管理人

御垂示録12号

*木龍/神様に御無礼の罪/破産は早く罪が取れる/その他憑霊(御垂示録12号 昭和27年8月1日⑤)

そういう時は狐が両方に憑ってやるのです。自由自在です。又そういう事が狐は好きなのです。人間を瞞して踊らせる。また人間を瞞だましてやらせると狐の仲間での自慢優越になる。あいつは偉いという事になる。
御垂示録12号

*霊的と薬毒/舞踏病/脳水腫/死霊/職業と霊/(御垂示録12号 昭和27年8月1日④)

元は人間であった為に、猫に堕ちた為に早く救われたいので光明如来様にお願いする訳です。それは正守護神の指図もあります。それらしいです。
御垂示録12号

*メチールで盲/黄疸/薬毒/さ行が発音できない/仏教に戻りたい/仏壇(御垂示録12号 昭和27年8月1日③)

薬の性質によって、冷いとそこに毒血が集まり、それから火傷やけどすると集まるという毒もある。火傷をするとよく膿をもつが、火傷をするとその刺激によって集まるのです。やっぱりお灸と同じです。冷たいのはその反対の性能を持った薬です。
御垂示録12号

*医者も認める薬毒/力のない神様/血の濁り(御垂示録12号 昭和27年8月1日②)

*医者が認める薬毒/力のない神様/血の濁り(御垂示録12号 昭和27年8月1日②)
御垂示録12号

*禁断の木の実は悪/神通力/活字も光(御垂示録12号 昭和27年8月1日①)

悪が必要だったのですから、神様はうまい事をやったのです。神様が人間を瞞だました――だから、神様が瞞すのだから上手うまいに違いない。私は、神様は今まで人間を瞞したのだ、本当はこうだという事を書くのです。そういう悪は不必要だ、だからして悪を無くさなければ本当に幸福な世の中は出来ないという事を知らせる。という事は、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されて出来たものだという事は、今までは知らせてはまずいからで、そこで今度は悪の必要が無くなった、悪があってはかえっていけないという時期になって、初めて知らせるのです。だから今まで、善悪一致だなんて言ったが、それは真理だったのです
お蔭話

見えざる神は見えた(栄光167号 昭和27年7月30日)

天理教々祖中山ミキ刀自が本教に救いを依頼した霊的事象である。処が之を狐霊とかいてあるが、実は天理教々祖としては、神格上普通の人間には憑れないから、狐霊を使ったのである。之について私は一昨年の事件の際、庵原いはら警察署の留置所に入っていた際、中山ミキ刀自を呼び出し色々話合った末、刀自は今後天理教の信者も救って頂きたいから、御頼みしたいというので、私は承諾した
栄光

新世界の誕生(栄光167号 昭和27年7月30日)

何故今日迄生命に関する程の重大問題が、不明の儘ままであったかという疑問であるが、之も無理はない。そこでこの事を想像してみると、科学文化を或程度まで進歩させる必要上そうされたのであって、之も神の経綸で、過渡期に於ける一時的現象である。それに対して神は其行き過ぎを訂正すると共に、唯物科学の分野と唯心科学の分野とをハッキリさせ給うので、之によって唯物唯心の科学は、歩調を揃えて進歩し発展し、ここに真の文明世界が生れるのである。一言にしていえば現在の旧世界は、ここに終りを告げ、新しき世界が造られるのであるから、私の仕事は其産婆役といってもいい訳である。
地上天国

文化的野蛮性 (地上天国38号 昭和27年7月25日)

薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果など些いささかもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増えるだけである。薬の方はこの位にしておいて、次の手術であるが、之も勿論真の医療ではない。何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し除去する方法ではない
御光話録1号~

*八大龍王/兇党界(御光話録1号 昭和23年10月28日③)

八大龍王は日本の神ですから、日本の近海に鎮まっていて時を待った。この時仏になろうとしてインドへ行ったが、仏のお働きは具合が悪いので仏滅まで待てというわけで日本に帰って来て鎮まった。これは本当ですよ、ほかのことでも立証出来ます。現在は人間として働いてます。ほとんどみな観音教団に入っていますよ。「八人男と女」は本当は九柱で九大龍王です。その中の一柱が伊都能売大神です。
御光話録1号~

