御教え*日本人の美術の頭は世界一(御教え集8号 昭和27年3月6日①)

【御教え】今評判になっている三越の興福寺の宝物の展覧会ですが、あそこに行ってみたんです。阿修羅あしゅらと言う評判の彫刻ですがね。私は、阿修羅と言うから、物凄い顔をした――手が六本あるんですからね。ギュッと、こうやっているのかと思ったら、丸っきり違っているんですよ。十七、八の娘の様な顔をした、実に可愛らしい顔なんですよ。で、成程良く考えてみたら、阿修羅が改心して、ちゃんと普通の料簡りょうけんになったと言う訳ですね。だから、名前とは大違いでね。唯、阿修羅と言う名前でなく、阿修羅もととか、或いは阿修羅の改心元とか言う題名をつけるのが本当だと思いますね。兎に角作は非常に良いんですね。良く出来てます。新聞に一億なんて出てましたが、評価として、新聞は大抵少し大きく書きますからね。その他に烏天狗からすてんぐの童子の姿をしたの、それから童子の乾漆――之は非常に良く出来ていた。阿修羅とあと四体の、やはり等身大ですが、童子。それ丈ですね。見るべきものはね。あとは見るべき物はない。尚、よろいや刀が随分ありましたがね。鎧や刀があるのは変ですがね。興福寺が僧兵の物を――尤も藤原家と縁の深い寺ですからね。処で面白い事は、お寺の美術ですから仏像が多いと思ったが、観音さんもお釈迦さんも薬師如来とか深弥勒菩薩とかあるが、そう言うのがないんです。良く考えてみると、そう言うのは売っちゃったんですね。何しろお寺が、長い間の財政難で売らなければ追っつかないので、ボツボツ売ったんでしょうね。道具屋は、他の物は買わないですからね――仏像でなければね。それで、ボツボツ出したんです。そんな様な訳で、次の時代は天平時代ですからね。1200年前ですね。1200年前に、之程のたくみな彫刻が出来たと言うのは、実に驚くですね。私は、この頃仏像の研究をしてますが、研究すればする程、実に大したものですね。大抵良い物は推古朝以後、白鳳、天平、飛鳥、弘仁迄ですね。弘仁から藤原になるんですからね。弘仁迄の仏像の彫刻と言うのは大したものです。その後藤原も相当出来ました。それから鎌倉になってから俄然として木彫の大隆盛となった。一番巧な物は、鎌倉時代が一番多いです。けれども余り巧過ぎて、却って面白味は天平時代が一番良いですね。奈良では法隆寺が断然群を抜いてますがね。法隆寺は、昔からやかましいから、一品と雖も外に出す事や、売る事は出来ないですからね。仏像の一番良いのは法隆寺ですね。その次が興福寺ですね。法華寺、東大寺、薬師寺があるが、私は一度行って、奈良のお寺参りをやろうと思っている。天平時代の彫刻を見ますと、ロダンなんか足下にもつかないですよ。だから、日本の仏教彫刻が世界的に知れたら、驚きます。大体、仏像は支那の六朝りくちょうから習ったんです。1600年位前ですね。その時支那で始って隆盛時代になったですね。それから唐の時代ですね。唐の時代に入って、それを学んだのが推古仏すいこぶつですね。そうすると、推古仏になると支那の仏よりずっと良いんです。良く見ると、支那の仏は何処か間が抜けた様でね。処が、推古仏になるとずっと良いんです。顔から形から、総てが調ととのってね。実に良く出来ている。ですから、外人の一部では、中には日本の仏像に趣味を持って、非常に欲しがっているんですが、中々手に入らないので困っている様ですが、そんな様な具合で、日本人と言うのは美術思想に於て、断然世界一と言って良いですね。この間も、アメリカから――この前に話した繭山まゆやまと言う人が、サンフランシスコの展覧会の主任になって行った人ですが、色々アメリカ人に説明して、それを仕事にしたんですが、帰り掛けにアメリカの博物館、美術館をみんな廻って見て来て、私の所に来て色々話合ったんですが、その人が言うには、日本人の美術の頭と言うのは、世界一だと言うんです。と言うのは、外人はやっぱり美術で理解出来ない点があるんですね。この頃やっと、アメリカなんかも、相当解り掛けて来たですが、つまり解り方が浅いんですね。深さや高さと言うのは、到底日本人に追っつかないんです。アメリカ人は、相当支那の美術は研究されてます。支那のは手に入り易かったですからね。日本のは手に入らなかった点もありますが、研究されなかった点もあります。去年のサンフランシスコの展覧会から俄然として、日本美術と言う事が解ったですね。大分熱が出て来て、欲しがる人がある。

 仏像が行きましたが、断然世界一だと言ってますね。支那の仏像なんかかなわないですね。今度私の方に出来る箱根の美術館でも、アメリカ人なんか注目して、喜ぶだろうと思います。色々話たい事があるが、時間がないからその位にして置きます。

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