栄光

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年頭の辞 (栄光137号 昭和27年1月1日)

経の中心は日本であり、緯の中心はアメリカであって、何れは経と緯が結ばり、それから真の文明が生れるという其説と一致しているではないか、とすればそろそろ米国の有識階級にも、そういう考え方が兆きざして来た事が窺われるのである。この様な訳で段々私の予言している事が、全世界の動きにも現われ、誰が眼にも映る事となるであろう
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ビルマ米について(栄光141号昭和27年1月30日)

何故なればビルマ地方は無肥料であるから、多収穫であるのが、日本では人為肥料を多量に施す以上、駄目に決っている。其理由で前記の如く本教農民であるから、無肥料の為多収穫となったのである。
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速度の芸術とピカソについて(栄光140昭27年1月23日)

絵画とは眼から摂取する人間の精神的食物であってみれば、不味まずい物よりも、美味おいしい物を食わすべきで、それが画家としての良心である
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暴力は野蛮時代の遺物なり (栄光139昭27年1月16日)

我浄霊療法は、何等物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく不具者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、之程素晴しい理想的療法はあるまい。之こそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。従って何れは世界の医学はこの療法一つになる
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絶対力(栄光139号 昭和27年1月16日)

抑々そもそも宇宙に於ける森羅万象の活動の源泉は、言う迄もなく神の力である。一切の生成流転も力の現われであり、万有を動かすのも、静止させるのも勿論力である。人間始め凡ゆる動物から、黴菌に至る迄力によって生れ、力によって死滅する。要するに力こそ無限絶対なる支配者である
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神を見せる宗教(栄光138号 昭和27年1月9日)

それに就て私がいつも言う如く、本教は宗教ではない、超宗教であり、大いなる救いの業である。
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地上天国に就て(栄光137号昭和27年1月1日)

一言にしていえば道義の頽廃たいはいであり人間のレベルの如何にも低下している事である。そこで近来識者も、教育家も、其点に関心を持ち始めた。尤も戦後自由思想の行過ぎなどの原因もあるが、差当り教育、道徳、修身等を復活興隆させるより外ないとして、寄々協議中との事だが、此様な場合日本は決して宗教に求めようとしないのは、不思議とさえ思えるのである。
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医学が悲劇を作る(栄光140号昭和27年1月23日)

医療被害者が到る処に満ちており、全国では何万何十万に上るか分からない程であろう。としたら何と悲惨な世の中ではあるまいか、忌憚なく言えば、戦争よりも寧ろ恐ろしい位である。成程戦争の恐るべきは誰も知っているから、世界を挙げて其防止に努力するが、此方は反対に可と信じ切っているのであるから、問題は容易ならぬものがある。
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地上天国を造る  (栄光108号  昭和26年6月13日)*日比谷公会堂講演会原稿

私の喋舌る内容は殆んど今迄の教や説とは変っている。少しばかりの変り方ではない。大いに変っているのであります。処が実をいうと、些かも変っていない、当り前の事なのであります。
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この事実を見よ /お陰話「長い苦しみから救われた数々」(栄光107号昭和26年6月6日) 

折角入信しても、一度信仰を離れるや、神様の御守護がなくなり、災い交々来るという実にいい実例である。又現代医学が如何に無効果である処か、反って悪化させるという事実である。之なども世の中の人は、全然気が付かないのである
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毒結五十年  (栄光107号昭和26年6月6日)

下痢の原因の個所は私が常にいう如く、殆んど頭と背中である、それで其部の毒結が溶けて、一旦腹に集まり下痢する場合と、飲食物の中毒による場合と両方がある、特に頭の浄化による場合は血液が多く出る、其際肛門から出るのを痔出血と言い、それが腹の方へ一旦滞溜してから出るのが赤痢である
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奇蹟の解剖  (栄光107号昭和26年6月6日)

人間には本、正、副の三つの守護神がある、この関係は以前かいた事があるから略すが、右の中の正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊で、危急の場合助けたり、重要な事は夢で知らせたり、又特殊の使命を有つ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある
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芸術宗教 (栄光107号昭和26年6月6日)

