岡田茂吉 岡田茂吉を学ぶ | 霊界

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地上天国

「叡智の光」 (5)地上天国17号 昭和二十五年十月十五日 ※ほくろ、土葬

ほくろは場所によって、よい意味と悪い意味とあるから場所を知らせなさい。又ほくろはその人の幸不幸の前世の因縁による現世へ
2021.08.26
お蔭話

霊界は在りや (栄光 百二十二号 昭和二十六年九月十九日)※体験談 ”昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる”

本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思う
2021.03.19
大経綸

御教え集2号 昭和二十六年九月一日 ※人類破滅の前に

そうするより外に物質文化は発達する事が出来なかつた。今からは、それが続いて行くと人類破滅の結果になる。だから、ここ迄来たので正神は止めて、本当の経綸をされるんです。
2021.03.18
観音講座

『観音講座』第五講座  善悪の真諦と光明世界の建設

霊界において現界に相応するのは八衢(やちまた)である。天国、地獄の中間に位する所なのである。現在の世間はこの八衢であるのがよく現われている。天国は上に行く程綺麗になり立派になって行く。
2020.12.17
観音講座

『観音講座』 第四講座   「神幽現三界の実相」

仏界は追々となくなり、仏が神界へお帰りになる。これにより仏滅となる。八段地獄ということを日蓮上人は言ったが、九段地獄が本当である。これでやはりみろくである。
2020.12.17
自観叢書 第九篇  「光への道」

死線を越えた話 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

右は全く一時霊が脱出して天国へ赴き、霊体の罪穢を払拭されたのである事は勿論である。そこは第二天国の仏界である。
2020.10.29
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御教え集32号 昭和二十九年三月二十六日春季大祭(美術品が集まる霊界の働き)

芸術家の方は、昔からの名人や美術を愛好した人の霊が、救世教の美術館に品物を納めたいというので非常に骨 折っているのです。一品でも美術館に納めると、霊界の地位が上がるのです。
霊界通信

【時局と霊界】明主様に御救い願う霊界よりの通信 地上天国第五十八号 昭和29(1954)年3月25日発行 応神中教会会長 牧 暉之助

この投書については、今は批評を書く事は面白くないから時を待つとして、兎に角興味的に見ても捨て難いものがあるので、ここに載せたのである。 明主
2021.06.17
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[日々雑感] 今の世で、目が離せないのはメシヤ様の霊的なお話・・?

御浄化に入られるギリギリまで、霊的なお話に半分ぐらいの時間を割かれていたことが私には意外でした。何故なら、私は長い信仰生活の中で、霊的なことはあまり学んできていないのです。
2020.06.27
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霊主体従 (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、即ち無機質界とは吾々のいう霊界である。そうして人間は体と霊との密合一致によって成立っているものであって、言う迄もなく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊は眼には見えないが、立派に存在している一種のエーテルの如きものであって
2020.07.23
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って
2021.01.08
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霊界と現界(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、
2020.10.20
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霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
2020.10.20
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自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。
2020.10.20
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