管理人

栄光

医学の罪悪観(栄光172号 昭和27年9月3日) 

本教浄霊に来る患者の数は年々増加して、今日は全国で非常な数に上っているが、重難症患者は一人の例外なく、医療の結果そうなったというのである。之等を吾々からみると、最初から何もせず放っておけば已に治っていたのであるが、医療を受けた為に悪化に悪化しつつ重難症となり、遂に死の一歩手前に迄追い詰められた、この種の人の如何に多いかは、膚に粟あわを生ずる位である
栄光

宗教と妨害(栄光172号 昭和27年9月3日)

今度の御神業に於ける正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々実々きょきょじつじつの大芝居で、只神秘と云うより外はないのである。処でそれについての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日迄の神と悪魔の戦いで即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に狭せばまって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつつあるから、邪神の力は段々弱まって来た
御教え集13号

御教え *アメリカの薬害/舶来中毒/日本人の優秀性(御教え集13号 昭和27年8月15日①)

とにかく日本人というものは非常に霊的に優秀なのです。これは一層深く話しすると分かるのですが、日本人というものは、何故優秀か――段々そういう事も話します。もう、世界では一番なのです。ですから美術でもそうです。今、美術は日本が世界一というような世界的な世論になってます.ロダンのは「考える人」という彫刻ですが、考えるのにロダンのは苦悩が表われている。苦心が表われている。ところが中宮寺にある観音様――弥勒菩薩というのですが、考えるというよりか、瞑想にふけっているという、いかにも穏かな柔らかい感じがする。と、そんな事を言ってましたが、これは上手うまい評です。実際日本美術というものは、そういった平和の感じを非常に良く出しているのです
お蔭話

噫々(ああ)不可解なる哉(栄光170号 昭和27年8月20日)《お陰話》手術を拒んだ盲腸炎浄霊一夜にして全快 

病院内の出来事で、医師が極力手術を勧めるのを無理に押切って、夜通し浄霊した処、翌朝になるや見事全快して了ったのである。其時医師が腹部の何処どこを圧おしても、少しも痛みがないので、周囲の者は皆驚天ぎょうてんしたという信じられない程の奇蹟である
栄光

東洋美術雑観(4) (栄光170号 昭和27年8月20日)

支那美術としては一番陶磁器が古いらしく、今から四千年前既に相当なものが出来ている。其中で今日残っているものにアンダーソンというのがある。之はアンダーソンという学者が発見したもので、其名があるという事だが幸いにもこの陶器の大壷が手に入り、本館へ出してあるからみれば分るが、其様な古い時代に、斯んな好いものが出来たというのは、到底信じられない程である
栄光

医学関係者に警告する(栄光171号 昭和27年8月27日)

各国の専門家等は最大級の熱意を傾けて研究すると共に、政府当局者も医師の指示通りの施設万端、能あとう限りの努力を払っているに拘かかわらず、病人の氾濫は停止する処を知らない有様で、常に悲鳴を上げているのは誰も知る通りである。としたらこの様な誤謬医学は早晩退陣の止むなきに至るのは、火を睹みるよりも明かで、其時期は目前に迫っているのである。という理由は私によって、真の病気の原因が発見されたと共に、機械も薬剤も何等物質的のものを用いずして、如何なる病気も全治可能の方法が生れたからである。
対談

NHKアナウンサーとの御対談  (昭和二十四年七月十七日)

いや、宗教と科学は一致するんですよ。ところが、いまの科学は霊を見るところまでまだ来てないんですよ。やっと原子が発見されたところですからね。原子からもう一歩進むと霊子を発見するようになりますよ。いまはまだそこまで進んでないんですよ。
栄光

本教と社会事業(栄光171号 昭和27年8月27日)

そうして今一つの重要な事は、本美術館は位置といゝ、環境といい理想的であるから、之から増えるであろう観光外客に対しても、日本文化の優秀性を紹介する上に於て、相当な貢献が出来ると思うのである。
地上天国

狐霊の実体(地上天国 39号 昭27年8月25日)

そうして浄化による肉体的病苦は、信者なら分っているが、憑霊による事も仲々少なくないので、之について私は今迄余り説かなかったのは、迷信に見られ易いからと、今一つは憑霊現象と雖も、それに相応する霊の曇りがあり、浄霊で其曇りが解消して治るのであるから左程重要なものでもないからである
栄光

起死回生の奇蹟(栄光169号 昭和27年8月13日) 《お陰話》「20mの崖より落ちし瀕死の吾子救わる」 

吾々は常に人間の命は、神の御手にあるものと唱えているが、現代科学で固まった頭脳では、到底信じられないのは無理はない。というのはそれ程の奇蹟はキリストの奇蹟以来、二千年に渉った今日まで未だ聞かないからである。処が左の御蔭話は病院内での事実であるから、何としても疑う余地はあるまい。一信者にして之程の奇蹟を顕わす事が出来るとしたら、二十世紀の大問題である
体験談Mr.Right

