御論文

霊界通信

明主様の御西下に就ての神々の願い(地上天国42号 昭和27年11月25日)

家内浄化中明主様の御西下に際しまして、またまた各神霊が出られるようで、この度は五十柱位のように家内に感じさせられたそうです。その後神霊が憑って来ますが、浄化中だからと帰ってもらっておりました
霊界通信

昼夜の大転換を証明する仏界諸聖霊の告白㈡(地上天国42号 昭和27年11月25日)

先日日蓮が出られそうでしたが、何故か完全憑依出来ず帰られましたので、尊海氏に聞きましたところ、日蓮は主神の御許しを受けて来られなかったために、家内の正守護神に帰されたのだそうです。そのため今度尊海氏が出られる事を知ってすがって来られた由にて、涙を流して左記の通り述べられました
地上天国

邪神と没落(地上天国10号 昭和24年11月20日)

処がここに何人も警戒しなければならない一大問題がある。それは邪神に加担したものは、最後の審判の場合、永遠に滅ぶる運命者となるのである。故に愈よとなるや、何程後悔しても先に立たずで、滅亡するのは必定である。随而何よりも今の中うち悔悟遷善し、神の大愛に抱かれ、悪から脱却し、善人の仲間に入り、歓喜の生活者となって永遠の生命を得なくてはならないが、それを吾等は奨めてやまない所以である。
霊界通信

昼夜の大転換を裏書する仏界諸聖霊の告白(地上天国41号 昭和27年10月25日発行) 

皆さんに九月一日明主様に御取次致しますと申し上げましたが、中でも弘法大師は特に喜ばれ、間に合ってよかったよかったとさも嬉しそうでした。
地上天国

最後の審判 (地上天国42号 昭和27年11月25日)

今後の神様の活動によって、悔改める人間が多くなれば、其その様な極端な方法は必要がないからそれでいいが、そうでないとすれば止むを得ず徹底的に裁かれる事になるのであるから、この結論は人間次第という事になる
栄光

黴菌人間(栄光183号 昭和27年11月19日)再掲

現代人が最も怖れているのは、病原としての黴菌であろう。では一体黴菌なるものの発生は、何が為であるかというと、全く人間の健康上必要なものであるばかりか、それを作るのが人間自身であるから、驚かざるを得ないのである
霊界通信

明主様の御西下に際し再度起きた神霊誌(地上天国38号 昭和27年7月25日発行)

この度の御出迎いは上の神様より御許しの出た神々で、御許しはメシヤ教に御協力しておられる神々、あるいは今度の御出迎いの御面会を機会に今後御協力なさる神々だそうです。それに今年は伊邪奈岐伊那奈美之命様以前の神々も出られました。特に四、五柱出られて後国常立くにとこたち之尊様の御出ましあり、「全部記録して報告せよ」との御神示を賜わりましたので、以下記録のまま御報告申し上げさせて頂きます
栄光

太陽の救い(栄光183号 昭和27年11月19日)

小乗信仰は厳しい戒律があるので、それに縛られて苦しむのを行としている。之等は神の愛を拒否する事になり、気の毒なものである。之を私は信仰地獄といっている。処が本教は反対で、殆んど戒律がないから極めて自由であり、人生を楽しむ事を神の恵みとしているから、之こそ天国的信仰といえよう。以上の如く大乗的本教には宗教、哲学、政治、経済、教育、芸術、医学等々、人間に必要なものは悉く包含されており、恰度ちょうど太陽が凡ゆる色をコントロールして白一色である如く、本教は昼の宗教であり、太陽の救いである。
お蔭話

医学被害者の例(栄光182号 昭和27年11月12日)《おかげ話》医師より不治と謂われた重症喘息も斯く癒さる

御蔭話は、誤れる医学の犠牲者にされた事が、余りにハッキリしている。之について思われる事は、軍隊に入り出征した人々は、如何に健康であっても、除隊後必ず何等かの病気に罹るのは、例外のない事実である。というのは出発の際必ず種種の注射を受けるのでその薬毒が原因であるのは言う迄もない
栄光

