信仰雑話

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常識 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

先づ自己が幸福者たらんとするには他人を幸福にする事で、それによって与えらるる神の賜が真の幸福である。然るに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にするというが如きは全く逆効果以外の何物でもない事を知るべきである。
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正しき信仰 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(マト)としたものが多く、正しい神を的とする信仰は洵に少ないのである。
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誠 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。
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『信仰雑話』序文 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

人間としての凡ゆる苦しみを体験したような気もする。その半面神の守護、人々の支援等も尠からずあって、苦楽相半ばするという訳であった。それ等によって神仏の実在、信仰の妙諦、生と死との意義等々、幾多の貴い経験を経て知り得た中から、興味あるもの、教訓に富んだもの等を集録して成ったものが此著である