[メシヤ講座] 教祖祭  2009年2月 (私たちの学び目からウロコの内容)

2018.03.24  Sat  3.教祖祭

節分祭、立春祭で心新たにする機会に恵まれ、格別な思いで「教祖祭」を執り行わせていただきました。

教祖祭のご参拝をさせていただいている時に、御昇天になった時間の数字が脳裏に突き上げてまいりました。それは、『メシヤ降誕本祝典』を昭和三十年三月三日に執り行う予定が確定されていたことと重なってきたのです。(メシヤ講座・特選集96号参照)

御承知のように、メシヤ様は昭和30年2月10日ご昇天になっておりますが、そのお時間が午後3時33分なのです。この「三、三、三」の数字の重なりが、畏れ多い表現を承知して述べれば、『メシヤ降誕本祝典』のメッセージであると思えるのです。

二代様や大半の高弟でさえ『メシヤ様』と認識することができなかったことと、昭和29年からの御浄化は御法難時の後遺症的な症状であられたことを重ねて鑑みると、そのように思えてならないのです。当時何故、『メシヤ降誕本祝典』祭行を深く考えなかったのか、前年に何故『仮祝典』としたのかを深く考えなかったのか、との思いが果てしなく脳裏を廻ります。「それさえ出来ていたら、120歳は夢ではなかった」と思わされます。

しかし、過去に「たら」を求めることよりも、今年心に期している御神業推進の内容を更に明確化させられた、と受け止める方が賢明です。日々『メシヤ降誕』を意識して御神業に臨み、関わる人々にメシヤ様の存在を宣べ伝え、その恩恵に与(あずか)るようにお世話するということこそ急務です。

こうした思いに至った教祖祭に関連してか、不可思議な質問がありました。「箱根神仙郷にご参拝に出向いて、資料を受け取り驚愕した」というものです。

世界救世(きゅうせい)教では、三派統一の過程で「教祖の御神格を明確にする」という取り組みを積み上げたとする話(前回)に触れましたが、包括側の『救世主、メシヤであられる明主様』という表現に対して、東方之光教団でもそれらしい表現はあるのですが、驚かされるのは『紫微宮の主宰神として』という不可解な表現を用いていることです。

この一事を見ても、御神格を明確にする作業は人間的過ぎておりました。神様が既に確定されていたものを再度検討することなど、“神への冒涜”の一語に尽きるのです。一元化が先送りされた原因には、三被包括法人の取り組みの違いがあるのでしょうが、根本原因はここにあることを痛感させられます。

メシヤ講座特選集no.97平成21年2月<学び>
楳木代表はメシヤ教を創立した頃から、「メシヤ降誕本祝典」の祭行を考えていらしたのでしょう。
代表がお亡くなりになられて、メシヤ様が霊界へお帰りになられるのは決定事項だったと御垂示がありました。
御経綸上、伏せられた事が多い中、よくぞ論理的に組み立て、ここまで引っ張ってきて下さったものです。

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