【体験談Mr.Right】№17 箱根奉仕者名簿に祖父の名前

 今回は、ご先祖様のルーツに関わる不思議な出来事の話をします。

 あれは、平成10年の地上天国祭の時でした。その時の私は、教団(再建)が設立した警備会社に出向していました。祭典時は、警備員の人数を増やし、社長はじめ幹部も総出で特別警戒態勢を敷いていました。

 朝のミーティングを終えたあと、私は一人で光明神殿、奥津城、祖霊舎を参拝して、箱根美術館および別館を拝観しました。その時、箱根美術館別館には明主様の御書の他に、「箱根奉仕者名簿」が展示されていました。それは「第35期」(昭和29年3月)の名簿で、私が生まれる前のものでした。私は、「知っている人はいないと思いつつも、どんな人方が、ご奉仕されていたのだろう。もしかしたら、父の名前があるかも知れない。」という興味本位で、その名簿を見ました。

その時、名簿の6番目に、「十光教会」「下斗米文吉」「55歳」「屋根職」「青森県下北郡田名部町」という母方の祖父の名前を発見しました。その時の興奮は、「えー」という感じで、言葉ではうまく表現できないほどの驚きでした。その日は妹も母親も参拝に来ていましたので、携帯で連絡をして見るように勧めました。下の妹は、教団のとても偉い先生の養女になっていましたので、後日その部分のコピーを届けてくれました。その写しは、今も大切にしていますが、その部分だけを見ると、祖父が年長で、10代や20代の若い奉仕者の方が多く、青年教団を彷彿とさせるものがありました。

 ところで、下斗米しもとまいという苗字は、中々珍しいと思います。祖父は、田名部町(今のむつ市)に住んでいましたが、私たちは本州最北端の地である大間町に住んでいましたので、子供の頃は、正月や夏休みによく遊びに行って、大好きな祖父でした。母親の旧姓が下斗米だということを知ったのは、たぶん小学校の高学年の頃だと思いますが、変な名前くらいにしか思っていなかったように思います。田名部高校に進学した私は、高校時代に何度か下斗米のルーツについて、母親から聞かされたことがありましたが、勉強と部活と恋愛に忙しい毎日を送っていたので、あまり記憶に残っていませんでした。断片的に記憶していたのは、下斗米の先祖は南部藩の武士であったこと。ある時に殿様から、青森県と岩手県の県境辺りの上斗米村、下斗米村を拝領したこと。それが苗字の由来のようであることくらいでした。興味があったとしても、パソコンも携帯もない時代ですから、図書館に行って調べるという面倒なことをする暇もありませんでした。というより、やはり興味が薄かったのだと思います。

 ところが、この奉仕者名簿を見たころは、パソコンも携帯もあって、何でも調べられる時代になっていました。私は、母親が話していた下斗米○○という人は、どんな人だったのかたずねました。母親は、「おばちゃんが生きていれば、詳しいことを知っていたのに、自分も余り詳しいことは知らない。」といって、秀之進という名前を教えてくれました。

 早速、「下斗米秀之進」を検索してみると、驚くような事実を知ることができました。そのことを文章にしていると超長くなるので、その代表的なことを箇条書きにしてみたいと思います。

  • .津軽藩は、南部藩の家臣だった人が、謀反を起こして独立したものであったが、当時は津軽藩の方が偉くなっていて、それに腹を立てた下斗米秀之進と数名が、津軽藩の殿様に、「役職を返上して隠居しなければ暗殺する。」という文を送り、参勤交代を終えて帰る途中、今の秋田県大館市の峠で暗殺を決行しようとしていた。
  • .この暗殺計画は、秀之進の父親が雇っていた刀鍛冶の密告で失敗に終わるのだが、下斗米秀之進は江戸に逃れて道場を開いて生活していた。その後に津軽藩の探索方に発見されて、小塚原の刑場で獄門の刑を受けることになる。
  • .そのとき秀之進は相馬大作という偽名を使っていて、後に「相馬大作事件」と呼ばれるようになっていた。
  • .明治維新の立役者の一人ともいえる吉田松陰は、水戸藩の藤田東湖をたずねた後に、襲撃事件を起こそうとした秋田県大館の矢立峠まで足を延ばしているようである。
  • .歴史の教科書に出てくる間宮林蔵は、下斗米秀之進(本名:将真)の親友であったらしい。
  • .この事件のことが、講談でも取り上げられて、多くの人が知るところとなったようであるが、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎ほかがこの事件を題材とした映画にも出演している。また、多くの人が小説を書き、私も梶よう子著「みちのく忠臣蔵」を読ませていただいた。

 ということであるが、ちょっと不思議な感覚を覚えました。このような歴史があったことすら、知っている人は少ないと思います。

 勿論、母親の家系が、この下斗米秀之進の直系の子孫であるということではありません。ただ、母親が「おばちゃんが生きていれば、詳しいことを知っていたのに・・・」というように、全くの無関係だとも思えないので、時代も時代ですから遠縁のご先祖様という感覚で、私は受け止めています。

 私は、昭和26年に入信した父親から、「箱根のご奉仕も、熱海のご奉仕もさせていただいた。」ということを聞いていたので、もしかしたら父親の名前でもあるかなと淡い期待をもって見た名簿に、まさか祖父の名前があるとは思いもよらない出来事でした。普通は、「やっぱり、親父の名前は無かったな。」という具合で、淡い期待が裏切られることの方が多いのではないでしょうか。

 母親の家庭では、最初に長女が入信して、三女の母親も昭和25年に入信したと聞いていました。一家入信して祖父も信者だったということは、中学か高校の頃には知っていましたが、子供の頃に遊びに行った時には、祖父は薬を飲んでいましたし、信仰の話を聞いたこともなければ、ご浄霊をいただいたこともありませんでした。ですから、長女の勧めで形ばかりの信者だったのだろうと思っていましたが、明主様がご浄化される前に建設奉仕をしていたことに驚いた次第です。

 今回の不思議な出来事を通して、何を言いたいのかと言えば、歴史と言えば学校で習った歴史が主で、忠臣蔵と言えば赤穂浪士で、ほとんどの人は東北の南部藩でも忠臣蔵があったことを知らないということです。また、そういう知らない歴史の中で、私たち一人一人は、何十万何百万というご先祖様から繋がってきて、将来また何十万何百万と繋がっていくかも知れない子孫のための存在であるということです。だからこそ、ひな型と言える大事な存在であるという認識の重要性を理解することが大切だと思っています。

 私は、たまたま奉仕者名簿を見て、たまたま下斗米という母方の珍しい苗字に興味を持って検索したら、赤穂浪士にも匹敵するような有名人が遠縁の中にいたという事実に出会いました。私は、子供の頃から他の子と比べて少しばかり正義感が強いと感じることがありました。もしかしたら、下斗米秀之進の遠縁の子孫として、その遺伝子を引き継いでいるのかも知れないと思うことがありますが、ご先祖様の中には、いろいろな方が居たと思います。善も悪もその全てが光となり曇りとなって、私たちの遺伝子の中に組み込まれているのではないでしょうか。

つまり、地上天国建設というご神意実現のために、正邪の戦いというご経綸の中で、ご先祖様も、自分の過去世においても、正神界の働きをした時もあれば、邪神界の働きをした時もあったのではないでしょうか。それも、地球という大舞台の中で、時にはヨーロッパに生まれ、時にはアジアに生まれ、時には日本に生まれて、その時その時の使命を担ってきたのだと思います。だからこそ万教同根・万教帰一という言葉や教えが存在するのではないでしょうか。

その中での罪については、しっかりとお詫びをして清算しなければいけないのでしょう。ただ私たちは、どのような罪を犯したのか具体的なことは、過去世においては知りません。だからこそ、現世においては、ご神意を覚ることが大切であり、過去世の清算においてはご浄化を受け入れることと、ご浄霊をいただいてみ魂を浄めることと、人を導き徳を積むことだと思います。

ただ、人を導くにしても、今は混沌として受け皿がないのが現実世界における現状です。というより、明主様ご在世当時から、理解しがたい正邪の戦いがありました。この現実をどのように打開していくか、それがこれからのご神業の鍵になると思っています。それは、明主様が仰っているように、真理は簡単だということです。非常に短い御教えですが「誠」の御教えを、繰り返して拝読してみてほしいと思います。音読でも黙読でもどちらでも結構ですが、腑に落ちるまで読み続けてほしいと思います。

 また、罪のお詫びということに関しては、前述したように私たちは過去世における罪を記憶していません。従って、三千年の罪穢れとか、九千年の罪穢れというように、国常立尊様が押し込められたことに対する人類としてのお詫びが言われています。確かに、その通りだと思います。しかし、それだけでは問題解決がするとは思えないと思っているのは、私だけでしょうか。

 いずれにしても、今回の名簿を通して、私は自分のルーツの一つを知ることができたことは有難いことでした。しかし、その先には数えきれないご先祖様がいらして、父方のご先祖様にも数えきれないご先祖様がいて、双方のご先祖様の結びの役目として、私という存在があることが自覚できました。そしてまた、そのような認識を持ってご神業にご奉仕さて頂くことの大切さを知ることができました。

 私は、下斗米という歴史に名を残すようなご先祖様が居たことをしっかりと自覚して、メシヤ様の御神業に奉仕するように、あの奉仕者名簿を見せられたように思っています。

          by Mr.Right

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