御教え *奈良/頭が良い/聖徳太子(御教え集10号  昭和27年5月7日①) 

五月七日

【御  教  え】  この間奈良、京都の方に旅行したそれを、今簡単に書いてみたんですが、今読ませます。

御論文「奈良美術行脚」  【註  栄光一五六号】

  今度、丁度奈良の博物館で白鳳はくほう天平てんひょう展覧会というのが開催されていたんです。三尊さんぞん彌陀みだ――これは大きいんですね。等身大位です。それと金銅仏で誕生の釈迦ですね。それがありましたが、どちらも素晴しいものですが、片っ方は大き過ぎるので、到底東京とかこっちの方に移動する事は出来ないものです。その他、金銅仏が十数点と、経文とか仏器とか、そういうものも相当ありますが、今の二点を除いた外は私の美術館の方が上です。で、私も大いに気を良くした訳です。数は成程博物館の方がありましたが、博物館にあるよりかもっと良いのが私の方にあります。それから経文なんかも博物館のは殆ど天平時代のものばかりですが、私の方のは支那の唐時代のもありますし、それから色々な種類がありますからね。それから仏器なんかも私の方が種類が多くありますから負けないつもりです。その仏教美術の方も私の方は一部なんですからね。一部で奈良博物館より大体上なんですからね。引け目をとらないと思ってますね。そんな訳で、今度見た色々な仏像なんか、千二、三百年前にそういうものが出来て、今日はその足元にも追いつかないのは実に不思議と思いますね。色々なものが進歩しているにもかかわらず、そういうものは進歩どころか反って退歩している位です。それはどういう訳かと言いますと、これは一寸一般の人は気がつかないんですが、やっぱり理由があるんです。何故というと、その時代の人は頭が非常に良いんです。今の人は――美術家は勿論の事ですが、頭がずっと悪くなっているんです。何故というと、ただそこに、単に頭が良いとか悪いとかいう事は、その時代の人の中身ですね。中身が良かった。今の人は中身が段々悪くなって来て、上っ側になって来た。つまり表面が、頭が良くなって来たんですね――今の人はね。それで中身が微弱になって来た。そこのちがいさですね。私なんかもどっちかというと中身の方です。そこで今の人の頭の悪さ加減が、実に驚いているんです。実に頭が悪いんです。何よりもメシヤ教がこれ程病気が治っても、解らないんだからね。それをお医者さんなんか、よく見たり聞いたりして、唯首をひねるだけで、それをさて研究しようとか言う考えは起らないんですね。まあ、何かの工合だろうと、ただ気休めみたいに理窟をつけて、それでお終いになっているんですからね。そういう具合に悪くなっているんです。それから『栄光』新聞は厚生省に一年も前から送っています。皆見ているに違いないですが、一人も何にも言って来る人はないんです。ですから、それすら実に頭が悪いですね。そういう事ばかりでなく、あらゆる方面ですね。政治でも経済でも実に頭が悪いですね。だから政府の、何か偉い――大臣や知識階級の人が色々頭を集めて年中相談ばかりしています。それでいて実にまずいですね――頭がね。今度の共産党の暴れた問題なんかも、あれは何んですね。片っ端からあやしい奴は逮捕するんですが、逮捕したところでそれを警視庁なら警視庁に運ぶ事を忘れちゃったんです。ですから、輸送の方が出来ない為に、ふん掴まえた者に警官がついて居なければならない。そこで、もっと掴まえる事が出来たのを、ついて居ては、あと掴まえる事が出来ないから、そこで能率が上らなかった。だから掴まえる事は、余程考えて準備したに違いないが、それを輸送する事を忘れちゃった。一事が万事で、何でもそうなってます――頭が悪いのはね。じゃ、日本人ばかりかというと、西洋の人が頭が悪い。特にアメリカ人の頭が悪いのは恐ろしいです。中共と停戦問題に就いて交渉やってますが、あれでアメリカ人はいよいよ講和が成立するという事を、よく偉い人が去年あたりから言ってますが、いつ迄待っても駄目だ。今度いよいよ駄目だという事になった。リッジウェイなんかも、この間の話ではいよいよ出来るという事を言ってますが、駄目なんです。最初から駄目なんです。引延ばしなんですからね。私は先から言ってますがね。登録時を稼いでいるだけなんですからね。それを幾らか信じていたんですね。だからものの見通しが出来ないですね。上っ側の智慧だからね。そういう様に上っ側は非常に良くなってますから、小利巧に今の人は言ってますがね。実に上っ面の、見え透いた事を、政治家なんか言ってますが、少し深いところや見通しなんかは全然ないですね。これは医学と同じで、対症療法と同じです。事が起ってからあわてるとね。だから共産党の大物ですね、今八人ですが今もってもぐって判らないですね。まあこの点は共産党の方が頭が良いかも知れない,が。

  だから芸術方面もそういう風になっていますね。だから今の美術が良い物が出来ないのは、頭が悪いのと経済的関係ですね。それで良い物が出来ない。それから、今の人はどうして頭が悪いかというと薬の為です。薬毒が頭に上ってますからね。それは白鳳や天平時代よりか今の人は余計薬が入ってます。しかもあの時分は草根木皮でしたが、今はもっと強い薬が入ってますからね。それで今の人はあの時分より頭を余計使いますからね。使うといっても、良い事に使うのではない。心配です。心配というと、まあ税金でしょうね。税金の為にどの位頭を使っているか分らない。頭を使うから頭に毒血が上っていきます。どの位悪くなっているか分らない。近来赤痢が流行るのは、薬毒と税金なんです。赤痢は頭の毒血ですからね、赤痢の流行に税金が原因だと言っても、今の人間には到底解りっこないですよ。そんな様な訳ですから、内容に目が届き、頭が働けば根本が分るんです。

