろう、その間紆余曲折の相当ある事はいうまでもないが、そのようにして物価が最低になった時が解決した訳で、そこへ向って行進を続けるのであるから、その覚悟が肝腎である、政府に於ても勿論物価と睨み合せて、漸次貨幣を縮小する事は勿論で、経済界に与える打撃を最少限度に止めつつ通貨を圧縮するのが当局の手腕で此点に苦心を要するのである。

しかながら、右は国際関係が現在のままを標準としてかいたのであるが万一戦争の如き大事が勃発するとしたら、解釈は大いに異う事になるので、この点も考慮に入れておく必要があろう。

今日の世相

 今日の世相位悪化している事は未だ曽(かっ)てなかったであろう、何よりの証拠は犯罪の激増、監獄の超満員、未解決裁判の多数、迷宮入り事件の少くない事等によってみても明かである。

 右の事実は表面に現われただけのもので、いわば氷山の頂点でもあろう、ここで私の経験をかいてみるが、私は多数の信者に面会するはもちろん社会各層の人に接するが、未信者にはできるだけ遇わないようにしているが、遇わない訳にゆかない場合もある、それで自然その人達の談話や行為に触れる事になるが、本当に信用のできる人は滅多にない、たまには人格者と思える人もあるにはあるが、その殆んどは実に面白くない人ばかりだ、何よりも直に尻から剥げるような嘘を平気でつく、否面談している時でも嘘をつく、それが私にはよく判るので、それを聞く辛さは堪らない程だ、そうして肚の底は私を騙して金や物資を得ようとするだけなので、近頃は絶対に近い程遇わないようにしている。

 彼等は私を大金持の坊ちゃんと心得ているらしい、最初からなめ切っている、処が私はうまく逃げるので彼等は吃驚するので、実に滑稽である、彼等はこんなはずではなかったと余りの意外に後悔する事がよくある、全く愚かなものである、私はいつも言う通り、そんな狸や狢(むじな)共に騙されるような事で、世界人類が救えるかと言いたくなる、考えても見るがいい、そんな甘い人間としたら数十万の人間から尊敬され、短期間に大発展するはずがないではないか、この現実が、彼等には見えないので、全く明盲というの外はない。

 以上のような訳で、今日右のごとき人間の多い事は驚くべき程である、しかしながらその手口たるや、実に巧妙を極め感嘆に堪えないものがある、私はいつも之等の智慧を善い事に使ったらどんなに成功するかと惜しいと思うが、しかし一歩退いて考えれば悪い事であるから智慧が出るので、善事では駄目という事を知っているから悪へ走る事になるのであろう、彼等を一言にしていえば上面(うわつら)利巧の真(しん)馬鹿である、面白い事は信者と未信者との異いさの余りにはなはだしい事である、彼等に接する事は危険この上もないと反対に、信者に接する場合は実に気持が快く吾子に遇うようである、全く悪魔と神ほどの違いである、これについて熟々(つくづく)思う事は信仰の有る無しがこうも違うかで、帰する処信仰者でなければ人間の部へは入らないとさえいつも思うのである。

 以上によってみても、一人でも多く信者を作らなければならない、そうでないとしたら日本の前途は実に寒心に堪えないのである。

旭日昇天

 本教に対し、次から次へと妨害者が表われるのはなぜであるかをかいてみよう、本教のような明朗な宗教に問題など起るはずがない訳で不思議に思うであろうが、それには理由がある。

 これを最も判り易い譬えは、朝太陽が東天に昇る時、大抵は雲が表われては光を遮る、それと同様で本教は旭日昇天の勢で広まろうとするのを、次々雲が出ては遮ろうとする、それが妨害者であるから、その仇雲の消散する迄には相当の時を要するは致し方ないのである。

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