出版別御教え

栄光

糞の弁 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

糞の弁とは、詰めれば糞便と言う事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸わせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸うのであるから、謂わば人間という万物の霊長は、糞溜といってもよかろう、だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ
地上天国

本教と私 (地上天国十八号 昭和二十五年十一月二十五日)

然し時節が来ない中はどうにもならない。今はまだ天国を造る上に、根本である健康に関する問題と、農業に関する事だけの誤った点を、神示のまま指摘しているのである。
メシヤ講座

[メシヤ講座]「最後の審判」真っ只中!狂っているようには見えず、もっと進歩的のように見える。これが実は精神病。2015年6月③(私達の学び目からウロコの内容より)

之が狂っているようには見えない、もっと進歩的のように見える、実は精神病な訳です。この精神病に覆われているのが、実は『最後の審判』の型ですので、今はですね『最後の審判』の真っ只中に突入している。然し、それに気付かない日本人が非常に多くなってきております
地上天国

「叡智の光」 (5)地上天国17号 昭和二十五年十月十五日 ※ほくろ、土葬

ほくろは場所によって、よい意味と悪い意味とあるから場所を知らせなさい。又ほくろはその人の幸不幸の前世の因縁による現世へ
地上天国

「叡智の光」(4)地上天国17号※霊的 昭和二十五年十月十五日

    【御垂示】此一家は霊的に非常に罪穢が溜っている。従って、この家の主人公が余程熱心に信仰して人助けをし、徳を施し、罪穢を軽減しなければ救われない。かつ御夫婦とも御神書を出来るだけ読む事である。『信仰雑話』中の「夫婦の道」という処をよく読むとよい。
浄霊

「叡智の光」 (3)地上天国17号 ※病気 昭和二十五年十月十五日

姙娠するという事は、生む資格があるからであるから、心配せず神様にお願いすれば、必ず生めるが、ただ二回の人工流産の不自然的人為方法が災いしなければよいと懸念される点があるから、出来るだけ浄霊をするようにしなさい。
信仰

「叡智の光」(2)地上天国17号 ※稲荷 昭和二十五年十月十五日

出来るだけ御神書を読むようにする事である。それによって身魂が磨けるから、父親の反対も段々薄らぎ、再び信仰を取戻す事になる。焦らず時節を待つべきだ。
メシヤ講座

[メシヤ講座]メシヤ様は昭和二十五年二月四日にメシヤの御働きを愈々行使するという事で、この世界救世(メシヤ)教を開教した 2016年3月④(私達の学び目からウロコの内容より)

メシヤ様は昭和二十五年二月四日にメシヤの御働きを愈々行使するという事で、この世界救世(メシヤ)教を開教した
地上天国

「叡智の光」(1) 地上天国17号 昭和二十五年十月十五日

  それは、事情によるのである。どっちにも決める事は出来ない。その的確の判断が、叡智の力である。叡智とは、或程度信仰が進み誠の心の持ち主になれば、自から判断がつくものである。
教えの光

『妙智之光』地上天国十六号 (2) 昭和二十五年八月十五日

【答】無論時期を待つのがよい。決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。信仰は或程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。   浄霊は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。
神霊科学

「妙智之光」(1)地上天国 第十六号 昭和二十五年八月十五日

今に想念の無線電波時代が来る。例えば、空中に字を書くとか話するとかすると、何千里先までも通じたり感じたりする。これは今でも、或程度はある。人心の機微をつかむなどというのはそうで、政治家なども、此人心の機微をつかむ事が重要
生活

正愛と邪愛 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

故に、主義とすれば世界主義だけが本当のもので、宗教と雖も、世界主義的でなくては本当の救ひとは言えないのである。本教が世界の文字を冠したのも、そういふ意味からである。
栄光

迷信の定義 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

此様な訳で、絶対の迷信もなければ、絶対の正信もないのが真理であってみれば、先づ宗教でも他の如何なるものでも批判する場合迷信の分子よりも、正信の分子が多ければ多い程、価価ある訳であるから、充分炯眼(けいがん)を開いて誤りなきを期すべきである
地上天国

信徒諸士に告ぐ (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日)

本教信徒の中に、浄霊の場合、医師にかかる事、薬を飲む事、注射をする事等に就て、否定する如き言葉ありやにて、本教の主旨を履き違え、社会の誤解を受くる事は、本教を傷つける結果となる事は勿論、此点充分注意され、決して医療を否定する如き事無きよう茲に重ねて戒意を促す次第である
栄光

