(五)人体の構成(六)内臓の三位一体『岡田先生療病術講義録』上巻(一)昭和11(1936)年7月※筆記

(五)人体の構成

 人体の構成はヤハリ「火、水、土」 の三原素から成っております。

 地 土……筋、骨、肉、皮――等に相応する
 月 水……血液、漿液等(水分は人間の身体の約七割に当るという)
 日 火……精霊体

 血液は、赤血と白血とに成っております。赤血は「日の霊素」から成り、白血は「月の霊素」から成っております。

 赤血が速く流れるのが、動脈で、白血が緩かに流れるのが静脈であります。――これは、健康時の状態であります。病気になると――

「月の霊素」は「膿汁」と化し、「日の要素」は「毒血」に化するんであります。

  (六)内臓の三位一体

 次に、胃と肺と心臓との関係を検討してみますとーー
 今日までのあらゆる医術では「月と土」に相応する関係上「胃と肺」に関しては、相当に研究されて来たが『心臓』の事は、あまり徹底されなかったようであります。

 今日までの解釈でゆくと――肺臓の呼吸運動によって、血液は浄化され、それが心臓に還元する――とされていますが、

 吾々の解釈によりますと――、

 血液の浄化は「肺と心臓との共同作業」であります。それは、いかなる訳かといいますと、心臓は「火の霊素」を以て「血液中の汚素」を燃焼し、肺は、それの灰ともいうべき残渣(ざんさ)を、洗浄する――それによって血液は浄化されるのでありますが、その「火水の浄化」の為に生ずる最後の汚濁――それの堆積も、病原としての、最大要素となるのであります。

 これをたとえていえば、地上の汚濁は、日光で消毒し、雨水で洗い浄めるのと同一の意味であります。

 ここで、火と水の性質を説明する必要があります。元来「火は水によって燃え、水は火によって動く」のであります。ツマリ、火は、水分があるから燃える時間があるので、全然水分が無かったなら、一瞬に爆発してしまうのであります。又、水は、火の熱が無かったなら、それは氷であって、流動する事は全然不可能でありましょう。

 水を火で温めるに従って、熱し沸き――動力が起るのであります。又ガソリンも水であり石炭も木炭も水分があるから持続的に燃えて火力を生ずるのであります。又、水力電気の水の圧力も、熱によって流動するからであり、草木の化育繁茂するのも「火と水」とによって″生活力″が起るからであります。

 右の理によって「心臓と肺の関係」は火と水であるから――心臓に火力が強ければ、水である肺の活動が旺盛になり、肺に水分が多ければ火である心臓の活動が強盛になるのであります。

 心臓は「精霊界」から霊素(太陽熱である火素)を断〔絶〕えず「鼓動」によって吸収しており、肺臓は「空気界」から、気素(太陰冷である水素)を、断えず「呼吸」によって吸収しており、胃は「物質界」から「食物」(物質である土素)を供給されております。

 吾々はこれを″内臓の三位一体″といっております。

 心臓が旺んに火素を吸収する事によって、愛の情動が旺盛になるので、その愛情の強盛によって、憎み、嫉(ねた)み、怨み等の争の根源が無くなるから、ここに平和が生れるのであります。

 しかるに、今日までは外来的理性文化の影響によって、火素とは反対の「月の冷素」の方を多く吸収する関係上、どうしても愛の情動が稀薄になり、それが争や戦争、病気等の原因となったと思うのであります。

 又科学は、学理から成ったものであるから、どうしても理性に偏るもので、これらも愛の情動を稀薄ならしめる――有力な原因で、その結果どうしても個人主義に傾き、人類社会はいかにも冷たかったのであります。事実、肺患者は利己愛の強い人が多いのは、この理によるのであります。近来、外来文化等の影響により、火の霊素即ち日本精神が欠乏する事によって肺の弱い者が多くなったのも当然な訳であります。今日までは「心臓の働き」が判らなかったというのは、日本精神が眠っていたからであると思います。私が多くの肺患者を取扱った実験上、どうも西洋思想つまり科学崇拝者が多いのであります。

 彼の反日本精神ともいうべき共産主義者に肺患の多い事実はこの消息を如実に物語っていると思うのであります。

 右のような訳ですから、どうしても火の霊素を多く吸収する事が肝要であります。その結果心臓は活発になるから、肺が健全になり、胃の活動も旺盛になるんであります。故に、健康の根本としては、日本精神の保有者たる事が最も肝腎である事が知られるのであります。

 大きくいうならば、世界の心臓に当る国である――日本文化の発展拡充こそ「肺に当る西洋」を目覚めさせる事になり、その結果が「胃に当る非文化国」の幸福と発展を促すという事になるのであります。

 すべて光というものは何であるかというと、それは「火と水の密合したもの」――であります。空気でも「陰電子と陽電子との密合」によって光を発生する――それと同じ訳であります。

 日の光と月の光はなぜ異うか――というと、

 上の如く、

 日光は火が主で、表面で、水が従で陰即ち裏面に在り、

 月光は、水が主で、表面をなし、火が従で陰即ち、裏にあるのであります。

 月は、氷結の如き冷塊で、背後から「太陽の光」が映って光り、

 太陽は常に燃焼している″火の塊″で、背後に「月の水」が映って光るのであります。

 故に、両方反対で、一方は陽、一方は陰、即ち「昼と夜」との区別が生ずるのであります。

 面白い事には、火は経に燃え、水は緯に流れる。「経と緯」との性能を有っている。このような反対のものが結ばれて「活力」が生ずるのであります。

 火と水とは、放〔離〕ればなれでは、全然活動がないのであります。「火と水の結合によって、動力を生ずる」――それが「大地即ち胃の土」であるから、前記のごとく『土』という文字となるんであります。

これが完成の意味が「成」即ち「也」となり『地』となるんであります。 



 成••••地
 人間の夫婦もその道理で、夫婦結合し、協力し、活動が起こり、子を産み、事業を営み、人類社会を無限に進化発展させるのであります。

    

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