自観叢書

自観叢書 第1篇〜第15篇

 

 

 

 

第四篇「奇跡物語」

黄泉比良坂の戦(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)再掲

この標題について、時々たずねられるから概略解説してみよう。これはもちろん古事記にあるものでそれを如実に私が体験した経緯をかくのである。
第四篇「奇跡物語」

霊写真(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)  

昭和三年二月の四日の節分の日、それまで従事していた仕事を全部放擲し信仰生活に入った記念日でもある。勿論神示によって私の使命を覚り、幾多の奇蹟によって確信を得たからで、全身全霊を打込まざるを得ない事になったからである。この時から昭和九年五月一日東京市麹町区平河町に一小家屋を借り民間治療所を開業する迄六年三ケ月の間、凡有あらゆる霊的研究と相俟って神幽現三界の実相を把握し、人間の病気と健康に関する一大発見等によって、神霊治療こそ、病無き世界を出現し得べき絶対的方法である確信を得たからである。処がこの年一つの大奇蹟が顕われた
第四篇「奇跡物語」

入信後の神懸り (自観叢書第四篇『奇跡物語』昭和二十四年十月五日)再掲

忘れもしない大正十五年即ち昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起った。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。
第四篇「奇跡物語」

本教救いの特異性(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日) 

本教の使命は地獄で苦しんでいる人達を、天国へ救うので、それによって社会を天国化そうとするのである。この意味に於て、人を天国へ救うには、先ず自分が天国に上って天国人となり、大衆を救い上げるのである。
第四篇「奇跡物語」

私の告白(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)

昭和元年から観音様は始終私の肉体に懸られ、私に種々な事を教えられ、命じられ、自由自在に私の肉体を使われるのである。全く私を機関として一切衆生を救わせ給うのである
第四篇「奇跡物語」

観世音菩薩と私(自観叢書第四篇『奇蹟物語』昭和24年10月5日)

観世音菩薩と私との因縁について皆知りたがっているから、ここに開陳する事にする
第四篇「奇跡物語」

『奇蹟物語』序文(自観叢書第四篇 昭和24年10月5日)

本教の出生は日未だ浅いが、実は私が企画したものでは全然ない。全く観世音菩薩が時期到来によって、因縁ある私の肉体を行使され始めたのであるから、実は菩薩御自身が開教されたものである
第一篇『結核と神霊療法』

結核と神霊科学(自観叢書第1篇 『結核と神霊療法』 昭和24年6月25日発行)

今日顕微鏡で見えない細菌を濾過ろか性といっているが、この濾過性よりも何百万倍否何千万倍位極微なる神霊微粒子の存在が明かになっていないからで、将来顕微鏡科学が進歩の極に達した時初めてこの神霊微粒子を発見さるるので、是に到って初めて宗教と科学の一致が如実に実現さるるのである。
第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る 結論(自観叢書第1篇 結核と『神霊療法』 昭和24年6月25日発行)

真理を発見し、病なき世界たらしむる事の可能である事の確信を得た以上、黙止し能わざるに至ったのである。そうして永い人類史上にも全然見当らない、私の仕事というものを客観する時、神は私をして人間が病苦から解放さるる時来ったことを示すと共に、それを遂行すべき大いなる力を与え給うたのである。
第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る 結核の原因(自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日発行)

 右の如き症状は、緩慢かんまんなる毒素排除作用であるから、放任しておけば殆んど治癒するのであるが、病理不明の医学は遮二無二浄化停止を行う。其方法は何人も知る通り絶対安静を金科玉条とする。安静は運動停止であるから、この位衰弱させるものはない
第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る 感冒と肺炎 (自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日)

元来薬というものは世の中に決してない。全部毒物である以上、体内に入れば衰弱を増すのは当然である。勿論其他の凡ゆる方法も悉く浄化停止手段で、衰弱促進であるから、病気即ち浄化苦は軽減する。それを治癒と思う事が誤謬の根本であって、実は病気が真に治癒されたのではない。浄化発生以前の状態に還元せしめたまでである
第一篇『結核と神霊療法』

結核は治る  感冒 (自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24年6月25日発行)

しからば肺結核なるものは如何なる原因によって発病するものであるかを深くメスを入れて説いてみるが、それについて予あらかじめ断わっておきたい事は、之までの医学の説とは余りに違うから、読者はそのつもりで全然白紙になって熟読されん事である。
第一篇『結核と神霊療法』

序文 自観叢書第1篇『結核と神霊療法』(昭和24年6月25日発行)

私は神示による実験によって、結核の病原も絶対的療法も知り得たのであるから人類に対し、実に空前の一大福音でなくて何であらう
第十二篇「自観説話集」

直観の哲学(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日、光号外 昭和24年5月30日⑤)再掲

フランスの哲学者、故アンリ・ベルグソン氏の学説に共鳴した事がある。その説たるや、今もなお想出す事がよくあると共に、信仰上からいっても裨益する処大なるものがある
第五篇『自観随談』

大本信者時代の私(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

教祖出口直子刀自は、経たての教えで小乗的であるに反し、出口王仁三郎師は大乗的緯よこの教えであったからである。
第五篇『自観随談』

狂信(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  五、書について(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