*皇太子/処女/名前/水(御光話録1号 昭和23年10月28日②)

人間も濁りが多少なければ、そう綺麗ばかりではいけない。例えば「水清くして魚住まず」といわれるように多少の濁りがあり、それがいい塩梅に調和されなければいけないのです。
御光話録1号~

*大浄化/予言/行き詰まった時に話を…(御光話録1号 昭和23年10月28日①)

間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだから放っておいた方がよい。行き詰まるところまで行かせた方がよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。それと同じで行き詰まった時に話をしてやることが効果があるのですよ。
地上天国

自観申す(地上天国 昭和25年1月20日) 

初め直径三寸位の木製の板の上に、恰度、歯医者が用いる赤色のアマルガムのようなものが、厚さ五分位に粘着しており、初めテーブルの横から、幽霊の手だけが見え、右のアマルガムへ触れようとした時、空中に声あり。「固いから今少し柔くしてくれ。」というので、温めて柔くすると、再び静かに手首が表われるや、極めて力ある動作で拇指を、アマルガム深く捺したのである--。という話であった
地上天国

結核ナンセンス(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

前述の如く、結核菌は自然発生であって、決して感染ではない。私は今日迄幾千の人に対し菌の防衛手段をとらないばかりか、寧ろ感染するようにしたが、一人の感染者も出ないにみて明かであるから、この事が判っただけでも如何に救われるであろうかを想うのである。
地上天国

最後の審判(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

キリストの火の洗霊は、いよいよ来らんとする最後の審判でなくてならない事になる。しかしながら水とは体的であり、火とは霊であるから、吾等が今行っている、霊を以て霊を浄める方法こそ、全く火の洗霊である。すると霊から体に移写するのであるから、火の洗霊が体的に如何に影響するか、之こそ空前の変異でなくてはならない。といっても危機は悪に対してのみ表われ、善には危機はない事を知らねばならない。
地上天国

巻頭言(地上天国12号 昭和25年1月20日)  

愈いよいよ1950年、昭和二十五年の年になった。というだけならいつもの年と変りはないが、実は今年こそ吾等からいえば大変な年である。という事は吾等の唱導する処の夜の世界が昼の世界に転換する、その節に当るからである。之はどういう意味かというと、今年を契機として世界は一大転換の運命に逢着するのである。
体験談Mr.Right

【体験談Mr.Right】№25 登山電車での不思議なできごと

 私は、自分にどんな使命があるのか、明確に分かっている訳ではありませんが、何かの「型」としてさまざまな体験をさせていただいたと思っています。同時に、そのことを一人でも多くの方に伝えることが、今与えられている使命ではないかと受け止めています。
御教え集12号

御教え *悪の発生と浄霊(御教え集12号 昭和27年7月27日) 

つまり人間に憑依している副守護神――動物霊がやるのだから、そこで悪を制限するには動物霊を弱める。動物霊を弱めるには霊の曇りの多い少い――曇りが多ければ、動物霊は根本的の悪のものですから悪をさせる。動物霊を或る程度抑えるには光です。光とは魂の光です。それには曇りを取らなければならない。だから悪の因というのは、結局霊の病気になる。つまり体の病気が毒血で、霊の病気が曇りです。ですから曇りをとるという事になる。浄霊するという事は、肉体の病気ばかりでなくて、霊の病気も一緒に取ってくれる。浄める訳です。ですから浄霊という。霊が浄まると副守護神が弱りますから――副守護神ばかりでなく、臨時に憑く霊もありますから、憑いても弱るから、その霊は悪い事をしない。
御教え集12号

御教え *悪が分からなくては本当の事は分からない(御教え集12号 昭和27年7月26日) 