本教位芸術を重視している宗教は外にはあるまい。否昔からも見なかった、というのは、本教の最後の目的である処の地上天国は、芸術の世界であるからである。勿論地上天国とは病貧争絶無の世界であり、真善美完き世界である
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狐霊でさえ薬毒の害を知ってる(栄光136号昭和26年12月26) 

狐霊が人間の生命を奪とろうとする目的で憑依する場合、無暗矢鱈に薬を服ませたがるものである。故に斯うみてくると、現代科学者よりも、狐霊の認識の方が正確であるという事になる
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悪は何故暴露するか (栄光136号昭和26年12月26) 

悪は人には知れなく共、自分だけは知っているのだから、この点が問題である。何故かというとどんな事でも、人間の肚にあるものは何でも彼んでも、手に取るように分る或恐ろしい処がある。其恐ろしい処とは一体何処どこかというと、之が霊界にあって現界でいえば検察庁のような処で、所謂閻魔いわゆるえんまの庁である
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算盤と能率(栄光136号昭和26年12月26日)

明主様は特別な御方だから、到底真似は出来ないと弱音を吐くが、この考え方が大いに間違っている。勿論私のようにはゆかない迄も、其人の心掛次第では、案外成績を挙げる事が出来るもので、断じて行えば鬼神も避けるという意気込を以て、ウンと行やるべきである。
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再びBCG問題について(栄光135号 昭和26年12月19日)

結核発病とは浄化発生であるから、之によって根本的に治るので結構であるのを、医学は逆に解し、其浄化を停めようとしてBCGを使うのであるから、発病者が減るのは当然である。併し一時抑えである以上、一旦は減っても年々継続するに於ては、自然抗毒作用が発生し、漸次効果が薄れてゆき、而もBCGの薬毒の浄化も加わるから何れは非常に悪質な、結核患者激増時代が来るのは、火を睹みるよりも瞭あきらかである
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食欲と頭脳 (栄光135号 昭和26年12月19日)

ここに於て食欲不振の原因が、後頭部にあるという新発見した訳であるから、信者諸君も一度試みてみたらいいと思う。
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山彦学校は共産思想培養の学校? (栄光134号 昭和26年12月12日)

勿論霊的にみれば、本教を傷つけんとする邪神が、山彦学校の校長や先生に憑依したまでであるが、兎に角邪神の方でも最も脅威の的である本教に対し、絶えず彼あの手この手の戦術を用いている其執拗さで、実に油断がならないのである。
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一切の不幸は病気から(栄光134号 昭和26年12月12日)

肉体の病気と精神の病気とについてザットかいてみたが、要するに人間一切の不幸の原因は、病気である事は一点の争う余地はあるまい。
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無神迷信(栄光134号 昭和26年12月12日)

人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないという只其一点だけを、彼等の肚はらの底へ叩き込む事である。
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無肥四十年の蜜柑 (栄光133号 昭和26年12月5日)

之は全く土か種かに肥毒が残っている為であって、どうしても肥毒の抜け切る迄には、四、五年以上経たなければならない。それで初めて本当の味が出るのである。
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霊憑りについて(栄光133号 昭和26年12月5日)

それは本教信者は自分は御守護が厚いから大丈夫だ、邪神など容易には憑れるものではないと安心している其油断である。この考え方が隙を与える事になり、邪神は得たり畏しと憑依して了う。而も小乗信仰者で熱心であればある程憑り易いから始末が悪い。
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御任せする(栄光132号  昭和26年11月28日)

物事が巧くゆかない原因には、執着が大部分を占めている事を知らねばならない。私がよくいう逆効果を狙えというのもその意味で、つまり皮肉の皮肉であって之が実は真理である
お蔭話

祖霊祭りに就ての注意 (栄光133号 昭和26年12月5日)

いつもいう通り、宗教を代えた場合、其宗教の先生に勧められるまま、祖霊を祀り変えるが、之は大いに注意すべき事である。下記の御蔭話には其点祖霊が出てよく分からせたので、大いに参考になる
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私の仕事を邪魔しないで呉れ(下) (栄光132号 昭和26年11月28日)