【体験談Mr.Right】№26 観音様の夢と不思議な神山参拝

夢の中に、突然として大きな光が現れました。その光は、十階建てのビル位の高さがあったと思っています。とにかくものすごく大きな光で、余りに眩い光のためにその姿はハッキリとしませんでしたが、光の中に微かに確認できる姿から、観音様であることは理解できました。
医学断片集

医学断片集(15~19)*発育の遅れる児童/眼にゴミ/頭脳/赤痢菌/再浄化 (栄光165~169号 昭和27年)

頭の病気は、首の周囲、延髄、後頭部の辺あたりを主として、浄霊するように曰いってあるが、近頃は前頭部から額、顳顬こめかみ等の部分に、浄化の発おこっている人が多いから、その辺をよく浄霊した方がいい。その場合右の辺に掌を当ててみると、熱があるから直じき分る。従って前額部が冷たい人なら、先ず頭はいいと見て間違いないのである
歯根膜炎

医学断片集(11~14) *歯の痛み/脂肪肥り/治療という言葉/神経という言葉(栄光159号~162号 昭和27年)

医学では病気を治療する事は、全然出来ないといったら驚くであろうが、之は真理であるから仕方がない。では誰が治療して呉れるかというと、それは自分自身の体である。従って若もし医療で治るものなら、手術の必要はない訳である。つまり医療では病気の個所が治らないから、止むを得ず其個所を除去して了しまうのである,iryou
御教え集13号

御教え*再浄化/海外要人の来館(御教え集13号 昭和27年8月6日②)

今再浄化を急にやろうものなら馬鹿に浄化が強いです。ドンドン衰弱していく。
御教え集13号

御教え*浄化/恐怖時代/下痢は頭の浄化/結核の再浄化(御教え集13号 昭和27年8月6日①)

これから下痢患者は頭を浄霊する。そうしてお腹の方や何かは簡単で良い。頭を主にする。頭も前頭部の方と後頭部の場合がある。前頭部は触ってみると熱が強い、後頭部は固まりがありますから、それをやると一時は余計下痢をしますが、後治りが良いのです。その代わり頭が良くなります。
御教え集13号

御教え *大浄化/下痢/浄化の順序/肺病の治し方/邪神のずるさ(御教え集13号 昭和27年8月5日)

神が在あるという事が怖いのです。そうすると自分の悪をみんな暴露してしまうのです。そこで神が在る事と悪を追放する事とが大事なのです。もっとも神がある事が分かれば悪は追放されます。それだけで良いのです。それが根本です。そうすれば病無き世界が出来て皆健康になる。病気は浄化作用で有難いものだという事がはっきり分かるから、人間の病気は無くなり、不安は無くなるのです。それを上手うまく隠蔽いんぺいしているのです。
栄光

 天国建設と悪の追放(栄光169号 昭和27年8月13日)

前記の如く愈々悪不要の時が来たと共にそれが今日であるから容易ならぬ問題である。しかし之は臆測でも希望でもない、現実であって、信ずると信ぜざるとに拘わらず、それが最早人の眼に触れかけている。即ち原子科学の素晴しい進歩である。従って若し戦争が始まるとしたら、今度は戦争ではなく、一切の破壊であり、人類の破滅であるが、之も実は悪の輪止まりであるから寧ろ喜んでいいのである。而もこの結果今日迄悪が利用して来た文化は一転して善の自由となり、ここに待望の地上天国は生れる段階となるのである
栄光

『文明の創造』序文(栄光170号 昭和27年8月20日)

人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢ざいえであって、当然この大浄化作用が発生するのである。それを之から詳しく説いてみるが、幸い之を読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何等の躊躇ちゅうちょなく掴つかまれん事である。それを前以もって人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。之ぞ神の大愛でなくて何であろう、従って之を知った以上、一時も早く頭の切替へは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして審判の最後に到っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、之を信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来に於ける地上天国の住民として残るのである。
地上天国

御説教 (地上天国39号昭和27年8月25日)

本教は耳から目から、又言霊での清めもあるにはあるが、それらは従であって、主とする処は浄霊である。何となれば五官を介して清めるのは間接的方法であって、見えざる魂に対むかっての体的方法であるから、効果の薄いのは勿論である。処が本教浄霊に至っては、直接魂に対って霊光を注いで浄めるのであるから、其効果たるや到底体的の比ではない。恰度病気の治り方と同様、他の療法を散々行っても治らない病気が、短期間に訳なく治るにみても明かである
栄光