新薬で抑えられない程の浄化になったら、片っ端から肺病になってしまう。今肺病の原料を作ってますが――ヒドラジドなんか素晴しいものです。しかしそうなってからは皆メシヤ教に頭を下げて来るのです。もうそう長くないです。大分近寄って来てます。これが一番分かるのは、あなた方が浄霊しても段々効くでしょう。去年より今年、先月より今月と、ずっと早く治って来る。これは霊界で火素が増えて来た為です。つまり、火素が増えて来たという事は浄化が強くなったのです。
御教え集2号

御教え *始終邪神との闘い/教団乗取策(御教え集12号 昭和27年7月25日)  

これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というと大袈裟だが、陰謀者があった。これが中々智恵があって、おまけに私は疥癬で、なんにも出来なかった。それで任かせきりであった為に、その隙に乗じて教団乗取策を講じて、それには私と渋井さんをまず追い出すという事が一番の狙いであった。

己れの利害を本位とし  社会の公器性を失う  読売新聞へ再抗議(光 45号 昭和25年1月14日)

過般の読売新聞のデマ報道に対し、同じく迷惑をこうむった宗熱海市長と併行、本教でも独自の立場をもって読売新聞社編集責任者に対し、該誤報記事の正誤を申し込んだに対し、宗市長へは謝意を表したのにも拘かかわらず、本教団に対してはなんらの誠意をも披瀝ひれきせず、どこ迄も頬冠りの無責任な態度を持しているので本教ではやむなく同社に対し次の如き再抗議文を発送、同紙の新聞道に立脚せる紳士的態度の表明方を要請した。

宗教と自由(光45号 昭和25年1月14日)

今日迄の宗教をみると、宗教には殆んど自由がないといってもいい、其の多くは厳重なる戒律に縛られて身動きも出来ない位で、之が宗教本来の姿と思われて来た、そういうのを深く検討してみると全く信仰地獄の観がある

農業の新発見について(光45号 昭和25年1月14日)

農業は人体と同様で飽迄も自然でなければならないに拘かかわらず、人為的方法に意を用いたがる、右の二倍増産も実は無肥料による効果の方が多い事はいう迄もない、肥料迷信に罹った人の眼からみれば肥料なしの増産は電力によるからだと誤認したもの

自殺者の無責任(光45号 昭和25年1月14日) 

自殺行為は無責任極まるものであり、卑怯ひきょう者であるという事を強調し、聊いささかの讃辞など与えないよう特にジャーナリスト諸君に警告したいのである、本来宗教的からいえば死人に鞭打つ事は宜よろしくない事ではあるが、今後出るであろう自殺者を未然に防ぐ意味から、敢あえて自殺の不可を注意したのであるから、死者の霊も又満足すると思うからである。

低能児は治る(光45号 昭和25年1月14日)

右の理によって低能を治すには、先ず鼻から呼吸が出来るようにする、それには鼻孔を塞ぐ原因である前頭内の毒素を排除させる事である、しかし原因が判ったとしても、毒素を排除する方法が見つからなければ何にもならないが、医学に於ては毒素排除などは絶対不可能であるから、前述の如く次善的方法を採らざるを得ないのである、しかるにわが神医学はその方法が可能である
御教え集12号

御教え *『文明の創造』/東洋美術雑観(1)/映画(御教え集12号 昭和27年7月16日)

「普あまねく天国の福音は伝えられるべし、然る後末期至る」です。これから、先を説いていきますが、悪というものは打ち切りにする。どうして無くする――その打ち切りの順序をこれから書くのです。そうして悪というものは無くなる。
御教え集12号

御教え*無信仰時代/映画(御教え集12号 昭和27年7月15日②)

深刻などこまでも事実と余り離れない様な映画の方が受けるのです。盆とか正月映画は別ですが、不断から正月映画の方が多く作っているのです。いずれ気がつきますが、気のつき方が遅いのです。それ迄観客はいい犠牲になっているのです。
御教え集12号

御教え*本当の文明/麻薬(御教え集12号 昭和27年7月15日①)

急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方頭の悪さです。またそれに慣れ切っているのです。それを教えよう、解らせようと思って我々は骨を折っているのです。そういった麻薬を、麻薬でないと思っている迷信です。それを言うと、こっちの方を迷信という。その位頭が悪いのです
日々雑感