健康は一切なり (栄光182号 昭和27年11月12日)

己れの野心を遂げようとする反面、多数の人間を犠牲にするので、実に無慈悲である。如何に英雄でも精神に欠陥があるからであって、一種の精神病者である。又自分さえよければ人はどうでもいいという愛も慈悲もない利己一点張の人間も、ヤハリ精神の何処どこかに欠陥があるからである。面白い事には私が長い間の経験によって分った事だが、精神に欠陥のある人は必ず肉体的にも欠陥がある。処が英雄でも悪人でも、非常に健康な人があるのは、多量の毒素がありながら、非常に強く固まっている為である。
栄光

宗教以上のもの(栄光194号 昭和28年2月4日) 

今日までこれ程の治病力を発揮した宗教はなかったし、又美術館を建てたり、農事改良なども例はない。そうして文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何も彼も人間に必要なものは包含され、根本的に教え諭して実行している。このような訳で御説教は本教の一部であって、而もその説く処前人未見のものが多いので、この点特に注目されたいのである。というように本教の経綸を一口に言えば高度の今日までこれ程の治病力を発揮した宗教はなかったし、又美術館を建てたり、農事改良なども例はない。そうして文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何も彼も人間に必要なものは包含され、根本的に教え諭して実行している。このような訳で御説教は本教の一部であって、而もその説く処前人未見のものが多いので、この点特に注目されたいのである。というように本教の経綸を一口に言えば高度の文化事業である。
栄光

大恐怖時代来らん(栄光194号 昭和28年2月4日) 

御自分及びその信徒が救われねばならないから、近来私に対して後から後から歎願に来る有様で、これにみてもその辺よく分るであろう。成程凡なるほどあらゆる宗教は今までの世界が続いているとしたら、それ相応の役には立つが、愈々世界大転換という空前の事態となった以上、既成文化は一度は破局的運命とならざるを得ないからである。それと共に万教帰一の時となるので、茲に一切の宗教は一団となって、本教を中心に人類救済は固もとより、地上天国建設に協力する事になるのである。
東方の光

東方の光 (栄光182号 昭和27年11月12日)再掲 

今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から東方の光という言葉が生れ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄此言葉の意味が本当に 分らなかった為、今尚謎のまゝになっているのであるが、私は之に就て真の意味を知らせようと思うのである。
未発表

分り易い話(未発表、年代不詳)

人間の生命は神が造ったものであって、科学で作ったものでない事は、誰でも考えられるであろう。としたら前者は人智でも解し得ない神秘力であり、後者は機械力であるから問題とはならない。従って生命に関係ある病といえども、神に治して貰うのが本当で、科学に持ってゆくのはお門かど違いもはなはだしい事も分るであろう。としたらこれほどハッキリした理屈はあるまい。ところが昔からそれに気が付かないところに不思議な点がある。何よりも今以って病を科学で治そうとしている事で、全く盲の世の中というより外に言葉はない。この盲の眼を開眼するのが私の仕事であって、その方法が光である
未発表

一人対一人では駄目だ(未発表、年代不詳)

本教の病療法は素晴しい医学には違いないが、吾らの終局の目的は、天国的理想世界を造るにあるのだから、肉体の健康のみでは本当ではない。肉体の健康と共に精神的健康たり得なくてはならない
地上天国

運命は自由に作られる(地上天国41号 昭和27年10月25日)

凡すべての悩み苦しみの因は悉く浄化作用である。譬たとえば人に瞞だまされ損をする、火事で焼ける、怪我や泥棒、家族の不幸、商売上の損や失敗、金の苦しみ、夫婦喧嘩、親子兄弟の仲違なかたがい、親戚知人との争いなど何も彼も浄化作用である。この様に普通浄化作用といえば苦しみで曇りを除るより方法はないから、曇りがあるだけは免まぬがれる事は出来ないので、曇りを減らすのが開運の絶対的条件である。つまり或程度魂が浄まれば、浄化の必要がないから不幸が幸福に変る事になる。之が真理であるから、運は寝て待てではなく、運は浄めて待てというのが本当である。
栄光

