奇蹟

未発表

私は神か人か(未発表『私物語』昭和27年執筆)

何しろ驚くべき奇蹟が次から次へと出て来るので、ここに心機一転百八十度の転換となったのは勿論、日の経つに従い益々奇蹟続出、ついには私の過去、現在、未来にわたる運命についての霊的啓示をも受けると共に、自分は超人的力を与えられ、人類救済の大使命を荷になう事が判然としたのである。そうしてその頃洵まことに不思議な現象と思ったのは、偉大なる何者かが私を自由自在に操あやつり、一歩一歩神の世界の実在を、奇蹟をもって会得えとくさせた事で、その際込上げて来る歓喜をどうする事も出来なかった程である。この気持たるや幽幻至妙言葉では現わせない心境であった。しかも相変らず奇蹟続出で、興味津々しんしんたるものがあった。一日の内に何度心が躍おどったかは分らない。その中での最も大きな奇蹟は、大正天皇崩御ほうぎょの年、すなわち大正十五年十二月の事であった
栄光

舌に代えて*山陽地方(栄光148号 昭和27年3月19日)

愈々幸福に満ちた世界を御造りになる時期が来たのであります。そうして其構想たるや今迄の物質文化の面だけであった世界を、今度は精神文化の面をも急速に向上させ、両々相俟って愈々地上天国が出来るのであります。之について今一つの知らねばならない事は、今迄無神思想が蔓延はびこっていたので、之は物質文化を発達させんが為の或期間であったのが、之が打ち切りになって有神思想になるのであります。つまり無神有神の入れ換えになるのであります
栄光

奇蹟と宗教(栄光146号昭和27年3月5日)

本教に於ては宗教理論としての前人未発の哲学、科学、神学等の新解釈は固より現代文化の欠陥を指摘し、新しい文化のあり方を教え新文明世界創造の指針を示しているので、寧ろ宗教以上の宗教といってもよかろう。
第四篇「奇跡物語」

『奇蹟物語』序文(自観叢書第四篇 昭和24年10月5日)

本教の出生は日未だ浅いが、実は私が企画したものでは全然ない。全く観世音菩薩が時期到来によって、因縁ある私の肉体を行使され始めたのであるから、実は菩薩御自身が開教されたものである

宗教は奇蹟なり(光12号 昭和24年6月11日)

蹟とは勿論人間業では不可能とされたものが可能となり理論では絶対解釈が出来得ない事実を眼の前で見せられるとすれば如何なる疑惑も一遍に煙散夢消するのは当然である。