祝詞 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)※秋季大祭祝詞

掛(カケマク)も、綾に尊くいと高き、五六七大御神( ミロクオオミカミ)の御前(ミマエ)に、謹しみ敬(イヤマ)ひも白すらく、昭和二(フタ)廻り五歳(イツトセ)の、秋の佳(ヨ)き日の足(タ)る日を、選(エラ)み定めて予てより、深き経綸(シグミ)の大御心に、天国此土に写しまさんと
地上天国

巻頭言 (地上天国 十七号 昭和二十五年十月十五日)

右は、信仰抜きにした一般的見方であるが吾等宗教人としての、今後の在り方はどうすればよいかであるが、今具体的にいふ事は不可能としても、事態の推移に従って、国策に順応するのは勿論であるが、根本はすべて神様にお委せし、御守護を祈って国家人類の為最善を尽すより外ないであらう。
その他

『地上天国出来るまで』 昭和二十五年九月二十一日

私自身としても、希望だけは持ってゐたが、実行の段になると、いつも躊躇逡巡した事である。処が、神様の方ではどうしても私に造らせようとなさるのである。之は種々の奇蹟を見せらるると共に、凡ての事情がそうしなければならないような、段取りになってくるので、段々私の考えも変って来てどうやら自信がつき機会を待ってゐた、
地上天国

秋季大祭御言葉 (地上天国十七号 昭和二十五年十月十五日)

キリストは天国は近づけりといい、釈尊はミロクの世が来ると言ったが、どちらも予言であって、御自身が造るとは言はれなかった。処が、私は右の予言を実現すべく、神様から委任せられたのであるから、全く予言者の予言通りの事を具体化し、證明するのである。
メシヤ講座

[メシヤ講座]信仰をする意味 2014年9月②(私達の学び目からウロコの内容より

「人間とは一体何か?」そういうものが分かってくると、こういうふうに、善悪を最終的に決定づけるまでしてはいけないということが分かってきます。
信仰

新人たれ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

本教は知らるる如く、世界の転換期に際し、全人類救ひの為に、誤れる文化に目醒めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽く迄新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいふ二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言ふのは、その意味である。
栄光

どちらが迷信だ (栄光 七十三号 昭和二十五年十月十一日)

私は些(いささ)かも悲観はしない。何となれば、凡ては神様が救世の力を揮はれてゐる以上、問題は時期である。時期が来れば吾等を迷信と見てゐた人達が、実は自分の方が迷信であった事に気がつき、本教に教えを乞ふべき日の、必ず来る事を確信して、其時を待つのみである。
栄光

天国は芸術の世界 (栄光 七十二号 昭和二十五年十月四日)

吾々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも勿論芸術である、前者は前述の如く、生命の芸術であり、後者は農業の芸術である、之に加えて吾等が地上天国の模型を作るのも美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである、之即ち地上天国ミロクの世の具現である。
栄光

展覧会を観て(下) (栄光 七十一号 昭和二十五年九月二十七日)

巨匠名人といはれる程の画人は、例外なく客観性を逸してはゐない、厳とした主観があってそれを客観で包んでゐる、例えば主観とは人間なら骨である、骨を包んでゐる肉や皮膚があってこそ客観の美がある、処が今の油絵は皮膚や肉がない、只骨の露出だ
芸術

展覧会を観て(上) (栄光 七十号 昭和二十五年九月二十日)

上野に開催中の二つの展覧会を観た、一つは院展、一つは二科会である、どちらも現在日本に於ける東西絵画の代表と思ったからだ、そこで見たままの印象を、茲に赤裸々にかいてみよう
栄光

神仙郷の意義 (栄光 七十号 昭和二十五年九月二十日)

世界の公園は日本であり、日本の公園が箱根であり、而も強羅は箱根中眺望第一の位置であるから箱根中の公園といってもよからう。面白い事には、神仙郷は元日本公園であった処で
メシヤ講座

[メシヤ講座]御神業を進める思いを育てる為に! 2015年4月⑦(私達の学び目からウロコの内容より

三千年目に一度桃の実を生らせるにはどうしたらいいかというと、薬毒を廃止して行かないといけない訳ですし、私達の頭の中に蔓延しているですね、三千年来の悪を中心とした思想を払拭しない限り、この桃の実を生ならせる事は出来ないのです
栄光

文化の創造 (栄光 六十九号 昭和二十五年九月十三日)