[日々雑感]海外からのアクセスとメシヤの記事

何故、教祖は名称を世界メシヤ教として立教したのか、ヨーロッパではメシヤがどんなに嘱望されていたかが良く理解できる内容です。

寸鉄(光45号 25年1月14日)

迷信を迷信する迷信を知らせる吾等を、迷信と思う迷信が本当の迷信であるんである

寸鉄 (光44号 昭和25年1月7日)

神様が、少し大きな事をし始めると、虫ケラ共が騒ぐ事、騒ぐ事、恰度ちょうど蟻の中へ煙草の吸殻を落したように

カンカン先生  (光44号 昭和25年1月7日)

私が大本教入信後間もなく先輩者で指導者として仰いでいた先生があった、この先生は小乗信仰のモデルのような人で信仰の窮屈な事到底ついてはゆけない程であった

憐むべき現代人 (光44号 昭和25年1月7日)

之等も実に間違っている、全く学理に捉われた自然無視の謬説びゅうせつである、何となれば皮は実実よりも不味まずいのは何を物語っているのであろうか、全く皮は喰う物ではない事を神が示しているのであるから実を食うのが本当だ、とすれば実に結構な話ではないか、こんな判り切った事まで判らなくなった医学の逆進歩には困ったものである。

恐怖を除く (光44号 昭和25年1月7日)

三大恐怖の解決こそ人類に与えられたる一大課題である、実に今日迄の人類はあまりにも苦悩の絶間ない世界であった、この世に確かに神がありとしたら神の大愛はこの様な世界をそう永く許容し給う筈はない。

本教を認識せよ(光44号 昭和25年1月7日)

よく本教に対し疑惑云々うんぬんと謂いわれるが、これ等は何の疑惑かさっぱり判らない、もし金銭上の疑惑とすれば前述の如くであるから一点の不審はあるまい
御教え集12号

御教え *「無信仰時代」/「東洋美術雑観」(御教え集12号 昭和27年7月7日②)

一番面白いのは、どうせ新宗教がそんな生意気に美術館をこしらえたところで、大したものではない。どうせ古臭い宗教的な物でも出すのだ位にしか思っていなかったのですが、実際に見るとびっくりしたのです。全然宗教の臭いはないし、美術館として本当に世間に無い様なものを造ったのですから、ただ本当に驚く他ないという状態です
御教え集12号

御教え *美術館の霊的意義/事故の原因/薬の問題(御教え集12号 昭和27年7月7日①)

浄化停止――そんな事は間に合わなくて、死ぬ方が早くなる。それで段々医学と薬に疑問を起してくるという時代が来ます。そうなったらいよいよこっちの舞台になりますが、それ迄に幾らかまだ暇がありますが、そう
御光話録

御教え *世界情勢(御光話録 昭和23年11月8日①)

矢張り神様がやって居られるんだから別に何も要りません。その人その人の立場により常識的に、神様に御委せする考えの下にやっていればよいのです。
御光話録

御光話 *御地蔵様(御光話録昭和23 年11月8日③)

矢張り祀って上げた方がよい。大変な功徳です。祀るといっても御花を絶やさぬ様に上げ、又時には御飯を上げる位で宜しい
御光話録

御光話 *眠っている時の浄霊/危急の時は私に頼みなさい(御光話録 昭和23年11月8日②)

特に危急の場合は「大先生御守護を御願い致します」と云ったらよろしい。私がその時は神様の代理になりますから。然し普段何でもないのにやられてはこっちは困りますがね。
御光話録

御光話 *悪口/間違いを止めない/決めてはいけない(御光話録 昭和23年11月8日④)

また他の人がしたいということは間違っていてもやらせてしまうのです。それはやりたいと思っているとき注意してもなかなか悟れない。行き詰まって初めて気がつくのです。車でも坂を下りるとき、坂の途中で止めようとしても止まらない。下まで行ってから止めればじきに止まるのと同じです。人から悪口を言われるのは霊的には、こっちの罪をその人がとってくれるのです。だからむしろありがたいのです。その代わり悪口を言うほうは罪を着るんです。