  それから今度奈良で、非常に意味があったのは、法隆寺に夢殿という小さいほこらがありますがね。祠というか、まあ美術品が少しばかり入って、そうして中に観音様の像があるんです。そこの扉は一年に何日か開く事になっている。丁度その時開いていて、そこに行って見ますと、やっぱり等身大の観音様の仏像で、そこに救世観世音という札が出ているんです。これは仏教の方では救世ぐせ観世音というんですがね。これは文献には少しありますがね。唯それに「メシヤ」という様に名をつけたのは、私がつけたんですがね。救世観音と書いて救世メシヤ観音ですね。ところがジッと見てますと、何とも言えない霊気がスーッと私の方に入って来て、とても良い気持ちになって来て、何んだか嬉しくて涙がこぼれそうになって来た。それは、観音様の霊が私に入って来たんですよ。それは非常に意味があるんです。というのは、聖徳太子はつまり千手観音様が憑られたんです。ですから千手観音の御働きですがね。あの時には大体時代が時代ですから小さい御働きだったですね。まあ、千手観音じやなくて百手ひゃくしゅ観音様かも知れませんがね。そこで仏教を観音様が、つまり日本に本当に御自分が出る迄の間、仏教を日本に弘めて、それで救わなければならないと、そうして聖徳太子を働かせて、とにかく仏教を始められたんですね。ですから奈良は仏教発祥の地です。そこで奈良という所は、何宗何宗という何はないんです。仏教には真宗とか色々ありますが、それは後から寺をそういう風にしたもので、本当から言うと奈良には開祖なんていうのはないんです。だからあれは原始仏教ですね。本当の原始仏教ですよ。その後に至っては法然とか、空海、伝教でんぎょう、親鸞――そういう人達が出て開祖になって今の色々な宗門を作ったんですがね。それから山岳仏教ですね。高野山とか、比叡山ですね。その時になって民間仏教ですね。つまり在の仏教ですね。ですから奈良は純然たる原始仏教であって、その発祥の地ですね。で、仏教を始められたのは聖徳太子ですからね。聖徳太子は千手観音様の働きをされた訳ですね。で、その後千二、三百年という間は法隆寺の夢殿に居られたんですね。聖徳太子という方は、仏教を始めるに就いてはやはり芸術に依って弘めたんです。そこで、つまりあの地をぼくして七堂伽藍しちどうがらんを造られたんです。だから色々な事に精通されていたんですね。で、ひとり芸術ばかりでなく、十七条の憲法なんか作ったんですね。憲法といっても、日本に於ける憲法の最初は聖徳太子という事になりますね。ですから政治的知識も非常にあられたんですね。ですけれども、とにかく仏教を美術に依って開こうという事になった。その為にあの時代の仏教美術というものは非常に盛んになって、まあ奈良の大仏なんて、ああいった驚くべき――あの時代にあの位の立派なものを作るという事は殆ど人間業以上ですね。丁度私はそれを世界的にした様なものです。で、私は芸術に依ってメシヤ教を開くという事は、丁度聖徳太子がやられた事を、もっと大きくして――世界的にしてやるのと同じですね。それで私が今やっている事は、つまり千手観音の働きになる訳なんです。ですから私が一番最初に始めた時の観音会ですね。観音会を作るに当たって――それが昭和九年の十月でしたね。観音会を作ったんですが、その時に千手観音を画いたんです。これから千手観音の働きという訳ですね。私はその時には気がつかないで、画きたいから画いたんですが、今日になってみると、そういう必要があってやらされたんですね。ですから現在私が色んな事に手を出して、何でもやりますが、千手観音の働きですから色んな事をやる訳ですね。で、千本の手に色んなものを握りますがね。握るといって、懐に入れちゃう訳じゃないんです。あらゆるものを救われるんですね。救うという事は、それを自由にしなければ救えないから、つまり言う事を聞かなければね。それで、握れば自由自在になりますから、それで思う様に救える訳ですね。そういう事は大体知ってましたが、今度夢殿に行って、そうして尚はっきり分かったんです。つまり聖徳太子がやられる事がね。私に憑った訳ですね。だからやはりメシヤ教の為に大いに働かれる事になったんです。ですからもう夢殿には霊が居られなくなったんですね。だから、今に開けっ放しになるかも知れませんがね。で、そういう神様の事というのはちゃんと、年限でも時でもすべて決っているんですからね。そんなら早くそうしたら良いだろうというが、そうはいかない。やっぱり時期時期に依ってそうなっている。やはり「神は順序なり」でね。花が咲いて実がなるのと同じでね。幾ら神様がみんなに綺麗なものを見せたいといって、正月に桜が咲く事はないんですからね。そういった、時と順序それは厳然として動かす事は出来ない。それで夢殿は聖徳太子が始終仕事をなさるのに、丁度夢殿がある所で仕事をなさったんです。それを紀念としてあそこに夢殿を作ったんですからね。つまり奈良の中心は法隆寺で、法隆寺の中心は夢殿というんですから、仏教の中心は日本に於ては夢殿ですね。あれが中心といっても良いですね。

  今度、その他に京都にいずれ地上天国を造らなければならない。そういう適当な敷地があるというので、それを見て呉れというから、それを見たんですが、これは大体条件はまず良いですね。時期が来たら手に入るだろうと思ってます。で、そんな訳で美術館なんかにしても、仏教美術――そういうものに就いて大いに知識を得た訳ですね。大体仏像やそういうものに就いては粗方あらかた分かったですから、いずれはそういった様な美術館も京都に造りたいと思ってます。旅行の話はその位にして。

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