昼の世界に転換の科学的証明(栄光179号 昭和27年10月22日) 

無論火素といっても本来霊的であるから、体的熱量はないと思うであろうが、或程度の体的熱量はあるので、何よりも私の浄霊である。信者数百人に対し十分乃至ないし二十分浄霊する場合、中には非常に熱くなって、汗ダクダクになる人さえよくあると共に、冬など私の部屋へ入ると暖かいとよく云われる事がある。処が火素の増量は独り病気に限らず凡ゆる面にも影響を受けるのであるから、之が世界的クライマックスになった時が世の終りである。之についても大いに神秘があるがまだ時期が早いから、何れ発表するつもりである
お蔭話

霊的治病 (栄光178号 昭和27年10月15日) 《お陰話》「医師から死を宣告された婦人三日間に亘る痙攣から救わる」

今日迄如何なる宗教と雖いえども之程まざまざと而しかも短時間に大きな利益を与えられた例は、本教信者以外ないであろう。従って本教の病気治療は、科学的には毒素の排除療法であり、宗教的には霊の解決法であるから、つまり宗教と科学と両建りょうだての救いであって、完全なる救いというべきである。
栄光

今や亡びんとする日本画(栄光178号 昭和27年10月15日) 

翠竹野雀 昭和8 – 9年(1933 – 34)頃 竹内栖鳳 私はこの間目下開催中の院展並びに青龍展を観た結果、其感想をどうしても記かかずにはおれないので、ここにかいてみるのである。まず院展であるが、会場へ入るやオヤッと思った。之は間違った...
医学断片集

医学断片集(20~24)*塵芥溜には虫が湧く/薬と名の付くものは全部麻薬なり/神経とは/手当(栄光173,174,176,185,187)

人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、之は誰も知る如く初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になって了しまうので、之が中毒である。処が実は凡ゆる薬も同様であって、只麻薬と違う処は、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言はば長持がする只それだけの異いさである
栄光

葡萄状鬼胎とは(栄光177号 昭和27年10月8日)《お陰話》十二年間の難病より救われ葡萄状妊娠の危機も免る

之は姙娠している蛙を食うとか、或いは水中にある卵子を殺した為祟たたるのである。事実大きい蛙の卵子になるとイタリヤ葡萄の実が繋がっているようで、実に気味の悪いものである。之によってみても唯物医学のみでは、解決出来ない事が往往あるのを知るであろう。
栄光

自由なる信仰(栄光177号 昭和27年10月8日) 

自画自讃で言い辛いが、我メシヤ教に限って其点実に自由である。之は信者はよく知っているが、他のどんな宗教にでも大いに触れるべしと云いっている。勿論研究も結構で、それだけ見聞が拡まるからである。其結果もしメシヤ教以上のものがあったとしたら、いつ転向しても差支えない。決して罪とはならないからで、本当の神様なら其人が救われ、幸福になりさえすればそれでいいのである
栄光

美術品の集まる理由(栄光177号 昭和27年10月8日)

之こそ霊界に於て其作者は勿論愛玩していた人、其品物に関係のあった人等の霊が、大いに手柄を立てたいと思い、適当の順序を経へて私の手に入るように仕向けるのである。何故なれば其功績によって救われ、階級も上るからである。言う迄もなく僅わずかの期間で之程の美術館が出来たというのも全く右の理由によるのである。考えてもみるがいい、今日迄財閥富豪が一世一代掛って漸く出来る位の美術館が、瞬く間に出来たとしたら、到底人間業でない事が誰が目にも映るであろう。
未発表

御講話 未発表(昭和25年3月5日)速記録

釈迦は経で、キリストは緯で、これが結んで神の働きになる。これもよく合っている。 キリストは緯であるから広い。仏教は経であって、緯の働きはない。メシヤは、最後の審判のとき、救いに出ることになっている。
未発表

中島氏帰幽に関するお言葉(未発表 昭和25年2月 速記録)