私は世界文化の為と、日本将来の為を思い黙々として努力して来たのであって、神助によって兎も角順調に進んで来た今日、満足には思っているが、此事業は私が行らないとしても、誰かが行らなければならない切実な国家的、否世界的事業であり、それが早ければ早い程、文化の向上に資する処大であろう。
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私の仕事を邪魔しないで呉れ(上)(栄光131号 昭和26年11月21日)

私の最初からの計画は世界に二つとない自然美と人工美とをタイアップさせた一大芸術品を作ろうとするのである
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舌に代えて (栄光 第130号 昭和26年11月14日)

恐らく世の中に幸福の嫌いな人は一人もありますまいから、幸福の欲しい人は、遠慮なくドシドシお出で下さいとお勧めする次第であります
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BCG問題(栄光130号昭和26年11月14日)

以前は薬で固め得たものも、今日では固まり得なくなった為で、それが今度の問題の原因である。その様な訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、何れは医師自身が凡ての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分かって
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医師は本教の協力者 (栄光126号 昭和26年10月17日)

もし医療だけで健康になって了ったとしたら、悪人は善人になる機会がないから、社会悪は何時になってもなくならない、
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御蔭話から何を得る(栄光125号昭和26年10月10日)

現在凡(あら)ゆる病人は、現代医学より外に安心して病気を委せ得るものはないと信じ切っている心理状態で、殆んど信仰とさえ思える程である、それ処ではない、政府当局も同様、現代医学以上のものはないと決めてしまって、毎年巨額の国費を投じ、能う限りの奨励をしている
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人間の価値は正義感 (栄光125号 昭和26年10月10日)

結局人間は正を踏んで恐れず式で、正々堂々と邁進するのが一番気持が良く、それが本当である。そういう人間こそ、社会の柱となり、社会悪の防塞ともなるので、健全な社会が生れるのである。何となれば神は正なる者には、必ず味方されるからである。
世界救世教教義

世界救世教々義 (地上天国と自然栽培の巻) 序文 昭和26年10月10日

処が日本人の悪い癖は、どんな立派な発見でも、お膝元のそれは、仲々信用しようとしない欠点である
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禽獣まで (栄光129号 昭和26年11月7日)

家畜の社会も大いに病気が増えたようである。これが生産面に及ぼす影響も、仲々馬鹿にならないのである。これは全く近来流行の注射の為である事は間違いない
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医学の革命 (栄光129号昭和26年11月7日)

貧乏の原因も病気であり、個人の争いも、国家間の戦争も、残らずその原因は個人々々の病気にあるのである、しかし一口に病気といっても体的ばかりではなく、霊的の病気もあって、戦争の原因といえども、もちろんこの霊の病気にあるのである。
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一種の罪悪(栄光129号 昭和26年11月7日)

悪質ジャーナリストを矯正させるには、この位徹底しなければ分かるまいと思ってかいたので、これも多数の命を救おうとする以上、また止むを得ないのである。
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大宅壮一という人 (栄光129号 昭和26年11月7日)

この人は不思議な頭脳の持主である。今度も『東京日日』の「蛙のこえ」で、三回に亘って例の通り巧妙に私の悪口を書いたが、この人は20年も前から、親の仇のように私を狙っていて、根気よく時々私の悪口を新聞に出している
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相応の理とその他の事 (栄光181号 昭和27年11月5日)

およそ真理とは、分り易くいえば相応の理であって、相応の理とは一切万事合理的で、釣合がとれ、何等破綻のない事をいうのである。従って人間生活とすれば円満で自然順応をモットーとすべきである。
信仰

行詰り(栄光180号 昭和27年10月29日)

行詰った際、振向いてよく考えてみれば分かるはずである。それによって何処かしら間違っている点に気がつけばいいので、人間は普段から精々知恵を磨いておくべきでそれにはできるだけ御神書を拝読すべきである。
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宗教と病院  (栄光181号  昭和27年11月5日)

愈々時期到来夜と昼との交替が始まったのである。それに就ては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、此表われとして其頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである