栄光

栄光

御任せする(栄光132号  昭和26年11月28日)

物事が巧くゆかない原因には、執着が大部分を占めている事を知らねばならない。私がよくいう逆効果を狙えというのもその意味で、つまり皮肉の皮肉であって之が実は真理である
お蔭話

祖霊祭りに就ての注意 (栄光133号 昭和26年12月5日)

いつもいう通り、宗教を代えた場合、其宗教の先生に勧められるまま、祖霊を祀り変えるが、之は大いに注意すべき事である。下記の御蔭話には其点祖霊が出てよく分からせたので、大いに参考になる
栄光

私の仕事を邪魔しないで呉れ(下) (栄光132号 昭和26年11月28日)

私は世界文化の為と、日本将来の為を思い黙々として努力して来たのであって、神助によって兎も角順調に進んで来た今日、満足には思っているが、此事業は私が行らないとしても、誰かが行らなければならない切実な国家的、否世界的事業であり、それが早ければ早い程、文化の向上に資する処大であろう。
栄光

私の仕事を邪魔しないで呉れ(上)(栄光131号 昭和26年11月21日)

私の最初からの計画は世界に二つとない自然美と人工美とをタイアップさせた一大芸術品を作ろうとするのである
栄光

舌に代えて (栄光 第130号 昭和26年11月14日)

恐らく世の中に幸福の嫌いな人は一人もありますまいから、幸福の欲しい人は、遠慮なくドシドシお出で下さいとお勧めする次第であります
栄光

BCG問題(栄光130号昭和26年11月14日)

以前は薬で固め得たものも、今日では固まり得なくなった為で、それが今度の問題の原因である。その様な訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、何れは医師自身が凡ての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分かって
栄光

医師は本教の協力者 (栄光126号 昭和26年10月17日)

もし医療だけで健康になって了ったとしたら、悪人は善人になる機会がないから、社会悪は何時になってもなくならない、
栄光

御蔭話から何を得る(栄光125号昭和26年10月10日)

現在凡(あら)ゆる病人は、現代医学より外に安心して病気を委せ得るものはないと信じ切っている心理状態で、殆んど信仰とさえ思える程である、それ処ではない、政府当局も同様、現代医学以上のものはないと決めてしまって、毎年巨額の国費を投じ、能う限りの奨励をしている
栄光

人間の価値は正義感 (栄光125号 昭和26年10月10日)

結局人間は正を踏んで恐れず式で、正々堂々と邁進するのが一番気持が良く、それが本当である。そういう人間こそ、社会の柱となり、社会悪の防塞ともなるので、健全な社会が生れるのである。何となれば神は正なる者には、必ず味方されるからである。
世界救世教教義

世界救世教々義 (地上天国と自然栽培の巻) 序文 昭和26年10月10日

処が日本人の悪い癖は、どんな立派な発見でも、お膝元のそれは、仲々信用しようとしない欠点である
栄光

禽獣まで (栄光129号 昭和26年11月7日)

家畜の社会も大いに病気が増えたようである。これが生産面に及ぼす影響も、仲々馬鹿にならないのである。これは全く近来流行の注射の為である事は間違いない
栄光

医学の革命 (栄光129号昭和26年11月7日)

貧乏の原因も病気であり、個人の争いも、国家間の戦争も、残らずその原因は個人々々の病気にあるのである、しかし一口に病気といっても体的ばかりではなく、霊的の病気もあって、戦争の原因といえども、もちろんこの霊の病気にあるのである。
栄光

一種の罪悪(栄光129号 昭和26年11月7日)

悪質ジャーナリストを矯正させるには、この位徹底しなければ分かるまいと思ってかいたので、これも多数の命を救おうとする以上、また止むを得ないのである。
栄光

大宅壮一という人 (栄光129号 昭和26年11月7日)

この人は不思議な頭脳の持主である。今度も『東京日日』の「蛙のこえ」で、三回に亘って例の通り巧妙に私の悪口を書いたが、この人は20年も前から、親の仇のように私を狙っていて、根気よく時々私の悪口を新聞に出している
栄光

相応の理とその他の事 (栄光181号 昭和27年11月5日)

およそ真理とは、分り易くいえば相応の理であって、相応の理とは一切万事合理的で、釣合がとれ、何等破綻のない事をいうのである。従って人間生活とすれば円満で自然順応をモットーとすべきである。
信仰

行詰り(栄光180号 昭和27年10月29日)

行詰った際、振向いてよく考えてみれば分かるはずである。それによって何処かしら間違っている点に気がつけばいいので、人間は普段から精々知恵を磨いておくべきでそれにはできるだけ御神書を拝読すべきである。
栄光

宗教と病院  (栄光181号  昭和27年11月5日)

愈々時期到来夜と昼との交替が始まったのである。それに就ては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、此表われとして其頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである
栄光

インテリの不具者 (栄光128号 昭和26年10月31日)

この不具者が、社会の指導的役割をしているのだから、社会は良くなるはずはない。というのは、指導される連中も、先達が片眼だから、自分達も片目でなけりゃ駄目だと思って、ことごとく片目になって了(しま)っている。つまり片眼が本当の人間と錯覚して了うからである
栄光

今の医学 (栄光128号 昭和二十六年十月三十一日)

今日の医学は、赤裸々にいえば、病気の治る医学ではない、治ると思う医学である
栄光

本教の強味 (栄光128号 昭和二十六年十月三十一日)

標題のごとく、他のいかなる宗教にも見られない強味を、本教は有(も)っている事で、それを今ここにかいてみよう。というその主なる点は経済面である。普通宗教と言えば、昔からその宗派なり団体なりを維持運営する為の費用は、全信徒からの寄付によるのはも...
栄光

私は威張る 栄光127号 (昭和二十六年十月二十四日)

斯んな夢のような事が、実際上出来るかと思うであろうが、出来るのだから大変だ、としたらどんなに威張ってもいいではなかろうか
栄光

医学迷信 (栄光128号 昭和二十六年十月三十一日)

現代医学が、いかに素晴しい迷信であるかは、我々にして初めて言い得ると共に、一日も放っておけない重大問題である事を叫びたいのである
阿呆文学

真理は簡単だ 阿呆文学(二)(栄光87号 昭和二十六年一月十七日)

難しく考えるから難しいんで、易しく考えれば何でもないんだよ。だからそのつもりで簡単に考えると、いとも簡単に判るんだ。
栄光

御守りの偉力 (栄光八十七号 昭和二十六年一月十七日)

原爆たりとも、御守を身につけている以上、驚くには当らないという事を、如実に示されたのである。
栄光

十方世界の意味 (栄光86号 昭和二十六年一月十日)

経文には、尽十方世界という言葉があるが之を知りたい人も、多からうからかいてみよう。
栄光

寸鉄活人  (栄光 125号  昭和二十六年十月十日) 

間違い、気狂い、取ッ違い、履き違い、感違い、思い違い、考え違い、見込違い、了見違い、喰違い、見当違い、説き違い、言い違いと、斯んなにも沢山あるんだから、此違いさを直すこそ、神様に違いあるまい
浄霊

自分で病気を知る法 (栄光125号 昭和二十六年十月十日)

病気を知る方法としては、自分で自分の体を触ってみる事である、頭の天辺から足の爪先迄撫ぜてみるのが、一番よく分かる方法である、必ず熱のある処が、一個所や二個所位あるもので、そこに病気があるのだから、そこの処を自分もしくは誰かに浄霊して貰えばいい
栄光

第三次戦争は免れる事が出来る (栄光126号 昭和二十六年十月十七日)

根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けて来た為であって、之が唯物教育であるから、此観念を是正する事によってのみ解決されるのである。では何故そうであったかというと、つまり唯物教育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目同様にしたからで、寧ろ当然な結果である。
栄光

現代医学進歩の窮極  (栄光121号  昭和二十六年九月十二日) 

現代医学が、此儘で進歩したとしたら、結局どうなるであろうかを、想像してかいてみるが、病気は浄化作用であり、医療は浄化停止であるという事が判ったとしたら、之も予想出来ない筈はない。だが之を知らない人が、初めて此文を読んだとしたら、大いに驚愕す...
栄光

御教え集1号 昭和二十六年八月十一日 *キリスト教徒なるが故に( 昭和二十六年九月二十日)

途中で 心から変更すれば助かるが、折角——綱につかまれば良いのを、何うしてもつかまら ないで、暗闇になっているのですが。
栄光

信仰の自由  (栄光121号  昭和26年9月12日) 

本当に立派な宗教ならば、他の如何なる宗教へ触れても、迷いの生ずる懸念などあり得ないから、安心な訳である。だから私はどんな宗教でも触れていいばかりか、寧ろ大いに研究される事を希望するのである
対談

明主様 夢声氏対談記 (下) (栄光九十九号 昭和二十六年四月十一日)

やがては科学の進歩によって実証されるでしょうが、現在ではこの中間子の極点と神との間が空白になっているんですが、そこまで科学者の頭が行っていないので分からぬのです。わたしはこれを科学的に説明して、理論神霊学と名付けてますが、これを読めば分からないはずはない。
栄光

世界画の完成 (栄光 七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である
栄光

糞の弁 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

糞の弁とは、詰めれば糞便と言う事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸わせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸うのであるから、謂わば人間という万物の霊長は、糞溜といってもよかろう、だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ
生活

正愛と邪愛 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

故に、主義とすれば世界主義だけが本当のもので、宗教と雖も、世界主義的でなくては本当の救ひとは言えないのである。本教が世界の文字を冠したのも、そういふ意味からである。
栄光

迷信の定義 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

此様な訳で、絶対の迷信もなければ、絶対の正信もないのが真理であってみれば、先づ宗教でも他の如何なるものでも批判する場合迷信の分子よりも、正信の分子が多ければ多い程、価価ある訳であるから、充分炯眼(けいがん)を開いて誤りなきを期すべきである
栄光

祝詞 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)※秋季大祭祝詞

掛(カケマク)も、綾に尊くいと高き、五六七大御神( ミロクオオミカミ)の御前(ミマエ)に、謹しみ敬(イヤマ)ひも白すらく、昭和二(フタ)廻り五歳(イツトセ)の、秋の佳(ヨ)き日の足(タ)る日を、選(エラ)み定めて予てより、深き経綸(シグミ)の大御心に、天国此土に写しまさんと
信仰

新人たれ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

本教は知らるる如く、世界の転換期に際し、全人類救ひの為に、誤れる文化に目醒めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽く迄新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいふ二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言ふのは、その意味である。
栄光

どちらが迷信だ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

私は些(いささ)かも悲観はしない。何となれば、凡ては神様が救世の力を揮はれてゐる以上、問題は時期である。時期が来れば吾等を迷信と見てゐた人達が、実は自分の方が迷信であった事に気がつき、本教に教えを乞ふべき日の、必ず来る事を確信して、其時を待つのみである。
栄光

天国は芸術の世界 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)

吾々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも勿論芸術である、前者は前述の如く、生命の芸術であり、後者は農業の芸術である、之に加えて吾等が地上天国の模型を作るのも美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである、之即ち地上天国ミロクの世の具現である。