世界人類の救済からゆくと、メシヤ教はよほどキリスト教に近くなる。いずれはそうなるべきだが、ようやく時期が来たのである。 神様はいろいろさせてそれにより神代の罪をいま帳消しになさる。故にその死が重大な意味をもつ。故に、中島氏のやったことなど、いずれは大変な良いことをされたわけになる。一時は犠牲になるが、永遠な見方をしないと結論は出ない。

自観大先生  神仙郷緑蔭縦横談 (光25号 昭和24年9月3日)

唯物論者はその奇蹟を信じようとしないで、いたずらに唯物万能の心の虜囚りょしゅうとなっている。唯心主義は眼に見えないものつまり奇蹟を信じているのである。いまや世界は唯物主義によって絶対救われざるを悟り、唯心主義すなわち宗教心をすべての根底において新しい世界観をつくり出そうとしている。まさに奇蹟を信ぜざるを得ない世界情勢が激しく脈打っていることを我々は知らねばならない。本教の前途やまことに洋々たるものがあり、観音力の御救いの手はひろく拡げられていることを深く心に銘記すべき時期に入ったと言える。」

ある客との対談(光25号 昭和24年9月3日)

本教が生まれたのもまったく生まれるべくして生まれたのである。勿論広い世界といえども二十億の個人の集団である。とすれば、先ず個々人の病気から解決してゆかなければならない。それよりほかに有効な方法はあるまいからである。最初に私が言った本教は宗教ではない救いの業というゆえんで、本教が最も治病に力をそそぐという事も理解されたであろう。」
栄光

調和の理論(栄光176号 昭和27年10月1日)

大宇宙の一切は悉ことごとく調和していて、寸毫すんごうも不調和はないのである。従って人間の眼に不調和に見えるのは表面だけの事である。何となれば不調和とは人間が作ったものであって、其原因は反自然の結果である。即ち大自然からいえば、反自然によって不調和が出来るのが真の調和であり、之が厳正公平な真理である。この意味に於て人間が天地の律法に遵したがいさえすれば万事調和がとれ順調に進むのである
栄光

神を見せる宗教(栄光176号 昭和27年10月1日)

何しろ今日迄見た事も聞いた事もない行り方で、素晴しい効果を挙げるので、只驚くばかりである。而も多くの宗教が病気を治す場合、必ずと言いたい程最初から疑っては駄目だ、信じなくては御利益はないというのがお定りで、之が一般常識となっている以上、偶々本教の話を聞くと、最初から大いに疑え、本当に御利益を見ない内は決して信じてはならないというのを聞くと余りの異いさに面喰って了しまうが、中にはそれは面白い、之こそ本当の宗教だ、余程の自信がなくてはそんな大胆な事を言える筈がないとして、反って信用する人もあるのである。
地上天国

第三次戦争は果して有る?(地上天国40号昭和27年9月25日)

それは単に大破壊といっても物質のみではなく、汚穢に充ちた人間も清算される。之が最も恐ろしいのである。従って神は滅ぶべき運命にある人々を、一人でも多く救わんが為の警告が『文明の創造』書であるから、之こそ二十世紀のバイブルでなくて何であろう。勿論このバイブルこそ、天の父であるエホバの聖言であるから真理そのものである。以上が信じ得らるるとしたら、第三次戦争に対しての心構えも、自ら見当がつく筈はずである。
栄光

米国に於ける驚くべき病者の氾濫(栄光175号昭和27年9月24日)

現在米国に於ける主なる病気の統計を、精査記録したものを持って来たので私は之を見るや唖然としたのである。それは余りに私の説を立証しているからである。そうして今日日本人の誰もが思っている事は遂つい最近迄は世界医学の覇権を握っていた彼の独逸ドイツを追抜き、今日隆々たる米国医学の事であるから、定めし素晴しい成果を挙げているに違いないと予想していたであろうし、私もそう思っていた処、事実は全然裏切られており、其悲惨なる現状には驚くの外ないのである。
栄光

菜食のよき例(栄光174号 昭和27年9月17日) 

