岡田茂吉 岡田茂吉を学ぶ | 栄光

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世界画の完成 (栄光 七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である
2021.08.26
栄光

糞の弁 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

糞の弁とは、詰めれば糞便と言う事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸わせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸うのであるから、謂わば人間という万物の霊長は、糞溜といってもよかろう、だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ
2021.08.26
生活

正愛と邪愛 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

故に、主義とすれば世界主義だけが本当のもので、宗教と雖も、世界主義的でなくては本当の救ひとは言えないのである。本教が世界の文字を冠したのも、そういふ意味からである。
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迷信の定義 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

此様な訳で、絶対の迷信もなければ、絶対の正信もないのが真理であってみれば、先づ宗教でも他の如何なるものでも批判する場合迷信の分子よりも、正信の分子が多ければ多い程、価価ある訳であるから、充分炯眼(けいがん)を開いて誤りなきを期すべきである
2021.08.26
栄光

祝詞 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)※秋季大祭祝詞

掛(カケマク)も、綾に尊くいと高き、五六七大御神( ミロクオオミカミ)の御前(ミマエ)に、謹しみ敬(イヤマ)ひも白すらく、昭和二(フタ)廻り五歳(イツトセ)の、秋の佳(ヨ)き日の足(タ)る日を、選(エラ)み定めて予てより、深き経綸(シグミ)の大御心に、天国此土に写しまさんと
信仰

新人たれ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

本教は知らるる如く、世界の転換期に際し、全人類救ひの為に、誤れる文化に目醒めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽く迄新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいふ二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言ふのは、その意味である。
2021.07.27
栄光

どちらが迷信だ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

私は些(いささ)かも悲観はしない。何となれば、凡ては神様が救世の力を揮はれてゐる以上、問題は時期である。時期が来れば吾等を迷信と見てゐた人達が、実は自分の方が迷信であった事に気がつき、本教に教えを乞ふべき日の、必ず来る事を確信して、其時を待つのみである。
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天国は芸術の世界 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)

吾々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも勿論芸術である、前者は前述の如く、生命の芸術であり、後者は農業の芸術である、之に加えて吾等が地上天国の模型を作るのも美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである、之即ち地上天国ミロクの世の具現である。
2021.07.26
栄光

展覧会を観て(下) (栄光 七十一号 昭和二十五年九月二十七日)

巨匠名人といはれる程の画人は、例外なく客観性を逸してはゐない、厳とした主観があってそれを客観で包んでゐる、例えば主観とは人間なら骨である、骨を包んでゐる肉や皮膚があってこそ客観の美がある、処が今の油絵は皮膚や肉がない、只骨の露出だ
芸術

展覧会を観て(上) (栄光 七十号 昭和二十五年九月二十日)

上野に開催中の二つの展覧会を観た、一つは院展、一つは二科会である、どちらも現在日本に於ける東西絵画の代表と思ったからだ、そこで見たままの印象を、茲に赤裸々にかいてみよう
2021.07.20
栄光

神仙郷の意義 (栄光 七十号 昭和二十五年九月二十日)

世界の公園は日本であり、日本の公園が箱根であり、而も強羅は箱根中眺望第一の位置であるから箱根中の公園といってもよからう。面白い事には、神仙郷は元日本公園であった処で
2021.07.20
栄光

文化の創造 (栄光 六十九号 昭和二十五年九月十三日)

戦争の真の原因は病気である、病気といっても肉体の病気のみではない、精神の病気である。それは狂ってゐない精神病者である、人類からこの狂はない精神病者を健全に導く事こそ根本的解決策であらう。之以外戦争絶滅などは痴人の(たわごと)にすぎない事を信ずる
2021.07.14
大経綸

新旧文化の交代 (栄光六十八号 昭和二十五年九月六日)

原子の破壊から絶対免れんとすれば前述の如く悪を善に転化する事である、この力こそメシヤの力でなくて何であらう、唯然し、善悪の大転換が行はれるとしても善化しない悪人も多数あるに違ひないから、此様な見込みのない者は清算されるより致し方ないであらう
2021.07.20
栄光

世界はどうなる (栄光 六十七号 昭和二十五年八月三十日)

何となれば焼かれるといふ事は曇り即ち汚穢があるからで、汚穢のない浄体となれば焼かれる理由がないからで、其様な浄体になる方法こそ最後に現はれるべき絶対的救いの力に縋る事で茲に警告する処以である
2021.07.20
栄光

