慢心

栄光

慢心取り違い(栄光111号昭和26年7月4日) 

何時いつしか最初の神様のお蔭で治ったという事が忘れ勝となり、自分にももしかしたら偉い点があるのではないかと思う人もある、処がこれが立派な慢心であって、この時が最も危険期であるから、大いに警戒しなければならない、というのは考え方が逆になるからである、なぜかと言えば、私が常に注意する通り、力を抜く程いいとしているのはこの点で、即ち力とは人間力であるから、人間力を抜く程いい訳である、この理によって慢心するとどうも人間力が加わりたがる、何よりもそうなると浄霊の効き目が薄くなる
信仰雑話

下座の行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といゝ、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。
信仰

之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日)

其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。