共に食事をしたが、驚いた事には絶対菜食なので、鰹節も入れずに一人前だけ料理を別に作らした程であったから、如何に徹底した菜食家だという事が分るであろう。まず栄養学者からいったら、無論素晴しい栄養不足食というだろう
栄光

悪の世の中(栄光174号 昭和27年9月17日)

病気と戦争だけは今の処絶対不可抗力である。しかし之も深く検討してみると、悪から発生したものである以上、帰する処一切の災いは悪が因である以上、之を除くのは宗教より外にない事は余りに明かである。処が世の識者たる者之が分っているのか分っていないのか、吾等には判断がつき兼ねるが、どんなものであろう
栄光

薬毒の恐怖(栄光173号 昭和27年9月10日)

歯痛の原因が盲腸手術の為がよくあるのも、一寸意外に思うであろうし、凡ゆる手術の際の消毒薬が色々な痛みの原因になる事も、非常に多いものであるから、身体の何処かに激しい痛みや、執拗な痛みのある場合、既往の手術を想い出せば必ず肯うなずくであろう。
お蔭話

死後浄霊十分にして蘇生させたこの大奇蹟《お陰話》甦生の記録 心臓止まって十分間御浄霊にて動きはじむ(栄光171号 昭和27年8月27日) 

 本教信者が顕わす奇蹟の素晴しい事は、今更言う迄もないが、左の御蔭話は心臓が停止していたのを、十分間の浄霊で蘇生させたという奇蹟である。斯んな素晴しい起死回生的事実は、未だ嘗かつて世界に例がないであろう。若もし之が医学上での成果とすれば、世界医学界の大問題となり、其報道を受けた日本の新聞などは、一号活字でデカデカに発表するであろう
栄光

医学の罪悪観(栄光172号 昭和27年9月3日) 

本教浄霊に来る患者の数は年々増加して、今日は全国で非常な数に上っているが、重難症患者は一人の例外なく、医療の結果そうなったというのである。之等を吾々からみると、最初から何もせず放っておけば已に治っていたのであるが、医療を受けた為に悪化に悪化しつつ重難症となり、遂に死の一歩手前に迄追い詰められた、この種の人の如何に多いかは、膚に粟あわを生ずる位である
栄光

宗教と妨害(栄光172号 昭和27年9月3日)

今度の御神業に於ける正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々実々きょきょじつじつの大芝居で、只神秘と云うより外はないのである。処でそれについての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日迄の神と悪魔の戦いで即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に狭せばまって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつつあるから、邪神の力は段々弱まって来た
お蔭話

噫々(ああ)不可解なる哉(栄光170号 昭和27年8月20日)《お陰話》手術を拒んだ盲腸炎浄霊一夜にして全快 

病院内の出来事で、医師が極力手術を勧めるのを無理に押切って、夜通し浄霊した処、翌朝になるや見事全快して了ったのである。其時医師が腹部の何処どこを圧おしても、少しも痛みがないので、周囲の者は皆驚天ぎょうてんしたという信じられない程の奇蹟である
栄光

東洋美術雑観(4) (栄光170号 昭和27年8月20日)

支那美術としては一番陶磁器が古いらしく、今から四千年前既に相当なものが出来ている。其中で今日残っているものにアンダーソンというのがある。之はアンダーソンという学者が発見したもので、其名があるという事だが幸いにもこの陶器の大壷が手に入り、本館へ出してあるからみれば分るが、其様な古い時代に、斯んな好いものが出来たというのは、到底信じられない程である
栄光

医学関係者に警告する(栄光171号 昭和27年8月27日)

各国の専門家等は最大級の熱意を傾けて研究すると共に、政府当局者も医師の指示通りの施設万端、能あとう限りの努力を払っているに拘かかわらず、病人の氾濫は停止する処を知らない有様で、常に悲鳴を上げているのは誰も知る通りである。としたらこの様な誤謬医学は早晩退陣の止むなきに至るのは、火を睹みるよりも明かで、其時期は目前に迫っているのである。という理由は私によって、真の病気の原因が発見されたと共に、機械も薬剤も何等物質的のものを用いずして、如何なる病気も全治可能の方法が生れたからである。