戦争の真の原因は病気である、病気といっても肉体の病気のみではない、精神の病気である。それは狂ってゐない精神病者である、人類からこの狂はない精神病者を健全に導く事こそ根本的解決策であらう。之以外戦争絶滅などは痴人の(たわごと)にすぎない事を信ずる
大経綸

新旧文化の交代 (栄光六十八号 昭和二十五年九月六日)

原子の破壊から絶対免れんとすれば前述の如く悪を善に転化する事である、この力こそメシヤの力でなくて何であらう、唯然し、善悪の大転換が行はれるとしても善化しない悪人も多数あるに違ひないから、此様な見込みのない者は清算されるより致し方ないであらう
栄光

世界はどうなる (栄光 六十七号 昭和二十五年八月三十日)

何となれば焼かれるといふ事は曇り即ち汚穢があるからで、汚穢のない浄体となれば焼かれる理由がないからで、其様な浄体になる方法こそ最後に現はれるべき絶対的救いの力に縋る事で茲に警告する処以である
メシヤ講座

[メシヤ講座] 霊は薬毒の固結に憑く 2015年7月⑨(私達の学び目からウロコの内容より)

霊が憑くのは薬毒の固結に憑くので大体同じ事なのです。空豆ぐらいの固結になると霊が憑きます。それより小さいのはあまり霊は憑きません。
栄光

本紙再刊に就て (栄光六十六号 昭和二十五年八月二十三日)

今回の事件を機とし、本教全般に亘り、機構を改革した事である、先づ私は今迄救世教教主としての地位を退き、今後は布教にのみ専念する事となったのである、之も御神意に因る事は勿論で、人間の考えでは到底判り得ない事は、いつも時の進むに従って深き御経綸からであった事を悟るので
地上天国

物を識るという事 (地上天国十六号 昭和二十五年八月十五日)

この物を識るという言葉ほど、深遠微妙にして意味深長なものはあるまい。恐らく此語は世界に誇っていい日本語といえよう。
地上天国

巻頭言 (地上天国十六号 昭和二十五年八月十五日)

従来、巻頭言は私が書いてゐたのであるが、御承知の如く思はざる今回の突発事件の為、本誌十六号は殆んど出来かかってゐたのであったが、中止のやむなきに至った次第である。然し漸く筆を執り得るやうになったから、急遽出版の運びになった訳で ある。
メシヤ講座

[メシヤ講座]自然淘汰は人間も例外ではない。しかし、気付いた分だけはあっという間に、霊層界を上げて頂ける・・2015年9月⑤ (私達の学び目からウロコの内容より)

天国」「中有界」「地獄」があって、地上天国になった時には「地獄」がなくなる訳ですので、地獄は消滅するという事です。地獄が消滅するという事は、地獄に所属している霊魂は消えるという事です
栄光

御教え集16号 昭和二十七年十一月七日 ※日本の使命(昭和二十七年十二月十五日発行)

今迄思想でも宗教でも何でも、その国の特有の色があるのです。処が日本はそういう色を綜合して、白にして、それがつまり本当のミロクの代の文化になるわけです
栄光

宗教以上のもの (栄光百九十四号 昭和二十八年二月四日)

我救世教こそ時代を救い、万民をリードする使命を帯びて生まれた宗教である。
メシヤ講座

[メシヤ講座] 世界救世(メシヤ)教を復興することを神界に誓詞を捧げる 2017年,記念大祭①(私達の学び眼からウロコの内容より)

本来人間が主神様から分御魂として頂いている魂が輝きを取り戻し副守護神の影響を受けないようなところまでお互いに向上させて頂きたいということで取り組んできましたけども実は二月十六日に全員不合格だということになりました。
栄光

一つの神秘 (栄光八十三号 昭和二十五年十二月二十日)

先頃、私が入獄中、種々の神秘な事があったが、時期の関係上全部知らせる訳にはゆかないから追々知らせるとして、今は只一つだけの事をかいてみよう。
メシヤ講座

[メシヤ講座]一大難事業 2014年10月① (私達の学び目からウロコの内容より)

やはりこの『一大難事業』であるからこそ、私達はですね、“御神業がうまくいかないこととか苦労があっても、やり抜かなければいけないなぁ”ということを強く思わせていただくところで
対談

実談・虚談神がかりな話 日置昌一氏との対談続き (昭和二十七年十月二十五日) <サンデー毎日 昭和二十八年六月七日号>

いままで右か左に片寄った。片寄るということは左が縦、右は横。そこで、これを組合せなければならない。その組合せる時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。それが生れて、はじめて世界国家ができる。