絵画や美術工芸なども、古人の方が優れている事は定説となっているが、書に至っても同様で、私は古筆などを観る毎に感歎するのである。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  四、陶器 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  三、蒔絵(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先ず外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来ている。勿論その...
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  二、彫刻 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違い、昔から名手は非常に少かった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  一、絵画 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

日本画の現在は危機に臨んでいると言ってもよかろう。事実容易ならぬ事態に直面している事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であら
第五篇『自観随談』

馬鹿肥りは病的だ (自観叢書第五篇 『自観随談』 昭和24年8月30日)

尿意を催した時、我慢する事を止めるべきで、尿意を我慢するなどという些細の原因から生命を失う結果となる事を考えたら、実に恐ろしい話で大いに注意すべきである。
第五篇『自観随談』

湯西川温泉 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

無医薬と菜食が如何に健康に好いかという事実で、全く私の説を裏書してをり非常に面白いと思った。
第五篇『自観随談』

奥日光から塩原へ(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登った
第五篇『自観随談』

アルプス紀行(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

上高地は千古斧鉞ふえつを入れざる大森林で、山気身に迫り、みた事もない木や草が繁っている状は全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然と現はれて来そうな気がする。
第五篇『自観随談』

二人の盲の話 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は子供心にも天罰の恐しさをつくづく知ったのである
第五篇『自観随談』

映画 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

最後に邦画に求めたいものは大仕掛けのものと天然色とで之は一日も早く実現せん事である。
第十二篇「自観説話集」

進歩的宗教  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

現代人の生活をよりよく改善し、指導的役割を遂行する事こそ真の宗教の使命であるべきで、一言にしていえば、進歩的宗教こそ現代人を救い得る価値あるものというべきであろう。
第十二篇「自観説話集」

方法論と結果論 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

今後は方法論を撤回し、結果論のみによって唯物医学と唯心医学との論戦を戦わすべきが本当ではあるまいか。斯くして真に人類に役立つべき新文化の発展を期待し得られよう
第十二篇「自観説話集」

科学が迷信を作る (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

迷信ならざるものを迷信と断づる事も、一種の迷信である。故にジャーナリスト諸君に要望したいのは、迷信邪教に対しては大いに筆誅(ひっちゅう)するを可とするが、迷信邪教ならざるものを迷信邪教と誤認する事の危険を言いたいのである。それは文化の進歩の阻害者となるからである。
第十二篇「自観説話集」

私というもの (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

 私は若い頃から人を喜ばせる事が好きで、殆んど道楽のようになっている。私は常に如何にしたらみんなが幸福になるかということを念(おも)っている。私は、「人を幸福にしなければ、自分は幸福になり得ない。」と常に言う
第十二篇「自観説話集」

私の観た私 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

私というものを職業別にすれば宗教家、政治、経済、教育の研究家、文筆家、文明批評家、特殊医学者、歌人、画家、書家、建築設計家、造園業者、農業者、美術音楽批評家等々実に多彩である。
第十二篇「自観説話集」

善人よ強くなれ (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

まず善人が団結し連盟を作るのである。名称は悪徳排除連盟とでも言ったらよかろう。こういう案を私は提唱するのだが、之こそ社会改善に対する最も有効手段と思うからである。
第十二篇「自観説話集」

第三宗教 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

私の幾多の説には、凡ゆる宗教の滋味(じみ)、天文、地文、言霊、易経、哲学、文学、政治、経済、芸術、霊界談義から演劇映画に渉ってまで書くので、人は驚くのである。特に神示の霊医学や、神霊の発揮に至っては、古往今来世界に類例をみないと言われている
第十二篇「自観説話集」

低気圧は人災なり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

昔から台風や、暴風、洪水等はすべて天災と言い不可避の現象として諦めていた事は誰も知る処であるが、吾等から言えば実は天災ではなく人災である。それを之から解説してみよう
第十二篇「自観説話集」

智慧の光 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

一時的でなく、永遠の栄を望むとすれば、深い智慧が働かなくてはならない。そうして深い智慧程誠の強さから湧くのである
第十二篇「自観説話集」

自然無視の文化  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

て毒素排泄作用の最も簡単なるものが、感冒である。感冒に罹る事によって肺炎も肺結核も免れ得るのであるから、感冒を奨励するとしたら、結核や肺炎は何分の一に減ずるかは火を見るよりも瞭(あきら)かである。しかるに之に気のつかない医学は逆理によって、感冒の場合毒素排泄の停止手段を行う結果、結核や肺炎は更に減少する処か、反って増加の傾向さえ見られるのは何よりの証拠である
第十二篇「自観説話集」

日と月 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする-というように凡(すべ)て月と反対であり、この理によって昼の世界は凡てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。之では争いの起りよう筈がない
第十二篇「自観説話集」

学問のズレ(自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

新発見なるものはそれまでの既成学理の型には当嵌らないのが当然で、当嵌らないだけ其価値がある訳である。一言にして言えば型破りでありそれが大きければ大きい程、価値が大きいのである。故に真理と思ったものもいつか葬り去られるという事は、それ以上の真理が生れたからで、斯くして止りなき文化の進展がある
第十二篇「自観説話集」

神秘の扉は開かれたり (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである