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御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

今のは学校の勉強時間のような話ですが、これが本当に分れば何でもないのです。逆の方の教育を受けたために非常に分り難くなっているわけです。つまり救世教というものは高度の科学を教えるわけです。だから宗教ではないと言う

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御垂示録29号 昭和二十九年三月一日 ※不純水素

“火素の放射によって毒粒子が焼ける。浄霊は物質でないから霊を焼く”とあり、一月三日の御教えに“不純水素というのは、水素中の毒粒子、薬毒が固まったもの”とあり、又他の御論文によりますと“火 素によって全滅し、漿液中に吸収される”とあります。この漿液、毒粒子、不純水素というのは、霊的なものでございましょうか、体的なものでございましょう か
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感じの良い人 (栄光257号 昭和29年4月21日)

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく 考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である
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御垂示録15号  昭和二十七年十一月一日 

どっちでも良いです。というのは、どっちか余計やる処がありますから、同じという事はない。その方を先にやれば良い。それから額の熱ですが、触ってみて暖かかったら、何処かに浄化があります。それから前(頸部淋巴腺)から触るのです。そうすると一番良く分ります。それから離れてやるのです。
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優しさと奥床しさ (栄光七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

凡そ現代の人間を観る時、最も欠除してゐるものは、優しさと奥床しさであらう。 先づ茲では本教を主としてかいてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み、身魂がどの位磨けたかを知るには一の標準があって、これは左程難しい事ではない、何よりも人と争う事を好まなくなり、優しさが湧き奥床しさが現はれる、斯ういう心と態度 になるこそ磨けたとみてよく、此点最も信仰の価値を見出すのである
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御教え集32号 昭和二十九年三月六日  ※薬を徹底的に分析

そういうような工合で、薬と病とは関係ないわけです。薬で病に対し、科学的にどういう理論で治るかという事は全然分らないのです。それは、病気というものが分らないのだから、分らないはずです。ただ飲んでみてちょっと工合が良いから、これは効くのだ、この薬に限るというように思ってしまっているのです
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御教え集32号 昭和二十九年三月六日

悪い事に趣味が起こらない、それで良い事をするのが面白いという魂になると、それが本当の魂です。ですからウッチャラかしておいても悪い事をしないというので、人が見ているから悪い事をしないというのではいけないわけです。そういう人間を作るのが救世教の本筋なのです。しかし無論いきなりそういう立派な人間になれるわけがないから、教義というものも必要です。しかし根本はもっと上の方にあるのだからして、そこで宗教ではないと言うわけです。