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起死回生の奇蹟(栄光169号 昭和27年8月13日) 《お陰話》「20mの崖より落ちし瀕死の吾子救わる」 
吾々は常に人間の命は、神の御手にあるものと唱えているが、現代科学で固まった頭脳では、到底信じられないのは無理はない。というのはそれ程の奇蹟はキリストの奇蹟以来、二千年に渉った今日まで未だ聞かないからである。処が左の御蔭話は病院内での事実であるから、何としても疑う余地はあるまい。一信者にして之程の奇蹟を顕わす事が出来るとしたら、二十世紀の大問題である
【体験談Mr.Right】№26 観音様の夢と不思議な神山参拝
夢の中に、突然として大きな光が現れました。その光は、十階建てのビル位の高さがあったと思っています。とにかくものすごく大きな光で、余りに眩い光のためにその姿はハッキリとしませんでしたが、光の中に微かに確認できる姿から、観音様であることは理解できました。
医学断片集(15~19)発育の遅れる児童/眼にゴミ/頭脳/赤痢菌/再浄化 (栄光165、166,167,168,169号 昭和27年)
頭の病気は、首の周囲、延髄、後頭部の辺あたりを主として、浄霊するように曰いってあるが、近頃は前頭部から額、顳顬こめかみ等の部分に、浄化の発おこっている人が多いから、その辺をよく浄霊した方がいい。その場合右の辺に掌を当ててみると、熱があるから直じき分る。従って前額部が冷たい人なら、先ず頭はいいと見て間違いないのである
医学断片集(11~14) *歯の痛み/脂肪肥り/治療という言葉/神経という言葉(栄光159号~162号)
医学では病気を治療する事は、全然出来ないといったら驚くであろうが、之は真理であるから仕方がない。では誰が治療して呉れるかというと、それは自分自身の体である。従って若もし医療で治るものなら、手術の必要はない訳である。つまり医療では病気の個所が治らないから、止むを得ず其個所を除去して了しまうのである,iryou
御教え*再浄化/海外要人の来館(御教え集13号 昭和27年8月6日②)
今再浄化を急にやろうものなら馬鹿に浄化が強いです。ドンドン衰弱していく。
御教え*浄化/恐怖時代/下痢は頭の浄化/結核の再浄化(御教え集13号 昭和27年8月6日①)
これから下痢患者は頭を浄霊する。そうしてお腹の方や何かは簡単で良い。頭を主にする。頭も前頭部の方と後頭部の場合がある。前頭部は触ってみると熱が強い、後頭部は固まりがありますから、それをやると一時は余計下痢をしますが、後治りが良いのです。その代わり頭が良くなります。
御教え *大浄化/下痢/浄化の順序/肺病の治し方/邪神のずるさ(御教え集13号 昭和27年8月5日)
神が在あるという事が怖いのです。そうすると自分の悪をみんな暴露してしまうのです。そこで神が在る事と悪を追放する事とが大事なのです。もっとも神がある事が分かれば悪は追放されます。それだけで良いのです。それが根本です。そうすれば病無き世界が出来て皆健康になる。病気は浄化作用で有難いものだという事がはっきり分かるから、人間の病気は無くなり、不安は無くなるのです。それを上手うまく隠蔽いんぺいしているのです。
 天国建設と悪の追放(栄光169号 昭和27年8月13日)
前記の如く愈々悪不要の時が来たと共にそれが今日であるから容易ならぬ問題である。しかし之は臆測でも希望でもない、現実であって、信ずると信ぜざるとに拘わらず、それが最早人の眼に触れかけている。即ち原子科学の素晴しい進歩である。従って若し戦争が始まるとしたら、今度は戦争ではなく、一切の破壊であり、人類の破滅であるが、之も実は悪の輪止まりであるから寧ろ喜んでいいのである。而もこの結果今日迄悪が利用して来た文化は一転して善の自由となり、ここに待望の地上天国は生れる段階となるのである
『文明の創造』序文(栄光170号 昭和27年8月20日)
人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢ざいえであって、当然この大浄化作用が発生するのである。それを之から詳しく説いてみるが、幸い之を読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何等の躊躇ちゅうちょなく掴つかまれん事である。それを前以もって人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。之ぞ神の大愛でなくて何であろう、従って之を知った以上、一時も早く頭の切替へは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして審判の最後に到っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、之を信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来に於ける地上天国の住民として残るのである。
御説教 (地上天国39号昭和27年8月25日)
本教は耳から目から、又言霊での清めもあるにはあるが、それらは従であって、主とする処は浄霊である。何となれば五官を介して清めるのは間接的方法であって、見えざる魂に対むかっての体的方法であるから、効果の薄いのは勿論である。処が本教浄霊に至っては、直接魂に対って霊光を注いで浄めるのであるから、其効果たるや到底体的の比ではない。恰度病気の治り方と同様、他の療法を散々行っても治らない病気が、短期間に訳なく治るにみても明かである

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