「犬がじやれつき御神体に——」
座敷に置いた犬ですか。
     「隣の時計屋で犬と猫を飼つて居り、奥さんについて来た犬がじやれつき、殆ど
     分らない程ですが『来』の字にかゝつております」
   隣の時計屋の人が犬を連れて来たというわけですか。其犬は座敷に住んでいる犬で
 すか。
     「座敷に住んで居ります」
   それは、見て気が附かない位ですか。
     「左様で御座います」
   気が附かない位ならそれで良いですが、良くお詫して浄めれば良いです。それから
 此次は犬を一緒に連れて来ない様にという事をよく言つて、そうして若しか連れて来
 た時は、犬丈遠慮して貰いたいと頼むのです。大体犬は座敷に上るという事は嘘で
 す。法に外れているのです。犬というのは、土間に居るのですから、土間に置く可き
 です。然も神様をお祀りしてある処に四足を入れるという事は大変な御無礼です。信
 者というものは気がゆるんでいるのです。神様に対する尊敬心を忘れているか、ゆる
 んでいるかしているのです。だから隙があるわけです。
     「同じ時計屋で、同業者の関係がありますので、時々見えます為に心配して居り
     ます。明主様に御伺いして来るからと、一時お外しして参りました」
   飛んでもないです。その考え方というのが何うかしている。それは一日も一刻も早
 く御神体を——離せないとか、仕舞えないとか、という観念がなくてはいけないので
 す。それを御無礼とかなんて言うのは全然問題になりません。若しそう思つたら、其
 処の家に何か囲いを竹か何かで作つて、犬を連れて来た時は其処に入れる。さもなけ
 れば犬を連れて来たら断つたらどうですか。私の処は神様をお祀りしてあるので御無
 礼があつては困るからと言うのが当然です。それで承知しなかつたら絶交すれば良い
 のです。その位の信念がなければ本当に信仰に入つているのではない。あなたもそう
 いう事は良く言い聞かせなさい。そういう事は肝腎な事だから、しつかりしなければ
 いけない。
垂示録13号 昭和二十七年九月一日
  
  
  
  