東洋美術雑観(3)(栄光168号 昭和27年8月6日) 

仏像の彫刻は世界最高の水準といえるであろう。実に日本が誇るべきものの一つとして世界的芸術品であろう。
栄光

東洋美術雑観(2)(栄光167号  昭和27年7月30日)

十九世紀の半ば頃と思うが、光琳を最初に発見したのは仏蘭西フランスの一画家であった。この画家が初めて光琳の絵を見るや、俄然驚異の眼を瞠みはったのである。というのはそれ迄ヨーロッパに於ては、長い歳月続いて来た彼のルネッサンス的美の様式が極度に発達し、就中なかんずく絵画に至っては写実主義の頂点に及び、行詰りの極きわみどうにもならなかった
お蔭話

結核新薬(栄光168号 昭和27年8月6日)《お陰話》奇蹟僅か八回の御浄霊にて絶対安静の肺浸潤快復 

吾々の方では結核菌など問題ではないからで、浄霊の効果は菌処ではなく、短期間で雲翳うんえいなどは吹き飛んで了しまい、綺麗サッパリになるからである。之こそヒドラジットの百倍の効果があると言っても過言ではなかろう。下記の実例はそれを遺憾なく物語っているにも拘わらず之を読んでも専門家諸君の反響もあるまいから、全く豚に真珠である。勿論もちろん其理由は宗教なるが故であろう
栄光

美術の社会化(栄光168号 昭和27年8月6日) 

何とかしてこの悪風を打破し美術の社会化を図りたいと思っていた。つまり美術の解放であり、一般民衆を楽しませる事である。そうしてこそ芸術の生命を活いかす所以ゆえんでもあると思い心掛けていた処、私が宗教家なるが故に、信徒の献身的努力と相俟って、割合短期間に完成したのであるから、私の長年の希望が達成した訳で喜びに堪えないのである。
御垂示録12号

*血液型と霊統/狐霊及び動物霊/神様の格/紅卍会/最高は白色(御垂示録12号 昭和27年8月1日⑥)

高い神様だと光が相当あります。普通は白い煙です。靄もやの様なのです。産土うぶすなさんくらいになると薄光がある。神という名がつくと薄光がある。良い神様になると段々光が強くなってくる。産土の神というとその土地だけの光しかない。それから国魂くにたまの神様というと、相当広い範囲になる。天照大神、素盞嗚尊とかそういう神様になると、日本とか朝鮮とか、それだけの大きさの光になる。で、世界全部の光というと私に憑いているメシヤの神様です。これは世界全部になる。それで世界メシヤ教と言うのです
御垂示録12号

*木龍/神様に御無礼の罪/破産は早く罪が取れる/その他憑霊(御垂示録12号 昭和27年8月1日⑤)

そういう時は狐が両方に憑ってやるのです。自由自在です。又そういう事が狐は好きなのです。人間を瞞して踊らせる。また人間を瞞だましてやらせると狐の仲間での自慢優越になる。あいつは偉いという事になる。
御垂示録12号

*霊的と薬毒/舞踏病/脳水腫/死霊/職業と霊/(御垂示録12号 昭和27年8月1日④)

元は人間であった為に、猫に堕ちた為に早く救われたいので光明如来様にお願いする訳です。それは正守護神の指図もあります。それらしいです。
御垂示録12号

*メチールで盲/黄疸/薬毒/さ行が発音できない/仏教に戻りたい/仏壇(御垂示録12号 昭和27年8月1日③)

薬の性質によって、冷いとそこに毒血が集まり、それから火傷やけどすると集まるという毒もある。火傷をするとよく膿をもつが、火傷をするとその刺激によって集まるのです。やっぱりお灸と同じです。冷たいのはその反対の性能を持った薬です。
御垂示録12号

*医者も認める薬毒/力のない神様/血の濁り(御垂示録12号 昭和27年8月1日②)

*医者が認める薬毒/力のない神様/血の濁り(御垂示録12号 昭和27年8月1日②)
御垂示録12号

*禁断の木の実は悪/神通力/活字も光(御垂示録12号 昭和27年8月1日①)

悪が必要だったのですから、神様はうまい事をやったのです。神様が人間を瞞だました――だから、神様が瞞すのだから上手うまいに違いない。私は、神様は今まで人間を瞞したのだ、本当はこうだという事を書くのです。そういう悪は不必要だ、だからして悪を無くさなければ本当に幸福な世の中は出来ないという事を知らせる。という事は、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されて出来たものだという事は、今までは知らせてはまずいからで、そこで今度は悪の必要が無くなった、悪があってはかえっていけないという時期になって、初めて知らせるのです。だから今まで、善悪一致だなんて言ったが、それは真理だったのです
お蔭話