本紙再刊に就て (栄光六十六号 昭和二十五年八月二十三日)

今回の事件を機とし、本教全般に亘り、機構を改革した事である、先づ私は今迄救世教教主としての地位を退き、今後は布教にのみ専念する事となったのである、之も御神意に因る事は勿論で、人間の考えでは到底判り得ない事は、いつも時の進むに従って深き御経綸からであった事を悟るので
2021.07.20
栄光

御教え集16号 昭和二十七年十一月七日 ※日本の使命(昭和二十七年十二月十五日発行)

今迄思想でも宗教でも何でも、その国の特有の色があるのです。処が日本はそういう色を綜合して、白にして、それがつまり本当のミロクの代の文化になるわけです
栄光

宗教以上のもの (栄光百九十四号 昭和二十八年二月四日)

我救世教こそ時代を救い、万民をリードする使命を帯びて生まれた宗教である。
栄光

一つの神秘 (栄光八十三号 昭和二十五年十二月二十日)

先頃、私が入獄中、種々の神秘な事があったが、時期の関係上全部知らせる訳にはゆかないから追々知らせるとして、今は只一つだけの事をかいてみよう。
大経綸

神仙郷地上天国の大いなる意義 (栄光二百十六号 昭和二十八年七月八日)

神の経綸なるものは最初は極く小さく造り、漸次拡がって終には世界大となるという洵に神秘極るものである。これは現界にも当嵌る。
対談

日置昌一氏との御対談(栄光 百八十六号 昭和二十七年十二月十日 その2)

現代の画家の画は筆に力がないのです。それは現代の美術家の普段の生活が違っているのです。力というものは食物が大いに影響するのです。ビフテキを食べたり牛乳を呑んだりしていては力は出ないのです。それで仕方がないので塗抹絵になるのです
2021.03.09
対談

明主様をお訪ねして語る 文芸春秋誌顧問 日置昌一氏 同編集局次長 近藤利弥氏(栄光 百八十六号 昭和二十七年十二月十日)

先ず観音教をメシヤ教とお変えになられましたのはどういう理由でございましょうか。 明主様: 私は世界人類を救うのが目的ですから、その名も世界的でなくてはならぬと常々思っていたからです。
2021.03.04
芸術

ピカソ展を観て (栄光 百三十五号 昭和二十六年十二月十九日)

そこでありの儘をかいてみれば、先づ第一之が絵画というものであろうかという疑問である。一体何処に美しさがあり、何処に良さがあるのであろうか、之を室内に飾って、果して楽しめる人が一人でもあるであろうか、というように考えれば考える程分らなくなって了う。
対談

明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何 (栄光百七十九号 昭和二十七年十月二十二日)

宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います
2021.02.10
霊視日記

霊視日記(15) 五三中教会  茨木よし子 『栄光』251号、昭和29(1954)年3月10日発行

一月二日 昭和二十九年の正月を迎え、明主様に御面会へと出発致しました。御面会場に着いた時には信者さん方は一ぱいお入りになり私は後の方でありました。伏しおがむ御神前からは強烈な白光が放射され曇り多き私は目のやりどころがなく
お蔭話

霊界は在りや (栄光 百二十二号 昭和二十六年九月十九日)※体験談 ”昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる”

本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思う
2021.03.19
栄光

悪人は病人なり(栄光 百三十一号 昭和二十六年十一月二十一日)

此標題を見たら、誰しも首を捻るであろう。何故なれば、悪人でも、健康そうに見える者も沢山あるからで、寧ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。然し之は表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつもいう通り、悪人というものは悪霊が憑依して、本守護神を押込め、正守護神を蹴ッ飛ばして、早くいえば其人の霊の大部分を占領して了い、悪霊自身が主人公になり済まし勝手気儘に振舞うからである
2021.03.19
信仰

之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日)

其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。
2021.01.09
出版別御教え

悪の追放 (栄光百七十三号 昭和二十七年九月十日)

何故なれば薬は全部毒であるからで、毒を服んで身体が健康 になるなどは、石が流れて木の葉が沈むである。つまり薬という毒で、一時病気を圧 え苦痛を緩和させるだけの事で、其結果薬毒が病気を作り、年中鼬鼠(イタチ)ゴッコを し乍ら、人間は段々弱まって了うのである。
2020.10.26
大経綸

