4月3日に法隆寺に行こうと思いましたら、4月3日から三日間、聖徳太子1400年遠忌の法要があると言うことで、コロナ禍の中、当日ガイドの予約はできず、混雑の具合では中にも入れないということもあるかもしれないということで、急遽、夢殿も4月1日から空いていることでもあり4月2日に変更して行きました。
メシヤ様が関西ご巡教のおり法隆寺に出向かれた時のご様子を「みあとしのびて」より以下に抜粋しました。
昭和27年4月29日の午後のことであった。明主様は前年から、春秋ごとに関西地方ご巡教の旅を始められたのであるが、この日はじめて奈良を訪れられ、奈良国立博物館をご覧になられた後これから私は法隆寺へ行くが、誰もくるに及ばないとおっしゃられた。
あらかじめ定められたご予定に従って、幹部の先生がお供するのが常であったのに、それをお許しにならず、ごく少人数で法隆寺に赴かれたのであった。
法隆寺では堂塔伽藍や百済(くだら)観音その他の仏像をご覧になった後、丁度開扉(かいひ)中であった夢殿の救世(ぐぜ)観音を拝見された由であるが、その夜京都にお帰りになったのち、明主様は、救世観音の前で非常に感動され涙さえ浮かべられたと承って、私たちもお供が許されなかった訳が、おぼろげながらわかったような気がしたのである。
後に明主様のお言葉によると、
「みあとしのびて」より
「その観音様のお像からとても何ともいえない霊気がスーッと入って来て実に良い気持ちであった。涙が出そうになった・・・。聖徳太子は政治的能力のある方と、こう言ってもいい人であるから、単なる仏教家、宗教人ではなく、もっと深い広い思想的な人であった。救世観音とは親鸞上人が名付けたが、太子は日本的に仏教をひろめた。私は仏教でなく、世界的な宗教を世界にひろめる」とある
境内はびっくりするほど観光客も少なく、次の日からの法要のために画像のような飾りが各建物に設置されていました。飾り物のある風景は滅多に見られないということです(百年ぶり?)
残念ながら救世観音様は開扉されていましたがお姿は金網で良く見えませんでした。以前来たときは金網は無かったように思うのですが・・・・。
奈良国立博物館の聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 『聖徳太子と法隆寺』(会期 2021年4月27日(火)〜6月20日(日)に出掛けてしっかり、救世観音様のお顔を拝見させてもらう事にしようと思います。
トップの救世観音様の画像ですが、「みあとしのびて」からいただきました。私が今まで見た中で一番綺麗な救世観音像のように思います。救世観音様のお顔が写真によっていろいろ違うのはどういう関係なのでしょうか?以前見た観音像はネットの写真でも見ることができるのですが、「みあとしのびて」の観音像にとても惹かれてしまいました。
奈良国立博物館ではどんな救世観音様にお会いできるのか今から楽しみです。
飾り物の布は古びた感じがするのですが、このように昔のまま残っている所は法隆寺だけとのことでした。法隆寺は焼けていないので残っているようです。確かに過去に神社やお寺で見たことのある落慶法要や大事な行事などで目にした飾り物は艶やかな色がほとんどだったように思います。長い金の飾り物は今も昔も変わらずきらびやかでした。
法隆寺に行く時は是非ガイドさんを頼まれることをお勧めします。法隆寺には沢山の秘められたお話がたくさんあり、今回はあまり触れませんがガイドさんによってはとても詳しく教えて下さいます。境内が広いので年配の方にはちょっとしんどいかも知れませんが、仏像も建物も国宝だらけで、重要文化財もたくさんあり大変見応えがあります。行かれるときは前もって調べて是非、御開帳の時にいかせてもらいたいものですね。(でも、金網ではよく見えないかなー・・・。)
「善言讃詞」の元となった聖徳太子の著した解説本「法華義疏」(真筆は博物館蔵)も展示されています。本元、中国の方からも要望があり複製が中国にもあると言うことで、聖徳太子の優秀さは中国にもなり轟いていたのですね。法隆寺の風景が「善言讃詞」に読まれているとのことですのでその辺も確認してみましょう。今回はバタバタしてそこまでじっくり確認できなかったので、次回また中宮寺と一緒にしっかり拝観させていただきたいと思っています。
八尾屋