見えざる神は見えた(栄光167号 昭和27年7月30日)

天理教々祖中山ミキ刀自が本教に救いを依頼した霊的事象である。処が之を狐霊とかいてあるが、実は天理教々祖としては、神格上普通の人間には憑れないから、狐霊を使ったのである。之について私は一昨年の事件の際、庵原いはら警察署の留置所に入っていた際、中山ミキ刀自を呼び出し色々話合った末、刀自は今後天理教の信者も救って頂きたいから、御頼みしたいというので、私は承諾した
栄光

新世界の誕生(栄光167号 昭和27年7月30日)

何故今日迄生命に関する程の重大問題が、不明の儘ままであったかという疑問であるが、之も無理はない。そこでこの事を想像してみると、科学文化を或程度まで進歩させる必要上そうされたのであって、之も神の経綸で、過渡期に於ける一時的現象である。それに対して神は其行き過ぎを訂正すると共に、唯物科学の分野と唯心科学の分野とをハッキリさせ給うので、之によって唯物唯心の科学は、歩調を揃えて進歩し発展し、ここに真の文明世界が生れるのである。一言にしていえば現在の旧世界は、ここに終りを告げ、新しき世界が造られるのであるから、私の仕事は其産婆役といってもいい訳である。
地上天国

文化的野蛮性 (地上天国38号 昭和27年7月25日)

薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果など些いささかもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増えるだけである。薬の方はこの位にしておいて、次の手術であるが、之も勿論真の医療ではない。何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し除去する方法ではない
御光話録1号~

*八大龍王/兇党界(御光話録1号 昭和23年10月28日③)

八大龍王は日本の神ですから、日本の近海に鎮まっていて時を待った。この時仏になろうとしてインドへ行ったが、仏のお働きは具合が悪いので仏滅まで待てというわけで日本に帰って来て鎮まった。これは本当ですよ、ほかのことでも立証出来ます。現在は人間として働いてます。ほとんどみな観音教団に入っていますよ。「八人男と女」は本当は九柱で九大龍王です。その中の一柱が伊都能売大神です。
御光話録1号~

*皇太子/処女/名前/水(御光話録1号 昭和23年10月28日②)

人間も濁りが多少なければ、そう綺麗ばかりではいけない。例えば「水清くして魚住まず」といわれるように多少の濁りがあり、それがいい塩梅に調和されなければいけないのです。
御光話録1号~

*大浄化/予言/行き詰まった時に話を…(御光話録1号 昭和23年10月28日①)

間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだから放っておいた方がよい。行き詰まるところまで行かせた方がよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。それと同じで行き詰まった時に話をしてやることが効果があるのですよ。
地上天国

自観申す(地上天国 昭和25年1月20日) 

初め直径三寸位の木製の板の上に、恰度、歯医者が用いる赤色のアマルガムのようなものが、厚さ五分位に粘着しており、初めテーブルの横から、幽霊の手だけが見え、右のアマルガムへ触れようとした時、空中に声あり。「固いから今少し柔くしてくれ。」というので、温めて柔くすると、再び静かに手首が表われるや、極めて力ある動作で拇指を、アマルガム深く捺したのである--。という話であった
地上天国

結核ナンセンス(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

前述の如く、結核菌は自然発生であって、決して感染ではない。私は今日迄幾千の人に対し菌の防衛手段をとらないばかりか、寧ろ感染するようにしたが、一人の感染者も出ないにみて明かであるから、この事が判っただけでも如何に救われるであろうかを想うのである。
地上天国

最後の審判(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

キリストの火の洗霊は、いよいよ来らんとする最後の審判でなくてならない事になる。しかしながら水とは体的であり、火とは霊であるから、吾等が今行っている、霊を以て霊を浄める方法こそ、全く火の洗霊である。すると霊から体に移写するのであるから、火の洗霊が体的に如何に影響するか、之こそ空前の変異でなくてはならない。といっても危機は悪に対してのみ表われ、善には危機はない事を知らねばならない。
地上天国

巻頭言(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

愈いよいよ1950年、昭和二十五年の年になった。というだけならいつもの年と変りはないが、実は今年こそ吾等からいえば大変な年である。という事は吾等の唱導する処の夜の世界が昼の世界に転換する、その節に当るからである。之はどういう意味かというと、今年を契機として世界は一大転換の運命に逢着するのである。
体験談Mr.Right

【体験談Mr.Right】№25 登山電車での不思議なできごと

 私は、自分にどんな使命があるのか、明確に分かっている訳ではありませんが、何かの「型」としてさまざまな体験をさせていただいたと思っています。同時に、そのことを一人でも多くの方に伝えることが、今与えられている使命ではないかと受け止めています。