九分九厘と一厘 (栄光 百三十八号 昭和二十七年一月九日)

戦争の原因は人間に内在する悪そのものであって、此悪なるものの本質は何であるかというと、曩にもかいた如く動物霊の意欲の表われであって、其行為が動物的であるに見ても明かである
2020.10.26
栄光

救世教奇蹟集 序文 (栄光二百二号 昭和二十八年四月一日)

私はこれ以上かきたいが、それでは純宗教書になるからこの辺で止めておくが、読者はこの意味を充分銘記して、精読されん事である。それと共に本教を以て従来の宗教観を捨て、宗教以上の超宗教として見られん事である。
2020.10.29
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地球は暖くなった (栄光 百九十号 昭和二十八年一月七日)

 これについて私は廿数年前から唱えて来たのだが、勿論それは霊界のことであって、何千年来夜であった世界は、約百年前から明らかに昼の世界への転換が始ったことである。そうして夜は月の精であるから冷いが、昼は太陽の精であるから暖いに決っている。勿...
対談

明主様 フランスのパリ・マッチ誌主筆 レモン・カルティユ氏夫妻と御対談 その2(栄光164号 昭和二十七年七月九日)

特に面白いと思ったのは、ロジ・カルティユ夫人が明主様に「『世の苦しみを治す手』という題で出し度いから御手を写真とらせて戴き度い」と咄嗟に申し出た時である。全く奇抜な題ではあるとその機智に感心した。之に対して明主様は「あゝ、いいよ」と心易く横向いて手を翳されるとピカッとフラッシュが光る
2021.03.01
大経綸

世界人たれ (栄光 百二十四号 昭和二十六年十月三日)

終戦直後或軍人上りの人が私の処へ来て、憤懣に堪えない面持で『今度の降伏はどう考えても分らない、実に怪しからん』と言って、憤慨しながら話かけるのだが、私の方はサッパリ気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く『先生は日本人ですか』と質くから、即座に『私は日本人じゃない』と答えると、彼はギョッとして、震え乍ら『では何処の国の人間ですか』と質き返えすので、私は言ってやった。『つまり世界人なんですよ』
2021.01.08
大経綸

最後の審判とは何か (栄二百十三号 昭和二十八年六月十七日)

世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って余りに穢(キタナ)くどうにもならないものは、地上から永遠に抹殺される外はないから、恐ろしいのである。
2021.06.13
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「文明の創造」 天国篇(栄光百三十七号  昭和二十七年一月一日)

私は科学篇、宗教篇を次々かいて来たが、之から最後の天国篇をかくのである。併し此所論は真の意味に於ける前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるものである
2020.10.20
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⦿(ス)の文化 (栄光百七十三号 昭和二十七年九月十日)

言い換えれば九分九厘の悪を一厘の善の力で往生させるという意味である。恰度○全体が黒く塗りつぶされようとする時、チョン一の力で、反対に黒を消して白全体にして了うので、之を世界的にいえば空虚な文明に実を入れる。即ち魂を入れるのである
2020.10.20
大経綸

東方の光  (栄光百八十二号  昭和二十七年十一月十二日) 

今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から東方の光という言葉が生れ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄此言葉の意味が本当に 分らなかった為、今尚謎のまゝになっているのであるが、私は之に就て真の意味を知らせようと思うのである。
2021.06.25
大経綸

六韜三略の巻 (栄光百十九号 昭和二十六年八月二十九日)

之は全く、仏滅後ミロクの世を御造りになる大経綸の、深い仕組をかかれたものに違いなく、其文字はミロクの神様の御神示をかかれたものであって之こそ私が現在実行しつつある、多種多様の神業のプログラムで、私が見真実になった時、已に明されたものである。
2021.06.29
ホーム

私は宗教科学者だ (栄光255号 昭和29年4月7日)

近来学者間に於てヴィールスは無機物か有機物かの論議があるそうだが、実に滑稽である。それは無機物から有機物に変化せんとする中間粒子であるからで、どちらとも決められないのである。従って肝腎なのは無機物発生の原地であって、これが霊界である。故にこれが分れば最早顕微鏡の必要はなくなる訳である。
2020.10.20
政治

再び汚職の母体 (栄光二百五十一号 昭和二十九年三月十日)

この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈はかいているが、その実平平凡々、何等新味はなく

2021.06.24
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